第十九話 走馬灯が起こす奇跡
吹っ切れたように歯を見せる夢乃君。
その表情に至った因果関係をうまく照合できず、オレは目をぱちくりとさせる。彼の抱えていた問題は解決に向かっているようで一安心だが、内心、尾を引いていることがある。
―――――なんで急に復活したんだ?
先ほどまでの、どんよりとした気に包まれていたはずの彼が、突然清々しい気を放っている。
オレは彼のためになるようなアドバイスをした覚えはない。なんなら脊髄で話していたため自分が何を話していたのかをぼんやりとしか覚えていない。感覚として残っているのは、とにかく強い語調だったことだけで、それ以外は全部思考する前に喉から発せられた発言だ。
おそらくその発言には、彼の心を動かすような力はなかったし、軽蔑されうる内容だったと思う。
それなのに、このイケメンには刺さったようだ。
彼が何を考えているのか、よくわからないな。世渡り上手な人は切り替えが早いとか、そういうことなのだろうか。
まあ、どういうことにせよ、夢乃君が元気になったのなら万々歳だな。
オレは彼の心中なぞお見通しだと言わんばかりの平静を装って、
「それでこそ夢乃君だ。よかった。―――ところで一つ聞きたいんだが……」
「おう!」
「具体的にはこれからどうする?」
「好きにする」という結論に至ったものの、それが彼の行動にどんな影響を及ぼすのか。面倒な話だが、クラス代表、そして一年四組の今後のためにも聞いておかなければならない。
今、彼はクラスのトップと呼んで差し支えない地位にいる。そんな人が、今までと異なる行動をしようとすると、クラスに多少なりとも影響が及ぶだろう。不安定状態の四組にとって、それがもしかしたら劇薬になるかもしれない。
つまり、オレは今後の彼の立ち振る舞いを危惧しているのだ。
夢乃君は背もたれに体を預け、後頭部で手を組んで「んー」と数秒悩んで、
「全然決めてない!」
そう伝えてくる彼は、ただ楽しげに大笑を披露する。
あまりの吹っ切れ方にオレも思わず言葉を見失い、片眉を上げて肩をすくめる。
喜びの涙で目が潤んでいる夢乃君は、それを指で拭いながら「まあでも」と言って、
「とりあえず、今度からは無責任の罰当たりの薄情者どもにハッキリと『クラス代表はやんねーよ』って言ったるわ!」
「あれ? ちょっと口調が悪く………」
「あー、気のせい気のせい! これはただの引用だよ。俺がいっちばん信頼してる親友からのな」
「意外とそっち系のやつと親友なんだな。オレだったら怖すぎて避けるわ」
「いいじゃねーか。俺はそいつと今後三年間、ずっと親友でいるつもりだから、お前もよろしくな!」
「マジか、勝手に巻き込むな」
夢乃君は「いいじゃんか」と言うと、爛々と双眸を向けてきて、右手の平を横に向け、オレの前に差し出してきた。
それは勘違いでなければ握手を求めるサインであり、ずっと憧れていた行為の一つだ。友達と青春している感じで、まだガキのオレにとってはそれだけで格別だった。
何に対して同意を求めているのか思考する前に、憧憬の赴くままに右手を前に伸ばし、手の平同士を触れさせようとした。
しかしその直前、人と触れ合うことに対する抵抗感が走馬灯のように湧いて出てきた。
―――また裏切られる。
その結果、オレの右手が素直に目的地まで辿り着くことはなかった。が、彼の厚意を無下にもできないため、なんとか右手を振り抜く。
その手は彼の右手の平をパチンッと軽い衝撃音とともに過ぎ去った。
右手にはジーンと痺れる感覚が響き、それを掴み取るように握りこぶしをつくる。
行為としてはわかりにくくなってしまったが、彼と仲違いしたいわけではない。ただ勝手に右手が暴れまわっただけ。
それを誤魔化すために、カッコつけた雰囲気で、
「わかった」
「………おー、いいなそれ! やっぱ時代は握手よりもハイタッチか。んで、その後、手を握るのか! 俺らだけの合図みたいでかっけぇー」
「あっ、いやー………うん、そう…だな」
思ってもみない彼の反応に、オレは思わず尻込みして思考を巡らす。
これはもしかすると、握手のその先の次元まで行ってしまったのかもしれない。
二人にしかわからないサインとか、憧れを超えて、二次元にしか存在しない空想上の行為だと思ってた。それがこんな形で叶うとは。さっきの走馬灯には感謝だな。
夢乃君は叩かれた右手を再び後頭部に持ってきて、手を組んで背もたれにかかる。
斜め上を見上げるような姿勢は、その空間が温かな風の吹く草原に変わったかと想起させるほど。
そして一度、心の中身をリセットさせるかのように大きく息を吐き、
「『自由』つっても、さっき言われた仕事はやんなきゃなんねーよなー。イジメは許せないことだし、できればクラス崩壊はしてほしくないし―――」
「それを勧めた本人が言うのも変だが、作戦に付き合わせてしまって申し訳ない」
「全然! で、なんだっけ? オレが仲いいやつらにイジメの件知ってる人がいないかを探ればいいんだっけ?」
夢乃君は早速切り替えて、話をイジメの件に戻す。
四人で作戦会議をしていたとき、心がこの場にはない様子だった彼は内容を確認する。
オレが肯定を示す頷きを見せると、
「わかった! あとできるだけメールも送ってみる。こんだけ行動してたら、また『クラス代表やってくれー』って言われるんだろうな。―――おっ、俺すごくね? 今少しだけ予言者っぽかったよな!?」
「………うん。でも、明日から二日間休みだから、そのときに作戦の整理とかやっとくといいかもな。あと、クラス代表を勧められたときの躱し方も」
「その反応を見るに、全然そんなことなかったようで………まあ、いろいろとイメトレしとくわ。―――今日はこんなところか?」
オレは相槌を打ち、彼に「よろしく」と伝える。
彼も上機嫌そうに返事をして、席を立って大きく伸びをする。
こうして、作戦会議兼、友達のお悩み相談会は終わりを迎え、夢乃君とオレも午後の授業のために教室へ向かった。




