第五十七話 友達だから
小芽生さんは眉をひそめて下を向いたと思ったら、そこで深呼吸を一度はさみ、「うん」と呟いて、すぐに顔をあげた。
背筋も伸び、先ほどまでの自信なさげな猫背は、空気とともに吐き捨てたようだった。
彼女の顔に灯っていたのは吹っ切れたような満面の笑み。
目を細め、口角は違和感があるほどに上げられており、頬には薄い赤が乗っかっていた。
いつもと異なる違和に俺は目を丸くする。
「望君、原因は…」
湿り気のある風が吹き、彼女の声が俺の耳に滑り込んできた。
「…ごめん」
小芽生さんは右耳元の髪をかきあげつつ、風に揺られないよう抑えて言った。
「いいの。大丈夫。なんとかするね」
俺は言葉を見失う。
瞬きをし、中途半端に開いた口は何かを話そうとパクパクするだけで、肝心の声は出ない。
何も頼んでいない。
喧嘩の件、傷ができた詳しい経緯、俺の想い。何も話していないのに彼女の薄く見える双眸から確信めいたものを感じた。
それが少しだけ、考えてはいけないんだろうけど、ほんの少しだけ……
俺が何も発せないでいると、小芽生さんはニコッと軽く笑って、席を立つ。
彼女は座っていた椅子をテーブルの下に戻し、学食内に体を向けてそっち方面に向けて歩き出す。
俺は彼女の一連の行動を視線で追うことしかできなくて、「待って」の一言も出てこない。
これは望んでいた結果のはずなのに、心の内側からは乾いた罪悪感が波濤の如く押し寄せてくる。
その波に抗うのに精いっぱいだったとき、小芽生さんは歩きながらこっちに視線を一瞬向けてきた。
「またね!」
小芽生さんは元気よく、ウインクしながら言った。
彼女は俺の返事を聞こうともしないまま室内の喧騒にその身を消していく。
きっと彼女は俺が混乱しているのをわかっていたのだろう。
俺に話す隙をあたえようとしなかったのは彼女なりの優しさだったのかもしれない。
俺は椅子の背もたれに全体重をあずけ天を仰ぐ。
リラックスする体勢になって目を瞑り、息を吐く。が、心は休まる気配がない。
これから起こることを想像すると、自分のやった行動が本当に正しかったのか、そのことがずっと反芻している。
再び目を開けて、重苦しい雲を見上げながら、独り呟く。
「これでいいのか? カエデ」
しばらく心を落ち着かせる必要がありそうだ。
一年三組の教室に戻るのはそのあとにしよう。
――――――――――――――――――――
放課後、一年四組の教室。
小芽生さんは自身の席、他の二人は彼女の机を囲むようにして近くの椅子に座る。
「そうか。夢野君はやっぱり飛勝君と喧嘩を……」
神妙な面持ちでオレたちは小芽生さんの事情を聞く。
オレたちというのは、伊波さんとオレのことだ。一ノ瀬さんや椿さんは参加していない。
小芽生さんの話によると、飛勝君がつけていた赤い腫れは夢野君との喧嘩によってできたものらしい。ただの口喧嘩ではなく、腫れができるほどの殴り合い。
「なんで喧嘩に発展したのかなー?」
「それは教えてくれなかった。あまり言いたくなさそうだったから、ウチもほどほどにして引いたんだよね」
「そっかー…」
数秒の沈黙が落ちる。
伊波さんとオレはどうということはないが、小芽生さんはだけは違う。特にいろいろと思考を巡らせている。
『……バンッ!』
突如、何かを力強く叩いた金属交じりの音が響いた。
そして目の前には机に手を置いている小芽生さん。その手はやけに赤みがかっている。
伊波さんに視線を向けていたため、その瞬間を確認していないが、状況証拠的に音の原因は、どうやら小芽生さんが机を両手で叩いたことによるものらしい。
小芽生さんはゆっくりと立ち上がって、
「ウチ、なんとかしてあげたい!」
いつになく真剣な眼差しで伊波さんとオレを見る。
オレたちはそのあとの言葉を聞かずとも、瞳だけで彼女の本気度を理解した。
「そうだな」
「私も! 面白そ……じゃなくて、夢野君の手助けをしてあげたい!」
なんだかとても失礼な言葉が聞こえてきた気がするのは気のせいだろう。
まあしかし、意気込んだはいいものの、
「まずは何をすればいいのかなー?」
伊波さんの言うとおり、何が夢野君の助けになるのかを考えなければならない。彼の悩みの種を取り除くことができるのが最終ゴールだということはわかるが、そこにたどり着くまでの過程が難しいのだ。
何をするべきか考えていると、小芽生さんは腰に手を当てて胸を張った。
鼻から勢いよく空気を噴射し、人差し指を立てて、
「そういうときこそ、聞き込み、でしょ!」
自信満々に提案する姿は頼もしさを感じずにはいられない。が、
「あの、イジメの件での聞き込みは、その……あまりうまくはいかなかったんだよね?」
「……かなり上出来!!」
視線を斜め上に向けているところが引っ掛かりはするけど、今はこれしかない。
「ならまあいいか。聞き込みといっても、多分、クラスメイトに『夢野君と飛勝君のこと何か知らない?』とでも聞いたら、状況が状況だからみんな夢野君のことで不安感が増してしまう可能性があると思う」
「じゃあ、どうするの? 先生とかに聞く?」
「それでもいいけど、あの先生が生徒間の事情に詳しいとも思えない」
「それもそっかー……えっ、もしかして……」




