第五十六話 小芽生もみじは
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ほとんど何も感じなかった。
オレが舌打ちというものに慣れていないからなのかもしれないが、そこにストレスが発散される感覚も、感情が変化する感覚もない。
ただ、この行為をする人間を見たらどう思うかは、一ノ瀬さんを見ていたからよくわかる。
「その部分だけ切り取るなら、良い印象はないな。まあでも、できるだけその人の内側を見るように努力はする」
一ノ瀬さんと会ったとき、目つきが悪いということもあったが、彼女のしていた舌打ちも含めて関わりにくさを感じていた。
それでもこうして話してみると、彼女の個性というものが光っているように感じた。
舌打ちも、なぜかラクにあたりが強いことも、ずっと教室で寝ていることも、そのくせしてスタイルは抜群で、それに本人は気づいていないようなことも。
だからオレは舌打ちを、その人を構成する要素の一つとしてだけ脳内で処理しないようにする。
と、人生でここまで舌打ちについて考えることがあっただろうかというツッコミを自分自身に入れる。
すると、対面に座っている一ノ瀬さんは指を鳴らして、その手の人差し指をこちらに向ける。
「アタシも同意見だ。舌打ちするやつっていう時点でそういう人間なんだっていうフィルターができちまう。だけどウチも、そいつが面白そうなやつなら全然いい!」
一ノ瀬さんは「ガッハッハ」と盛大に笑う。
まるで他人事みたいに話しているのが気になるが、それも承知のことなのだろう。
「そうなんだー! 意外と思ってることってみんなおんなじなんだね!」
二人の意見がでたところで、伊波さんもオレたちと同じ意見だということを言う。
今まで流れだと、伊波さんはここでみんなとは違う意見を言うと思っていたが、案外そうではないらしい。
同意見の仲間が多いことに、ほんの少しだけ安心感を覚えた。
すると伊波さんは「じゃあ…」と前置きして、
「小芽生さんはどうだろう?」
キリッとした目つきで聞いてくる。
簡潔に伝えられた言葉の中に含まれるニュアンスを推測するのは簡単だ。
ここまでは舌打ちをする人をどう思うかということだったものが、その逆になったのだ。
つまり、
「今まで全然そういうことをしないと思っていた小芽生さんが、予想外にも舌打ちをしたら…と?」
伊波さんは不敵に笑う。
オレは素直に答える。
「特に何も。オレに危害が加わればそのときに考えるだけだよ。オレは事なかれ主義の擬人化なんだよ」
「ふーん、そういうことにしといてあげる!」
なぜか上から目線で行ってくる伊波さん。
それを一ノ瀬さんは鼻で笑ってくる。
「なんだよ…」
さすがのオレも呆れ顔でつぶやく。
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夢野君から話を聞いたとき、私は下を向いた。
どんな表情をすればいいかわからなかったから。
笑顔をつくっている彼の顔から、彼の感情を読み取ることができなかったから。
夢野君の力になってあげたい。
夢野君の抱える悩みを一緒に背負ってあげたい。
けど、そんな夢野君は悩んでいる顔ではない。
わからない。
諦めてるのか、強がっているだけなのか。
一番近くで夢野君のことを見てきたはずなのに、それすらもわからない。
喧嘩?
飛勝君と?
いつからそんな仲だったの?
何が原因なの?
金曜日、解散した後、何かあったの?
土曜日?
それとも日曜日に何かあったの?
どうして連絡してくれないの?
私のこと信頼してないの?
違うよね?
私のことを巻き込まないようにしようとしてくれてただけなんだよね?
優しさなんだよね?
その笑顔も私を心配させないようにっていう優しさだよね?
私は信じてるよ?
夢野君は『私の運命の相手』だもんね?
運命の相手がケガしてるなんて、いやだよ?
夢野君も、私がケガしてたらいやだよね?
それと一緒なんだよ?
私も同じ場所に傷をつけてきたら夢野君はどんな顔をしてくれる?
心配してくれる、よね?
私のことを見てくれるよね?
なにも、私だけを見てほしいなんていう贅沢は言わないよ?
ただね、その優しさの一片だけでも恵んでほしいなって思ってるだけだよ?
だから返せる恩は先に返したいんだけど、だめかな?
入学式の日からの恩…夢野君はわからないよね?
それでも、私は勝手に救われたんだよ?
…そうだ、今度は私が勝手に救ってあげようか?
夢野君からの感謝はもちろんほしいよ?
けど、それよりも夢野君が救われるほうが大事だよね?
クラスメイトにも内緒にするね?
私たちがいないとまともに動けない子たちだもんね?
カエデ君たちには……相談してみるけど、いいよね?
あの子たちだけは、夢野君と対等に話してくれるもんね?
私、わかってるよ?
夢野君が一番心を開いているの、カエデ君なんだよね?
あんなに嫌われているのになんだかんだ、ね?
カエデ君は味方だとして、じゃあ敵は誰?
カエデ君の近くにいるサクちゃんは味方かな?
私はあの子はあまり好きじゃないっていうのは知ってた?
理由を知りたいよね?
でもこれは内緒だよ?
女子って面倒くさい生き物だからね?
じゃあ、椿さんは?
あの子はそういうことをするような子に見えない、かな?
今日の朝、一ノ瀬さん?っていう人がいたけど、多分敵じゃないよね?
じゃあ、やっぱり飛勝君?
飛勝君が敵?
勝手に決めちゃうよ?
もうあとはどうなっても知らないよ?
私、やるときはやる女だからね?
まず、手始めに、飛勝君を憎むところから始めようかな?
小芽生もみじは口の中で小さく鳴らした。




