第五十四話 『笑顔』
望君と話していると、視線が彼の頬に引き寄せられる。
そのせいでうまく頭が回らない。今は聞き込みの進捗についての話をしているのに、頭の片隅には常に、「望君はなんで頬を腫らしているのか」という疑問がへばりついてくるのだ。
しかし、そのことを直接聞くわけにはいかない。
こんなにも心に靄のかかるジレンマを抱えたのは人生で何回目だろうか。
もっと気楽に、もっと何も考えず過ごしていたいのに、ウチを取り巻く環境はそれを許さない。
いっそ全てを投げ捨てて、やりたいようにやるという人生にシフトしていってもいいが、ここまで積み上げてきた信頼を崩すのはもったいない気がする。
だから、まだもう少しはみんなから好かれる優等生を演じていようと思う。
「…………望君」
相槌しか打たない夢乃君との会話はもちろんテンポが悪い。必然的に発生した数秒の沈黙を噛みしめて、小芽生さんは小さく、しかし力を込めて彼の名前を呼ぶ。
それを聞いて、夢乃君は逸らしていた双眸を、小芽生さんにゆっくりと向ける。
小芽生さんはどんな顔で俺のことを軽蔑しているのか、それを見るのが怖かった。
アイツの助言で自由に生きると決めたはいいものの、やはり身近にいた人から嫌われるのは心にくる。
それでも俺はこの選択肢を取ると決めたから、向き合わなければならない。
俺は小芽生さんの顔を見た。
「…………!」
そこには俺の顔を真剣な眼差しで見つめる瞳。それを見て俺も目を見開く。
顎は引かれ、双眸はいつもより大きく、口元は喉から漏れそうな何かを抑えようとモジモジしている。
小芽生さんのあんな顔は珍しい。
いつもはもっと笑っているし、マジメな話し合いのときでも、表情を頻繁に切り替えたり、積極的に話したりして周囲の緊張を和らげている。
それが今ではどうだろうか。
緊張を和らげるどころか、自ら空気を重くしているような顔だ。
―――――あの小芽生さんも、やっと俺に呆れてくれたのか。
あれはこれから俺に物申そうとしているのだろう。
こういうところが気に入らないとか、なんで連絡返さなかったのかとか。
そうじゃなきゃ小芽生さんはあんな顔をするはずがない。
少し寂しいが、これを受け止めたとき、俺は本当の意味で自由になれる気がする。
だから彼女の言葉をまっすぐ受け止めようと思う。
俺は息を小さく吐いて、少しの笑みをはらんだ細目をつくり、
「……ん?」
これで最後。と思いつつ口を閉じたまま聞く。
すると小芽生さんは長い瞬きを挟んでから、
「ウチね、望君についていきたい」
決して冗談ではない語調で言う。
返ってきたのは俺が全く想像もしていないような答え。
もっと悪口雑言を浴びせられると思っていたが、明らかにそれとは違うということはわかる。しかし、俺の頭に浮かんだのは安堵や喜びより、疑問だ。
俺についていきたい理由とは何か。彼女はその先に何を求めているのか。
これはRPGで敵モンスターが仲間になりたがる展開よりも複雑で、幾ばくかやっかいだ。
そんな不確定要素をつれていったとしても、きっと俺は「疑問」という鎖に縛られ、再び自由から遠ざかってしまうのだろうと本能的に理解できる。
「やめとけ」
俺は理由を聞かずに、目を瞑って息を吐きながら答える。
なぜ理由を聞かなかったのか。それは、もし理由を聞いてしまったらどうせそれが悩みのタネになるからだ。
だから俺はただ一言だけ小芽生さんに伝えた。
「そう、だよね。ウチなんかじゃダメだよね……」
小芽生さんは視線を逸らして答える。
「…………そもそも、なんでついてきたいと思った?」
「望君が困ってると思って……きっと優しい望君は、そういう悩みを全部一人で抱え込んじゃってるって…………そう、思った、から……」
「そういうことか。それでも、すまん」
自分であしらっといて言えることではないが、少しだけ申し訳なくなってきた。
こんなに心配してもらえているのに、それを足蹴にしている自分のクズさに辟易してくる。
例の作戦もあることだし、小芽生さんが気になっているであろうことを、ここは自分から教えることにしよう。
「でも小芽生さんが気になってること、ひとつだけ教える」
「え?」
ときどき小芽生さんから視線を感じていた。それは俺の左頬に向けてのものだ。彼女の顔を見ていなくても、あれだけ熱烈な視線を送られればさすがに気づく。
ということは、きっと彼女は俺の頬が気になっているのだろう。
「この頬の腫れ……」
「えっ!? いや、まあ。気になってないよ! ……といったら嘘に、なるけど……」
「まあいいよ。これはな、ちょっと喧嘩したんだ」
「誰と、とかは聞いても大丈夫?」
「ああ、相手は、飛勝君だ」
「飛勝君……」
「あまり驚かないんだね」
「うん、実はね、飛勝君も、望君と同じような傷があったから、なんとなくそうなのかなーとは思ってたんだ」
「そうだったのか、俺、教室に行ってなかったから知らないんだよな」
「喧嘩って…………ちょっとした口喧嘩ってことでもないんだよね?」
「小芽生さんから見ての通りだ」
「その顔、そういうことなんだね」
小芽生さんは夢乃君と飛勝君が殴り合いの喧嘩をしたことを確信。
その様子を見て、夢乃君は『笑顔』をつくる。




