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神之舞琴の心理研究室

作者: 志庵ゆう

嶋津佳祐しまづけいすけは朝からいらついていた。


(いきなりこんな所に連れて来られて、なんで僕がそんな人に会わないといけないんだ……)



釈然しゃくぜんとしないまま島津はある部屋に通された。


薄いブルーの壁。

入って正面には大きな窓があり、窓が少し開いているのか風で白いレースのカーテンが揺れている。

右には大きな本棚がありたくさんの難しそうな本が並べられていた。

そして左には大きな机。

その前には白い革張りの椅子があり、そこに座っている人物が立ち上がり島津に声をかけた。



「嶋津佳祐さんですね。とうぞお座り下さい。」



柔らかな笑顔でそう言った彼女の顔を、嶋津はぼーっと見ていた。


「どうしました?」


そう声をかけられ嶋津ははっと我に返り急いで椅子に座る。


「今日はお越しいただきありがとうございます。本日担当させて頂きます、神之舞琴かみのまことと申します。」


神之舞琴は相変わらずやわらかい笑みを浮かべ、それを見ていた嶋津は神之のその美しい微笑ほほえみに魅入みいっていた。


「それではまずお名前をお願いします。」


「あ、はい。嶋津佳祐です。35歳。」


「ありがとうございます。

今かなり強いストレスを感じ、気分の浮き沈みがあるとうかがっております。今の生活に何か、不安や不満は?」


「あー……そうですね。生活にはそこまで不満はないですね。仕事もありますし……」


「ではお仕事にも不満はないと?」


そう言われ嶋津は考え込んだ。


(仕事……仕事……そう、仕事だ。)


嶋津は職場ではあまり認められていなかった。

上司の部長はいつも、何をしても文句を言ってくる。

皆見て見ぬふりをし、影では笑っていた。


「……仕事は、不満だらけですね。」


「そうなのですね。それは仕事の内容?それとも職場の人達に対してでしょうか?」


嶋津は少し考えて、職場の話をし始めた。


「仕事の内容と言うよりは、やはり人間関係ですね。あいつらは僕を見下しているんだ。」


「あいつら、というのは具体的には誰のことですか?」


「あいつらだよ!!いつも文句ばかり言ってくる部長と、それを見て見ぬふりして笑ってる同期のやつらや後輩だ!!」


嶋津は怒りを抑えきれないのか椅子から立ち上がり、ダンダンダンッ!と足を何度も踏みつけた。


「あいつら!あいつらいつも!いつも!」


神之は黙ったまましばらくその様子を眺めていた。



凪砂奏美なぎさかなみさん。」



急に神之の口から予期せぬ名前が出た。

驚いた島津は思わず神之の顔を見て固まった。


(何故?なぜ彼女の名前が?凪砂……奏美……さん)


神之は相変わらず柔らかい笑みを浮かべたままだ。


薄いラベンダー色のブラウスの上に白衣を着て、下はネイビーのスカート。

足を組んで白い革張かわばりの椅子に座り、ひざの上にはノートが置かれている。

そのノートを見ながら神之はもう一度言った。



「凪砂奏美さん。」



嶋津は力が抜けたようになり、椅子に座り込んだ。


(ああ、凪砂さん。彼女だけだ。彼女だけ。)


「何故?彼女の名前を知ってるんですか?」


神之はにっこりと微笑みながら膝の上に置いてあるノートをめくった。


「仲がよかったと聞いてます。凪砂さんは同じ部署の後輩の方ですよね。」


「ああ、そうですね。そうです。

 彼女だけでした。僕を見下さず話をしてくれたのは。」


「凪砂さんのことをおうかがいしても?」


「彼女は……そう、彼女は明るくて誰にでも優しい、僕にも笑顔で話しかけてくれた。」



凪砂奏美が嶋津の会社に入社してもうすぐ一年になる。

凪砂奏美と松浪良太まつなみりょうた横田未奈よこたみなの3人が嶋津の部署に配属されたのは彼女達が入社してすぐの事だった。


「新人はまず僕ら先輩の下について仕事を覚えていきます。仕事をある程度覚えたらそれぞれ1人で仕事をしていきますが、凪砂さん以外の2人は最初からとても生意気で!」


何かを思い出したのか嶋津は苦々しい顔をした。


「というと?」


「僕には何も聞かないんだ!何もだ!僕にだってわかるさ!

仕事は出来る!それなのにあいつらは俺を無視しやがって!」


「それは何故だと思いますか?」


「え?」


「何か原因はないのですか?彼らがあなたを無視する理由。

嶋津さんには何か心当たりが?」


またしても予想外の事を聞かれて嶋津は一瞬頭が真っ白になった。


「そ、それは···」


「それは?」


「や、やつらのせいだ!やつら!!

いつも怒鳴り散らす部長と、俺を馬鹿にして笑ってる同じ部署のやつらだ!」


また何かを思い出したのか急に嶋津は立ち上がって椅子のまわりをグルグル回りだした。


「新入社員が入って張り切った部長は俺を新入社員の前で馬鹿にして怒鳴り散らした!」



(そうだ!忌々しいあの部長!あいつが俺を馬鹿にして皆の前で恥をかかせて俺を笑い者に)



「その部長さん。えーと河和田恒夫かわだつねおさん。

河和田さんは何故あなたを怒鳴どならしたと思いますか?」


「えっ?何故?知らねーよ!俺の事が気に入らなかっただけだろ!

確かに仕事のミスもしたさ!だけど皆何かしら失敗するだろ?なのに他のやつらには怒鳴らないのに俺にだけ怒鳴りやがって!

あんなクズ部長の考える事なんか知るかよ!あれはただのイジメだ!

俺をイジメて喜んでただけだ!」


かなり興奮しているのか嶋津は両手を握りしめ、肩でハァハァと息をしながら神之をにらみつけている。

神之はその様子をやわらかい笑顔を浮かべたまま見つめていた。


そして不意に膝に乗せていたノートをパンッ!と大きな音をたてて閉じた。


少し驚いて我に返った嶋津に、神之はさらに美しい笑みを浮かべて言った。


「凪砂さんはあなたの事をどう思われていたと思いますか?」


またしても予想しない問いに嶋津はびっくりして神之を見た。


「……どう……とは?」


「先輩として尊敬していた?好意をもっていた?

異性として好きだった?」


「えっ?えっと、好き……?」


「それとも」


少し大きな声で神之は嶋津の言葉をさえぎり、そのまま神之は真っ直ぐ嶋津の目を見た。


今まで浮かべていた柔らかな笑顔は消え、真顔になった神之はその顔の美しさゆえに驚くほど冷たい顔になった。

神之のあまりにも冷たい、だが美しいその顔に嶋津は恐怖を感じ動けなくなった。


「あなたの事、何とも思っていなかった。逆に気持ち悪いと思ってた。嫌いだった!!」


「なっ!!何を言ってるんだ!そんな訳ないだろう!!凪砂さんは僕を好きだったんだ!何も知らないくせに!!」


嶋津は神之を睨みつけた。


(あんなに楽しく話したのが嘘だとでも言うのか?彼女はいつも笑顔で話してくれた!)


「そうだ!今度一緒に食事に行く約束もしたんだ!嫌いなヤツと2人で食事行くわけないだろ!」



「でも、もう行けませんよね?」


神之はまた柔らかい笑顔で話し始めた。


「凪砂さんと食事。もう行けないですよね?」



(な、何を言ってるんだ?)


「き、今日は何日だ?」


「今日は3月11日です。」


「そ、そうだ!あと3日。

3日後の3月14日に食事の約束をしてるんだ!

彼女がバレンタインに僕にチョコレートをくれたんだ!

だからそれに答える為に食事を。」


「バレンタインにチョコレートを?凪砂さんがあなたに?」


「そうだ!だから僕は彼女の気持ちに答える為に食事と、お返しも準備してるんだ!


そうだ!彼女に答えないと!僕の気持ちもちゃんと伝えるんだ!」


嶋津はその時の事を妄想してるのか、ニヤニヤしながら両手を擦り合わせている。



神之はその様子を見ながら考えていた。

 


 次はどの手を使おうか。

 それとも終わりにするか。



「ホワイトデーに思いを伝え、そこからお付き合いを始める。

素敵なお話ですね。」


満面まんめんの笑みを浮かべたまま神之は言った。


「でも、もらってないチョコレートにはお返し出来ないですよね?」


「は?何言って?」


「もらってないですよね?凪砂さんからチョコレート。」


(意味がわからない。何を言ってるんだ?この女は?)


「はあ?何言うんだ!!もらったし!」


神之は右手の人差し指を自分の頬にあてて少し首をかたむけながら言った。



「だってぇ、刺しちゃったでしょ?凪沙さんのこと。

チョコレート別の人にあげてるとこ見て。」

 


(さ、刺した?俺が?誰を?何を、こいつは何を言って)



同僚どうりょうの松浪さんに凪砂さんがチョコレートを渡していた。

それを見たあなたは怒りを抑えきれずに凪砂さんを刺してしまった。

だからホワイトデーに凪砂さんとあなたが食事に行くのは不可能なのでは?」


満面まんめんの笑みを浮かべたまま彼女は話し続けた。


「島津さん、その後の事も覚えてないかなぁ?」


「その後?刺した?後?」


嶋津は呆然ぼうぜんと立ち尽くしたままオウム返しのように神之の言葉を繰り返した。


「止めに入った松浪さんを突き飛ばして、今度は近くにいた河和田さんに向かっていったでしょ?」


「河和田···部長?」


「そう!あなたが大嫌いな河和田部長!」



神之は立ち上がって嶋津に近づきその美しい顔を島津の顔にグッと近づけた。



「どんな気分だった?

大嫌いな河和田部長をメッタ刺しにした時。

気分よかった?気持ち悪かった?

それともすごく気持ちよかった?」



神之がキラキラと目を輝かせて嬉しそうにそう言った瞬間、

嶋津の体中に稲妻いなづまが走った。




バレンタインの日。


あの日。


真っ赤に染まった両手。


自分の下には真っ赤になった河和田部長。


いつも怒鳴り散らしていた口はだらしなく開き、そこからだらりと汚い舌が飛び出していた。


こんな時でも汚い。


それでも腹から流れる鮮血せんけつは真っ赤で美しい。


こんなに綺麗きれいな赤は見たことがない。

もっと刺したらもっと出るだろうか?

もっと綺麗な血を見れるだろうか?


そう思い何度も刺した。


何も聞こえない。


いや、誰かの笑い声が聞こえる。

すごく楽しそうだ。


そうだろう?

いつも偉そうに怒鳴り散らしていたこいつが、こんなに腹から血をらしているんだ。

笑いが止まらないだろう?


何度も刺しているうちに、この笑い声が自分から出されている事に気づいた。


ああ、そうか。



笑ってるのは、俺か。



そう気づいた時、周りの音が戻ってきた。



「救急車!誰か救急車を!」

「警察を呼べ!」

「誰か、誰か止めて!死んじゃう!部長!」



うるさいなぁ。

何でそんなに叫んだり怒鳴ったりしてるんだ?


こんなに綺麗な赤を見たことがないだろう?

あの汚い部長の中に、こんなに綺麗な物が入ってたなんて信じられない!



素晴らしい!






「そんなに血が綺麗でしたか?」


嶋津はハッとした。


「…………え?」


「気が付かなかった?今自分が刺した時の事を話してたのを。」


「刺した……時……の?」


「とても綺麗な赤だったのでしょう?」


そう言われた嶋津はゆっくりと自分の両手を見た。


今は赤くない両手。

でもあの時はとても綺麗な赤だった。

忘れられない赤。


もう一度見たいなぁ。


あんな汚い部長でもあんなに綺麗な赤だったから、もっと綺麗な人だったらもっと綺麗な赤なんだろうか?


「駄目よ。」


目の前にいるとても綺麗な人が駄目だと言った。


「とても嬉しそうに話してましたね。

きっとすごく楽しかったんでしょうね。」


神之は嶋津の両手首をつかんだ。


「でも駄目よ。私は殺せない。」


「や、やだなぁ。殺すなんて。

そんな事するわけないじゃないですか。ってか僕は誰も殺してなんかいないですよ。」


神之は手首を掴んでいる手に力を込めた。


「い、痛っ!ちょっ、離して下さい。」


嶋津はほどこうともがくも、一向に振りほどけない。

この細い体のどこにこんな力があるのかわからないほど神之の力は強かった。



「とても綺麗な赤だった。


河和田部長の血はとても綺麗だった。


最初は憎くて、苛立って刺したけど、あまりに血が綺麗だったから何度も刺してしまった。」



嶋津は両手首を掴まれたまま目を見開き神之を見つめた。



「凪砂さんは好きだったのに裏切られたので刺してしまった。

彼女の事は殺すつもりじゃなかった。


だって愛していたから。


ちょっとらしめようと思っただけ?

そうでしょう?」


「そ、そうだ!僕が凪砂さんを殺すわけないだろう?ちょっとお仕置きをしただけだ。

だから彼女は死ななかった!」


「そうね。彼女は生きている。」


「そうさ!だから14日は一緒に食事に行けるんだ!

そして僕たちはお互いの気持ちを確かめあって」



「ぷっ、ふふふふふ、あはははははは!」



「な、何が可笑おかしいんだ!何を笑ってる!」


急に大声で笑い出した神之を見て、嶋津は体中の毛が逆立った。


「ああ、ごめんなさい。笑っては失礼でしたね。


河和田部長の話に戻りますが、今は満足ですか?


怒鳴り散らす部長があなたの下で真っ赤になってどんどん冷たくなっていった。


もう怒鳴る事もできない。あなたをイジメる事もできない。


あなたはもう自由!


憎き部長はいなくなった!死んでしまった!


あなたが殺したから!」



神之と嶋津は真っ直ぐ見つめ合った。

しばらく二人共ピクリとも動かなかった。



「そう……。自由……。

あの部長はもういない。

俺が刺したから。


そうだ。


なんで今まで忘れてたんだろう?


綺麗だった。あんなに綺麗な赤だったのに。」


嶋津はその時の事を思い出してうっとりした。


神之はその様子を見て掴んでいた手首を離し椅子へと戻って座った。



「もういいでしょう。連れて帰って下さい。」



神之のその言葉を合図に扉が開き数人の男達が入ってきた。


「今ので充分でしょう?」


神之のその問いに一番後ろから入ってきた背の高い男が答えた。


「そうだな。本人も刺した事を思い出したようだし、これで取り調べが進む。」


「は、離せ!なんだ!お前らは!

俺はまだこの先生と話すんだ!まだ見てない!赤い、真っ赤、きっと綺麗だ!すごく綺麗な先生だからあいつより綺麗な物が見れるはずなんだ!」


「嶋津さん。」


両脇を屈強くっきょうな男につかまれ引きずられるように連れて行かれる嶋津に神之は声をかけた。


「あなたは今後あの綺麗な赤を見る事は一生出来ない。

そして凪砂さんにも一生会えない。


一線を越えると言う事はそういう事。


さっきも言ったけど私は殺せない。

刑務所で私の赤を想像して一生過ごすといいわ。」


神之は今までで一番綺麗な笑顔で言った。



「さようなら。嶋津さん。」



訳の分からない事を叫びながら嶋津は部屋から連れ出された。

扉を閉めてもまだしばらく声が聞こえていた。



「相変わらず性格が悪いな。」


「あら、酷い言いようね。

記憶がないと言って取り調べが進まないからなんとかしてくれと泣きついてきたのは源川みながわ刑事、あなたでしょう?

無事思い出させてあげたのだから感謝してほ欲しいものだわ。」


神之は不機嫌な顔で源川を見た。


その顔は美しいと言うより可愛らしく、普通の男なら彼女に心を奪われていただろう。


だが源川は神之の性格をよくわかっている。


彼女はヤバいやつだ。

今回の犯人、島津よりもずっと。


違う意味で恐ろしい女。


だがそんな源川さえその神之の可愛らしさに一瞬ドキッとした。


神之に気づかれないように表情を崩さず、今回一番聞きたかったことを聞いた。


「やつは本当に記憶がなかったのか?」



「ええ。彼は殺害時の記憶を消していた。


自分を守る為にね。


結局彼は自分が一番大事だった。

自分は悪くない、悪いのはあいつらだ。

そう思い込んで自分を守ろうとした。


ほんと最低な男だったわね。


でもまぁ、記憶を取り戻すなんて私には簡単な事でしたけど。」


神之がドヤ顔で自分を見てきたので源川は思わず笑ってしまった。


「なんで笑うの?おかしな事を言ったかしら?」


神之は意味がわからないと言うふうに首をかしげた。



「いや、悪い悪い。


そうだな。お前には簡単な事なんだろうな。


助かったよ。これでやっとこの事件も全容が見えてくる。

今からじっくり話を聞かせてもらうさ。


じゃあ、俺は戻るよ。ありがとな。」


源川はそう言って部屋から出て行った。




部屋に静寂が戻り神之は立ち上がって大きく伸びをした。

窓から心地よい風が入ってくる。



神之は先ほど閉じたノートを机に乗せ、白い革張りの椅子に座るとノートに今日の事を書き始めた。



人の心を覗き、掻き乱し、正体を暴くのは本当に楽しい。



これは私の天職ね、と神之は無邪気な笑みを浮かべた。











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