7.『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督・1997)
たまたま地上波で超久しぶりに見ただけなんですが、特に前半部分、なろうの異世界恋愛(言うていろんな作品がありますけれど、洋風で貴族社会で婚約破棄からのうんぬんかんぬんとか定番のテンプレ)と全然違うロジックでローズとジャックの恋が描かれていてぶったまげたので緊急メモなのです。
後で推敲&補筆するのです……
・政略結婚がわりとデフォルトの社会(少なくともヒロイン側は)
・婚約者がクソ
・ヒロインは婚約者ではない男性とくっつく
という、超ざっくりした構造は『タイタニック』となろう異世界恋愛、似てるといえば似ています。
で、なろう異世界恋愛であれば、婚約者が適宜浮気をしてくれ、婚約破棄された結果、紆余曲折を経てヒロインはハピエンするのですが……
『タイタニック』は全然違います。
ローズは自殺未遂から知り合ったジャックと恋に落ち、ママに「婚約者のメンツを立ててちゃんと結婚しないとうちら破産確定なんやぞ、うちにお針子になれいうんか」と詰められて(この説教場面、ママにコルセットを締め上げられながらなんで、うわぁ…となりました)、一度は諦めるも、やっぱこんな人生無理やぞー!ということで、燃え上がる恋の炎!
で、婚約者の部屋?で、ローズはブルーダイヤモンドだけつけたフルヌードで、ジャックに絵を描かせたりします。
このポーズ、娼婦を描いたマネの「オランピア」の引用ですよね。
なんでこういうことするかというと、一つはジャックを挑発したいというのもあるんでしょうけど(現在時の100歳のローズはそれで関係を持ったのかと聞かれて、彼は画家として振る舞った的なちょい残念ニュアンスで言ってたような)、金めあてで好きでもない男と結婚させられることは結局娼婦と変わらんやろという表現なのかなと思いました。
というわけで、婚約しているローズの方からゴリゴリ関係を迫り、二人は倉庫に停められた車の中でまあなるようになるわけなんですが、こちらでもあからさまにローズからくっつきに行っています。
車の場面では、ジャックは最初、座席にローズを乗せて、自分は運転席へ行くわけで、「お嬢様」であるローズに遠慮している感じもあります。
そんでそんなジャックをローズは座席に引っ張り込むと。
こんな(性的に)ぐいぐい行くヒロイン、なろう異世界恋愛では絶対にありえないですよね……
ま、書くことはできますが、感想欄でズタボロ言われる予感しかしない。
要はローズとジャックって、異世界恋愛で圧倒的に笑いものにされがちな「真実の愛」なんですよ。
ローズは婚約しているわけですし、そもそも無一文のジャックとくっついても破滅するしかない。
ローズ=アホの子王子、ジャック=ピンク髪男爵令嬢な役回りというか。
んだけど、『タイタニック』の世界観では、ローズにとってはこの掟破りが自分の魂を賭けた戦いなんです。
例の船首のシーンの手前で、ローズがジャックに「あなたの助けはいらない」と言い、ジャックは「そうだ、これは君の戦いだ」的なことを言う場面もあります。
で、ジャックを誘惑し、婚約者のキャルには名家のお嬢様というトロフィーとして扱われ(キャルはローズに執着はしているけれど、愛を求めているわけではない感ちょっとアリ、ローズを詰める場面で、自分を立てろとは言っても、自分を愛せとは言ってないし)、母親には資産として扱われていた「自分自身」を盗み返したところで、タイタニック号が氷山にぶつかるー!という流れになります。
ジェームズ・キャメロンは、『エイリアン2』のリプリー、『ターミネーター』シリーズ(特に2のサラ・コナー)、『アバター』のネイティリと、つよつよ女性大好き監督ですから、ローズも「この世界観におけるつよつよ女性」として造形されたんではないかと思います。
実際、タイタニック号が沈没した1912年(明治45年)は、イギリスでも婦人参政権はまだないのです。
婦人参政権運動自体は19世紀からあったのですが、部分的に実現されたのは1918年。
1857年に成立した「結婚と離婚法」では、「妻の不貞で夫は離婚できるが、夫の不貞ではできない」とか、「既婚女性の財産権は認めない」とかなっており、まぁ日本の明治〜戦前と似たようなアレな時代。
そんな状況ですんで、ローズが自分の心を殺さないためにジャックと関係を持つのは、リプリーがエイリアンと戦うくらいの、死にものぐるいな行為と言えんこともないのです。
ひるがえって、なろう異世界恋愛を考えてみますと──
なろう異世界恋愛で描かれる社会って、だいたい18世紀から19世紀くらいの感じ(ガチ中世社会はあんまない気がする)、男女の権利の差が大きく、封建的というか家父長制的な社会の場合が多いんではないかと思います。
目安としては、電信や電話が出てくる作品はきわめて稀(謎の魔導技術により高度な情報通信技術が発達しているとかはアリ)、鉄道はギリ出てくる作品もあった記憶ですが、自動車が出てくる作品は私は読んだことがありません。
『タイタニック』は20世紀が舞台なので、自動車とか巨大蒸気客船とかいろんなテクノロジー出てきますけど、第一次世界大戦前はまだ19世紀のノリ強いんで、世界観そこまで違わないのです。
でも、恋愛の描き方は明らかに違う。
恋愛物って、大古典『ロミオとジュリエット』『高慢と偏見』*のように、自分の地位とか資産とか度外視して愛に殉じる〜…的なものがひとつの王道だと思うんですが、そんなのなろう異世界恋愛でほぼほぼ見たことないのです。
婚約破棄されて色々あった結果、ヒロインは愛を得るだけでなく、相手がスパダリだったりして以前より地位が上昇することが多いですしね。
繰り返しになりますが、なろう異世界恋愛では、「真実の愛」は嘲笑の対象であって、ヒロインがやるものではないんですよ。
その意味で、「恋愛小説」という大きなくくりの中で、なろう異世界恋愛は、めっちゃいびつなところがあるんちゃうか思います。
特に、ザマァ要素が強い作品は、恋愛という皮をかぶった別の「なにか」なんじゃないかとだいぶ前から疑っておるのです。
その中で、なんで婚約破棄テンプレを使った作品がこんなに多いのか問題、ずーっと気になっていたのですが。
ヒロインがみずから婚約を踏みにじりに行く『タイタニック』を見てるうちに、もしかして、なろう異世界恋愛では、「婚約破棄『される』という受け身の立場をとることで、ヒロインは社会(もしくは自分の中にある規範)と対立しなくていいという構図」になってるんじゃないかという気がしてきました。
もちろん、婚約破棄をくらったヒロインはディスられたりハブられたり、ドアマット系なら家族の虐待が激化したり色々酷い目に遭うのもお約束ですが、読者はヒロインは「悪い子ではない」ことはわかっている。
で、ヒロインは、社会に虐げられることはあっても、みずから対立することはなく、色々ありつつ棚ぼたにハピエンを迎えると。
ローズのように、みずから規範に歯向かうことは、なろう異世界恋愛のヒロインはあんまりそんなにしないのです。
特に性的な規範(=つまり貞操に関わること)については、ほぼほぼしない。
ま、性的描写を含む作品は別サイトに隔離されるという事情もありますが。
ある意味、なろう異世界恋愛婚約破棄テンプレって、規範に従順であるという意味で、すっごい保守的な世界観なのかなという気がしてきました。
ま、「社会と対立」とか、クソだるいですからね……
とか言えるようになったのも、メアリー・ウルストンクラフトに始まる先人の血と汗と涙のおかげで、恋愛でも結婚でも、相手を自由に選べる世界になったからではありますが。
なぜこの自由な世界(そして、人が恋愛や結婚を忌避しはじめた世界)で、政略結婚とか婚約破棄とかそんなんばっかな作品を好んで読んだりするのか、というなろう異世界恋愛最大の謎は、謎のままですが、ままま、今日はとりあえずこんな感じでででで……(ダッシュ逃げ)
*ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』では、ヒロインのエリザベス目線では大金星の上昇婚!ですが、相手役のダーシーからすれば、ろくに資産もなく、家族にあきらかにクソが混じっているエリザベスと結婚するのは、色々投げ捨てている行動になります。