1-07
相変わらず賑わっている宿の食堂には寄らず、シオンとショコラは自分達の部屋で食事を作る事にした。
水や火の扱いは、問題を起こさない程度なら使っていい事は確認済み。買い物をしている時に見付けた屋台の味を再現出来ないか、試してみようという訳だ。
「まず、塩と胡椒は確定よね」
「そうですね、問題はお肉ですが……赤ワインで漬け込んでありましたよね」
「そうね、多分数日は置いたものだろうけど……ここでは保存場所が無いのよねぇ。この部屋にも置きっぱなしは出来ないし……」
「しかぁし! 我々には錬金術という素晴ら――」
「――無いわよ」
「……えっ?」
「無いわよ」
無いらしい。
「えっとぉ……数日分の漬け込み時間が一瞬で終わる様な物って……」
「そんな物余計に無いわよ。……まあ正確には、そこまで便利な物は無い、というべきかしら」
そう言ってシオンは普段使っている手帳とは違う、大量の紙を束ねたファイルを取り出す。
「ストックカードは封印みたいなものだから状態は変わらないし、収納領域拡張術式は結局持ち歩く事になるでしょ。それで漬け込む為の道具は……確かこの辺り……あったあった。これを見てもらえる?」
そう言ってシオンはザッザッザッザッと紙らしからぬ音を立てて、ファイルに挟んだ一枚の紙をショコラに見せる。
「これは……空気を抜いた上で保存する容器……ですか?」
「そう。こうする事で長く置いといても悪くなりにくくするの。でも、結局は時間を掛けないといけないから、今は使えないわね」
「そうですかぁ……そうだ、アレなんかどうでしょう! 圧力鍋!」
ショコラは自信満々の笑みでシオンの反応を待つ。褒めて! と言わんばかりに両手をシオンに差し向けてぴょこぴょこしているが、シオンの答えは渋いものだった。
「んんー……ダメね。いい案だとは思うけど、この部屋でやるには音がうるさすぎて他の人の迷惑になるわ」
「オォウ、まぁい、ガッ!」
つくづくオーバーリアクションだなぁ。と、ショコラを半目で眺めるシオン。
そこで、ある事に気付いて目を見開いたシオンは、視線そのままに手振りを加えながら思い付いた事を提案する。
「あ、そうだ。細かい切れ込みとか穴を開けて、揉み込んでやれば多少は染み込みやすくなるんじゃないかしら」
「……ねぇシオンさん、どうしてわたしを見ながら、わたしに向かって刺すような仕草を……あっ、いや、なんでもないですごめんなさい!」
ねっとりと問い質す様な口調でシオンに寄って行ったショコラだったが、シオンの表情は一切変わっていないものの、身の危険を察知して急速に後方へと避難する。
微笑みを浮かべるシオンが怖い。
「……と、お肉はこれでいいわね。あとは味付けだけど――」
そうして肉を漬けている間、幾つかパターンを変えて混ぜ合わせた調味料を作っておく。
焼いている間、匂いが部屋に籠らないようにと窓を開けると、爽やかな夜風が部屋に流れ込んでくる。
「さあ、シオンさん。始めましょうか!」
「ええ、どれから試してみましょうか」
漬け込んでいた肉を串に刺し、思い思いの調味料を付けたりして肉を焼き始める。
薪や炭を使う訳にはいかないので、アルコールストーブを使って鉄板を熱して焼いていく。立ち上る煙と共に広がる香ばしい香りが空腹の二人を激しく刺激してくる。
「……ねえ、ショコラ」
「はい、何でしょう」
食べ頃を真剣な眼差しで見定める二人。だがそこで、決して気付いてはいけなかった事が、シオンに強く襲いかかってきた。
「私達、どうしてこんなに、お肉を焼くのに全力を――」
「――シオンさん」
ショコラがシオンの言葉を遮る。肉に集中する彼女の瞳は見えないが、その姿から溢れ出る圧は凄まじく、シオンでさえ抗えずに何もする事が出来なくなってしまった。
「幸福というのは、待ってくれないんです。何気ない一瞬に隠れ潜む小さな幸せさえ、わたし達はその多くを気付かずに見逃してしまっているんです。そんなの、もったいないじゃないですか。例えその僅かなひと雫は小さく、どれだけ儚くても、確かにそこに存在しているんです。そう……その一つが今……ッ! ここにィ!!」
ここぞとばかりに焼けたばかりの肉串を大きく掲げるショコラ。タイミングよく吹き込んできた風が髪と服を靡かせ、それはまるで偉人の肖像画を思わせる威厳を放っている。
「いっただっきまぁぁあんぐっ!」
言い終わるより早く口に肉を頬張る。刹那、ショコラの表情は雪解けの様に柔らかく穏やかに、んふぅ〜と吐息を漏らす。
そんなショコラにつられ、シオンも肉に口をつける。
「……ん、いいわね。あの屋台の味とは違うけど、これはこれで……」
「さーどんどん焼きましょう! まだまだ宴はこれからだあぁ!」
それから二人は調味料を変えながら、休む事なく肉を焼き続ける。これは良い、これはもう少し何か足した方が……などと評価しながら、気付いた頃には準備していた全ての肉を食べ切っていた。
満足した二人は、暫し余韻に浸る。
火を止めても体を包む熱は、使ったスパイスの影響か、漬けたワインのアルコールか――
「ふぅ……これはまた、時間を見付けてやりたいわね」
「そうですねぇ、今度はワインの方にも幾つか味付けをして、じっくり漬け込んでから焼きたいですぅ……」
「そうねぇ……あなたの言った通り、こんな幸せを見逃すのはもったいないわねぇ……」
「あえっ? わたし、そんな事言いました?」
「えっ?」
……窓から吹き込む夜風は、とてもひんやりとしていた。
こいつら……どうしてこんなに、肉を焼くのに本気を出しているんだ……?