1-06
「シオンさ〜ん……シオンさぁ〜ん」
翌朝、そこにはシオンを起こそうとしているショコラの姿があった。
時刻は疾うに八時を過ぎ、部屋の外も大分静かになってきている。
ショコラは一時間以上前に起きて身支度を済ませていたのだが、どれだけ物音を立ててもシオンは起きそうになかった。
「うーむ……むふふ」
ここで、ちょっとしたイタズラ心が芽生えてしまったショコラ。
「ほれほれぇ、起きてくださーい、シオンさーん」
シオンの顔の側まで近寄り、頬を指でつついてみる。
「むー、まだ起きないかぁ……けっこう柔らかいなぁ」
――ふにふに。ふにふに。
それでも一向に起きそうにない。
――ふにふにふに。ふーにふにふに。
次第に楽しくなってきたショコラは、その感触を更に満喫しようと指の腹でぐりぐりしたり、つまんでみたり。
「ふふふ、やわやわぁ――ッだあ!!」
……噛まれた。
シオンに意識は無い。完全に無意識の中で行われた逆襲は的確にショコラの指を捉え、白き剣によって天誅が下されたのだった。
流石にショコラの悲鳴で目を覚ましたシオンは、未だ眠そうな目をこすりながら、体を起こして周りを見渡す。
明るい陽の光が差し込む宿の一室。少し離れて置かれている二つのベッド。そして、近くでうずくまるショコラ。
「あ゛……う゛ぉおう……おはようございまぁす……」
「おはよう。……何してるの?」
「いだァいでぇす……」
全くもって理解の追いつかない現状に、考える事を放棄したシオンはのそのそと朝支度を始める。
ショコラは涙目で指を揉んでいるのだが、彼女が何も言わないので特に気にしない事にして、朝食の為に一階へと降りていく。
食堂では数人が一つのテーブルで談笑しているくらいで、既に他の客は食事を済ませたようで見当たらない。
二人は無駄に広いテーブルよりカウンター席を選び、笑顔で迎えてくれた女将さんに注文をすると、すぐに料理が運ばれてきた。
二人前を注文するショコラにはギョッとしたが、女将さんも驚いて念入りに確認していたので、自分の感覚は間違っていないのだと一安心するシオン。
何はともあれ予定を進めようという事で、食事を済ませた二人は自分達の部屋へと戻る。
戻る途中に「すげぇ……あんなに……」などという声が聞こえた気がしたが、気にしない事にする。気にしてはいけない気がする。
「それじゃあまずは、手帳を作りましょうか」
「はい! ……えっと、えっ……?」
そう言ってシオンは幾つかの毛皮や布、様々な紐やよく分からない薄い板や台の様な物、そしてナイフを始めとした色々な道具を床一面に広げていく。
「……これ、全部作るための……?」
「そうね、この中から好きな素材を選んでいいわよ」
「その前に、えっと……この薄い板は一体……?」
ショコラが手に取ったのは、よく分からない薄い板。
質感としては木材の様だが金属にも似た輝きもある。重さは見た目より相当軽く、硬くもしなやかで折り曲げても割れそうにない。
「それ? ……ああ、分からないわ」
「分からないんですか!?」
「そんな事言われてもね……覚えてないのよ」
「えぇ……?」
渋い表情で咳払いを一つ。どうにも思い出したくなさそうな雰囲気を醸し出すが、嫌にジットリした視線を向けてくるショコラに根負けして、シオンは重い口を開く。
「……えっとね、植物の繊維や何かの粉末とか色々いい感じに混ぜていい感じに処理した物よ。軽くて割れない折れない。それでいて丈夫で変形もしにくくて、水にも熱にも強いの。手帳の本体には都合がいい素材よ」
「すごい物じゃないですかぁ。……どうしてそんなに嫌そうなんです?」
不機嫌そうに口を尖らせるシオン。これを売りに出せば相当な利益が出るに違いないのだが、どうにも様子がおかしい。
その事に疑問を覚えたショコラはねっとりとした表情で更に追求する。それでも目を背けたまま答えたくなさそうにしているのだが、シオンは少し恥ずかしそうにしながらボソボソと釈明を始める。
「……酔った勢いで作った物なの。……でも、何度試しても再現出来なくて……レシピなんてメモしてなかったし……でも便利だから捨てるにも捨てられなくて……このまま残ってると、その時の事を思い出して……ッ! ああもうっ! いいから始めるわよ!」
落ち着いた表情しか見せなかったシオンの意外な反応に、ショコラのニヤニヤは止まらない。
突然、スッと無表情になったシオンは、どこからともなく一本の小さなナイフを取り出し、軽く投げる様な素振りを見せながらボソリと呟く。
「……そういえばこの投げナイフ、暫く研ぎ直してなかったわねぇ……。刃もボロボロだし、刺さったら痛いだろうなぁ……」
「さああシオンさん! 始めましょうか! ええ! 始めましょうとも!」
身の危険を感じたショコラは慌てて話題をすり替える。
相変わらずスンとした表情のシオンに怯えつつも、作り方や素材について聞けば的確な答えが返ってくる。
ショコラは手帳を作りながら。シオンはナイフを研ぎながら時間は過ぎていく。
――サクサク、シャコシャコ。
――チクチク、シャコシャコ。
――シャコシャコシャコシャコ。
「シオンさん……? 一体何本ナイフ持ってるんですか?」
ショコラが手帳を作っている間はシオンはアドバイスをする程度で暇なのだが、次から次へと研いでは出てくるナイフ。その数は十本を超えてもなお増え続けている。
「ん? えっとね……普段使いの投げナイフが三本に、いつでも使える様にしてる小さなナイフ一本と薪割りとか護身用に大型のナイフが一本。料理用に数種類あって彫刻用は十五本以上あったかしら? あとクラフト用にも何種類か持っているし、普段使わない投げナイフも結構な――」
「――あ、すみません。やっぱりもういいです」
見た事もない形の物も多く、止めなければどこまでも出てきそうな勢いに圧倒され、ショコラは思考を停止させた。
「そう? ならいいけど……」
「一体どこにそれだけのナイフを……いや、ストックカードに仕舞っているんでしょうけど……ナイフって、そんなに沢山必要なんですか?」
渋々とナイフを片付けていくシオン。どこかしょんぼりしている様にも見える。
「そうねぇ……使いやすいナイフ一本だけで何でも熟す人もいるけど、やっぱり用途に合わせた道具の方が便利だからね。ほら、錬金術も鍋だけで何種類も必要になるでしょ? 大量の材料を使うなら大釜で作った方が楽だし、カップ一杯分のお湯を沸かすなら小鍋で十分。それと同じようなものよ」
「そっか……そう言われると確かにそうですねぇ……それにしても多い気がしますけど」
そうして作業を進めること暫く。途中で食事休憩を挟みながら、お昼を少し過ぎたあたりで遂にショコラの作業が終わる。
基本的な構造はシオンの持つ手帳と同じにして、外側を覆うカバーにはサラサラした手触りの毛皮を使い、オシャレに仕上げている。
「でっきましたぁ! どうでしょう、シオンさん!」
「いいわね。自分の作った物なら補修もしやすいし、もっと使いやすいように作り直すのも簡単よ。気に入ったのなら、どんどん使うのよ」
「はい! 早速ギルドで情報収集しに行きますか!」
ワクワクウキウキのショコラに対し、シオンは少し悩む素振りで窓の外を見る。
「そうねぇ……今日は買い物だけして、そのまま帰ってきましょ。あなたに貸すための装備も整えておきたいし、ギルドに行くのは明日にしておきましょう」
「ん? ……はい、わかりました」
外は快晴とまでは言えないが、明るい青空が広がっている。
シオンの反応に少し疑問を感じたショコラだったが、特に何も聞かずに出掛ける事にした。
まず向かったのは服屋。
シオンとしては、ショコラの服を一式揃える程度だと考えていたのだが――
「シオンさんっ! これとかどうでしょう?」
「そんなに……いえ、いいんじゃないかしら……」
――圧倒されていた。
実用性を重視するシオンとは異なり、年頃の女の子であるショコラはつまり……まあ、そういう事である。
先程ナイフの話をした時の事が頭を過ったシオンは何も言えず、ただ肯定するしかなかった。
結局服屋を後にしたのは、それから二時間後の事だった。
最終的にショコラが選んだのは五着と、なぜかシオンの服も一着買っていた。それでも事前に相談して決めていた予算内に収めているあたり、流石というべきか何というか。
「シオンさん、次はどの服屋に行きます?」
「次は食料品を買いに行くのよ! これ以上服を買ってどうするっていうのよ!?」
やんややんやと言い合いながら街中を歩く二人。
保管については便利なモノがある為、気にせずどんどん買い込んでいく。
時折屋台で買い食いしながら、美味しい物があればどんな材料を使っているのか話し合ったりして、今後の食事に期待を膨らませる。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていき、夕方になって店が閉まり始めたのを合図に二人は宿へと帰る事にした。