1-05
翌日、先に目を覚ましたのはショコラだった。
――もぞもぞ、もぞもぞ。
その音に釣られてシオンも目を覚ます。
――ガサゴソガサゴソ。もぞもぞもぞ。
音を出さない様に気をつけながら、シオンはそっとハンモックから顔を出す。
視線の先は、ショコラに貸しているハンモック。眠りにつく前にもかなり怪しい動きをしていたのだが、今は宛ら糸に吊られたイモムシの様だ。……あ、腕が出た。
この後起こるであろう未来は見えているが、一応は形だけでも助けようとしたフリはしておこうと、シオンも起きる事にする。
――ずるずる……ドサッ。
案の定、間に合わなかった。
盛大に背中から落ちたショコラを、シオンはハンモックに座りながら笑い飛ばす。
「ぐぅえぇぇぇ……」
「ほら、ちゃんと起きなさい。急いで支度するわよ」
帰りには何事もなく、予定ギリギリにはなったが陽が暮れる前には街に帰り着いた二人。
道中、満面の笑みで「良いものを見つけましたァ!」と蛇の頭を鷲掴みにしたショコラにはギョッとしたが、美味しかったので問題無し。
すぐにでも宿で休みたい所だったが、報告の為にギルドへと足早に向かう。
ギルドに入ってきた二人の姿を見て駆け寄ってきた人物が一人。シオンを担当した受付嬢だ。
彼女の手には一枚の依頼書が握られていた。その内容は見るまでもなく予想がつくが、既に受付嬢の手によってクシャクシャにされている。聞くまでもなく、不要になったという事だろう。
「シオンさんっ……!! 無事に見付けられたんですね!」
「ええ。報告、いいかしら?」
「では、こちらへ。……ショコラさんも一緒に、お話を伺いますね?」
二人は揃って、二階の個室へと案内される。
そこには大きめの机と数人分の椅子が備えつけられ、いくつかの資料が置かれている。特別な依頼の相談や報告に使われる部屋だ。
シオンとショコラは受付嬢……フィアに、何があったのか、樹海に異変は無かったかなど聞き取りを行われる。
通常であればショコラには相応のペナルティが課せられる事になるのだが、依頼自体大したものでもなく、シオンが自身の依頼だけでなくショコラの受けた依頼の品も採集してきた事で、温情措置として暫くは単独での依頼遂行を禁止されるに留められた。
「それにしても、本当に……無事に帰還されてよかったです」
「はいっ、師匠のおかげです!」
「……師匠?」
それまで見るからに小さくなっていたショコラが、途端に水を得た魚の様に元気に答える。
疑問の表情を浮かべるフィアだったが、それに応えたのはシオン。
「ええ、まあ……かくかくしかじかで」
「まるまるうまうまですね。でも、それでしたら安心です。探索に不慣れな方をサポートして頂ける方がいらっしゃるのは、ギルドとしても大変ありがたいです。……となると、また樹海に向かわれるのですか?」
「そうね。準備をしたらまた出掛けるつもり」
「そうですか。シオンさんが一緒なら大丈夫とは思いますが、くれぐれもお気をつけて。ギルド二階には資料室もございますし、他にも何かありましたら是非お声掛けください」
依頼を受けてなければ何かあっても気付けないですし……と、ショコラに釘を刺しておくフィア。
全ての手続きが終わり、シオンへと報酬が渡される。その額は大した金額ではなかったが、最初に受けた依頼から考えれば良い稼ぎになったと言えるだろう。
フィアに見送られギルドを後にした二人は、急ぎの用事は無いからと宿へと直行した。
シオンが以前泊まった宿に着くと、一階にある食堂は特に忙しい時間という事もあり人で溢れていた。勝手は前に聞いていたので数日泊まると伝えた上で、代金と引き換えに鍵と簡単な食事だけ受け取り部屋へと向かった。
「ふかふかぁ〜! ふか……ふかぁぁ……」
「あ、襟にムカデが――」
「――ふぉあ!?」
部屋に入るなりベッドにダイブしたショコラ。やはり遭難した疲労と精神的な不安は相当なものだったのだろう。緊張が解けたショコラは安心しきった表情でそのまま眠りに入りかける。
そんなショコラとは一日二日の関係ではあるが、既に扱いは心得たとばかりに目を覚まさせるシオン。
「どこですかッ!? え゛!? どこどこ!?」
「嘘よ」
その一言は相当に堪えたらしく、騙されたと知っても「コオォォォ……」と、息を漏らしている。
「ほら、せめて着替え……は、無かったわね。上着くらいは脱いでおきなさい」
「ふしゅぅぅぅ……完全に目が覚めましたァ。すっかり目が覚めましたァ」
シオンに恨みがましい視線を向けるでもなく、ただただ打ち震えるショコラ。流石にやり過ぎたかと思うものの、これは使えそうだとこっそり記憶の片隅に入れておく。
「さ、それならさっさと夕飯を済ませてしまいましょ」
興奮したままのショコラをどうにか落ち着かせ、今後の予定を話し合いながら食事を進める。
最優先事項はショコラの服。普通にしてはいるが、やはり少しキツいらしい。何と贅沢な。
元々着ていた服はボロボロで、わざわざ補修するより新しく買ってしまおうという事で一旦解決。
次に装備品について。
ショコラが身に付けていた物はほとんど失くしてしまったが、そもそも大した物も無かったので放置。
シオンに至っては、頻繁に使う小物こそウエストポーチやベストのポケットに入れているが、後は全てストックカードに収納している。そのカードの量が中々に多いのだが、その点については今はさておき。
……つまり、ショコラに貸す為のバックパックが無いという事だ。
探索用のツールベルトくらいなら予備はあるのだが、多くの荷物を入れられる物は持ち合わせていない。
これは工房に帰ってから満足する出来のカバンを作る事にして、それまでは全てシオンが持つ事に決まった。
野営道具等もシオンの持つ予備で済ませる事に。
「……さて、それじゃ残るは探索についてだけど、……あなた、手帳は持ってる?」
「えっと、証明手帳の事ですか?」
「いいえ、メモを残す為のものよ。採集に出掛けるなら事前に目的地の情報を調べて、生息する動物や危険な魔獣、他にも注意しておかないといけない事をまとめておいたり、後でやっておきたい事を書き留めておくの。……私ならこれね」
そう言って、ショコラに自分の愛用する手帳を渡して見せてやる。
「ほえぇ……地図なんかも一緒に入れておけるんですね。わたしは錬金術の事をまとめているノートなら工房にあるんですが、こんなのも必要なんですか?」
「ええ、ギルドに行けば特に注意しないといけない事は掲示板に張り出されているし、採集地の情報なんかも資料室で調べられるの。……まあ、それが出来ていれば今回みたいな事にはならなかったでしょうね」
痛いところを突かれ、ウッと胸に手を当てるショコラ。そんなショコラにイタズラっぽい笑みを浮かべてフォローを入れてやるシオン。
「まあ、最初は誰だってそんなものよ。知らない事や足りない物を一つずつ知っていって、少しずつ成長していくの。……ま、その段階で死ぬ人も多いんだけどね」
「ぐぬぅ……この度は本当にありがとうございました……」
「ふふっ、そういうのを教えるのが、師匠としての私の役目よ。……材料はあげるから、明日起きたら作りましょうか」
これからの予定も決まり、錬金術や他愛のない話に花を咲かせる二人。
程よく話題も落ち着いてきたあたりで、ショコラが「くぅぅ」と伸びをしてベッドに倒れ込んだかと思えば、そのまま動かなくなった。
少ししてその事に気付いたシオンが声を掛けるが、ショコラは完全に深い眠りに就いてしまったらしく静かに寝息を立てている。
ちゃんと寝かしつけて毛布を掛けてやっても、目を覚ます気配のないショコラの顔を眺めるシオン。
「……ほんっと、妹ができたみたい」
一筋の光が、彼女の頬を伝っていた。