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「え、帰らないんですか!?」
「死にかけた人が何を言ってるのよ。死にかけた人が」
「ぅえ〜……二回も言わなくても……」
まだ周囲は明るく、シオン一人ならば帰り始めてもいい時間。だが、体調が万全でない人を連れていては話は別だ。
「あなたの体力を回復させるのが先よ。いいから休んでなさい」
「うぅ……はぁい」
とはいえ、周辺での採集も野営の準備も、大して時間も掛けずに終わらせてしまった。
シオンは薪として使えそうな木を焚き火の近くで乾燥させながら、在庫の減った治療薬の調合を始める。
それまでだらしなく口を開けてアホ面を晒していたショコラだったが、普通の錬金術師から見たら口を揃えて『絶対にありえない』と言うであろうシオンの行動に、目を丸くする。
「それは……蒸留器ですか!? シオンさん、まさかこんな所で調合を!?」
「ええ、そうよ。時間もある事だしね」
そんなショコラに、あっけらかんと応えてしまうシオン。
「ほら、私旅をしているじゃない? だから決まった工房なんて持ってないし、臭いの気になる調合なんかは宿屋では出来ないから」
「いや……でも、ううむ……」
錬成や調合は、設備の整った工房で行うもの。シオンはさも当たり前の様に作業を進めているが、ショコラは驚きを隠せずにいる。
そうして時折話をしながら、日が暮れるまでの時間を過ごしていく。
シオンは調合を、ショコラは真剣な眼差しでその姿を眺めている。
「……さて、そろそろご飯にしましょうか」
「お手伝いします!」
明日は一気に樹海を抜けるのだからと、夕飯は肉や木の実を多めに入れたスープにした。
とろりとしたスープを飲み込む度、心まで温まる感覚がショコラを包み込む。近くで採ったハーブも入れているおかげか、さっぱりとした後味が更に食を進ませる。
作り過ぎたかと思っていたシオンだったが、みるみるうちに無くなって底が見え始めた鍋に少し安堵する。
全て食べ終わってもどこか物足りなさそうにしているショコラに苦笑を零しつつ、食後のデザートとしてフルーツケーキも出してやるが、決して少なくない量があったはずなのに平らげてしまったのを見て、流石に引いてしまうシオン。
自分より小柄な彼女のどこに入っていったのか不思議に思うが、とても幸せそうにしているので良い事にしておく。
片付けをしている間、先程までとは打って変わってどこか思い詰めている空気を醸すショコラ。
まさか逆流の大災害を引き起こすところではないかと注意を向けておくが、それとは少し違うご様子。
後はもう眠るまでどうしようかという段階で、ショコラが意を決した様に動く。
シオンの前でぺたんと両膝を着いて座り、シオンを見据え一拍。両手を地面に着けたかと思えば、目にも止まらぬ速さで額が後を追う。いくら地面が柔らかいとはいえ、彼女が立てた音は流石に痛そうである。
もはや清々しいまでに完璧な土下座を披露するショコラに、動揺を隠し切れないシオンは重々しく問いかける。
「えっと……それは一体なに?」
「土下座です」
「それは見てわかる。……どうしてそんな事を?」
苦虫を噛み潰した様な、湖の近くで這いつくばり全身泥塗れになった人を見る様な。憐れみすら含んだ瞳でショコラを見据える。
「お願いします。どうか、弟子にしてください!」
「はぁ…… 私、旅をしているんだけど」
「そこをなんとか! わたしの工房なら部屋は空いてますし、宿泊料は相殺という事で!」
「あなた……結構図太いわね……」
旅をしている私を引き留めるのか、という意味で言った言葉に対して想定外の返しをされ、思考を放棄し始めるシオン。
ここで突き放した所で寝るにはまだ早く、特にする事も無いからと諦めて話だけは聞いてみる事にする。
「で、どうして私を師匠に?」
「そのぉ……かくかくしかじかで……」
「まるまるうまうまね。ちゃんと詳しく説明しなさい?」
「はいっ! その……わたし、都市の方でお店を開いているんですけど……あっ、経営が苦しいとかは無いんですよ! むしろ順調と言いますか、安定してると言いますか――」
「――ごめん、簡潔にお願い」
シオン、またしても諦める。
「わたし、もっと錬金術の腕を上げたいんですっ!」
ショコラはただまっすぐに、確固たる意思を感じさせる瞳でシオンを見つめる。
嘘偽りの無い、純粋な言葉にシオンは、自分が調合をしていた時に感じたショコラの真剣な眼差しを思い出す。
「そう……でも、今でも十分に稼ぎはあるのよね?」
「はい。いつも来てくれる常連さんもいますし、今のままでも生活に不安はありません。でも、それだけじゃ嫌なんです」
ショコラの瞳にはシオンが映っている。が、それはどこか、遙か先を見据えている様にも見える。
「今までも都市で……ミンティアラにいる錬金術師に弟子入りした事はあるんです。でも、教えてもらったのは錬金術師なら誰でも知っている様なポーションや道具くらいで……こう言ってはなんですが、わたしはすぐにその人を超えてしまったんです。それからも自分なりに調べたり、色々な方法を試してみたり……でも、わたし一人では超えられない限界があったんです」
言葉だけを見れば、何と高慢な奴なのかと思われるだろう。しかしその表情からは、自慢や誇張の類は一切感じられない。そこにあるのは、どこか悲しげな……悔しさが滲んでいる。
「シオンさんが持っているの、ストックカードですよね。製作難度は一級。運用技術も相応に高く、素材の入手は奇跡が更なる奇跡を呼び寄せなければ出会えない程。そんな途方もない物を幾つも使っているシオンさんの調合している姿を見ていて確信したんです。シオンさんと一緒なら、手の届かなかった世界に近付く事が出来るって! だからッ……どうか、お願いします!」
シオンは思わず「へぇ……」と、吐息を漏らしてしまう。
自分一人では成し得なかったであろう所まで、彼女は既に至っている。
己の限界を知り、それでもなお挫けずに、貪欲に……
「……わかったわ。その話、引き受けてあげる。……でもひとつだけ、訂正しておきたい事があるの」
そう言ってシオンはカードを一枚取り出し、ヒラヒラと弄びながら告げる。
「このストックカード、実はあなたでも使えるのよ」
「え、でもそれって、作った人でなければ上手く扱えないって――」
「――そうね、世間一般にはそう伝えられているわ。童話で危険な代物として、恐怖を刻み込まれるくらいにね。でもこれは、そんな『駄作』じゃないの」
シオンは、それはそれは嬉しそうに言葉を紡いでいく。
「わるーい商人は、奪い取ったカードを早速使ってみました。すると、何という事でしょう。商人がカードの中に封印されてしまったではありませんか。……大体、そんなお話だったわよね?」
「はい……悪い事をしていた商人がいなくなって、街の皆が安心して暮らせる様になる。そんなお話でした」
「そう。その話自体は、本当にあった事らしいわ。でもね、この話には続きがあるの」
そわそわと、自身の知らない話に聞き入るショコラに、勿体ぶる様に溜めに溜めて。
「錬金術師、ラズワルド。その妻で魔道具技師のステラ。後世に名を残す偉大なる発明家であるこの二人が、そんな欠陥を放置なんて出来る筈がない」
「えっ!? ストックカードもあのお二人が作り出したものなんですか!?」
「そうなのよ。でね――」
それはもう自分の事の様に語るシオン。
興が乗った二人は他にも錬金術の話題で盛り上がり、眠るまで話をするのだった。
……しかし、ショコラは気付かなかった。偉人として語り継がれる程昔の出来事を、どうしてシオンはこれほど知っているのか。その理由を知るのは、遥か先のお話――。