2−03
ショコラは開店準備を整えると、すぐ出掛けていった。
この店はショコラ一人で運営していて、その殆どが商店や工場などの大口の取引相手。定期的に決まった数を納品する事になっていて、今出掛けていったのも、帰って来た事を報告する為の挨拶回りである。
他にこの店を訪れる人は、特殊な薬を探している人や素材の買い手を求めて辿り着いた人が殆どで、直接訪ねてくる人はあまりいないのだとか。
開店準備についても、サンプル用に置いている商品の状態確認や掃除をした程度。それもシオンが手伝った事で早々に終えてしまった。
つまり、シオンは今、とても暇なのである。
一応、工房は自由に使っていいと言われて借りているが、その作業も一段落し、今は出来上がるのを待っているだけ。
透明なガラス鍋の中でコポコポと浮かんでは消える気泡を眺めながら、若干重くなってきた瞼に抗う気力も無くぼーっとしていると、来客を告げるドアベルが鳴った。
工房から顔を覗かせると、そこには青年がキョロキョロと視線を彷徨わせる姿があった。
「こんにちは、お客様かしら?」
「ああ、ラムダシア商会の者なんだが、えっと……煙突から煙が昇っているのが見えたんだけど、ショコラさんは帰って来ているかな?」
整った服装の青年は少し困惑した様子で、窺う様に聞いてきた。
ショコラの名前を出したという事はおそらく、取引先の一つなのだろうとシオンは結論付けた。
「ショコラは今出掛けていて、何時に帰ってくるか分からないのだけど……注文があれば私から伝えておきますよ」
「そうか、出来れば挨拶しておきたかったんだが、タイミングが悪かったかな。ではこの注文票を渡しておいてもらえるかな」
そういって手渡された伝票を見て、シオンは言葉を失った。
商会や工場との取引という事は数量も少なくはないだろうと思ってはいたが、その数は想像より桁が違った。比喩ではなく、実際に桁が違ったのだ。
工房には確かに大型の設備もあったが、それを使うにしても大変な労力を伴う事は想像に難くない。
シオンの考えている事を青年も感じ取ったのだろう。申し訳なさそうにシオンに問い掛ける。
「貴女は、ここの新しい従業員かい?」
「あ、ああ、いえ、私はショコラに錬金術を教えて欲しいと言われて来ただけで、そういう訳じゃないわ」
「そうか、てっきり生産が追い付かなくなって負担になっているかと思ったんだが、違ったみたいだね。という事は、あれか……? 彼女にはまだ、余裕があるという事か?」
最後の方にはぶつぶつと言い始めてしまった青年の表情には、畏怖にも似た感情が見えた。
「やっぱりあなたも、この量は多いというのに気付いてはいるのね?」
若干問い詰める様に聞いたシオンではあったが、その真意を知ってか知らずか。青年は押し迫る様に口を開いた。
「そりゃあそうさ! 普通一人に……いや、一つの工房に頼む量とは桁が違うんだ! 彼女がここに来た頃には他数件に依頼していた仕事を、ここの先代が引退する頃には一手に引き受けて……」
明確に嫌な顔をするシオンに気付き、青年は昂った感情を抑えて、努めて冷静に言葉を続ける。
「すまない、取り乱してしまったね。これは彼女が希望して、この量になったんだ。今では他に一件を残して、錬金術師は引退してしまってね。我々としては助かっているんだが、これ以上彼女にだけ頼んでしまっては、残った錬金工房に回す仕事が無くなってしまうし、在庫も持て余してしまうから抑えてもらっているんだが」
打って変わって悲壮感を漂わせる青年は、間に挟まれた立場の嘆きを切実に語る。
「彼女……ショコラさんは本当に一人なんだよね?」
「そう……ね……、まだ一人しか見てないわね。食事の時も」
「確信を持てないのが、なんとも悲しいね。やっぱり、そっちの方も相当なのかい?」
「軽く二、三人分は超えてるわね。知ってるの?」
「まあ、食品とかもうちで扱っているからね。彼女は売りも買いも一番のお得意様だよ、業者レベルのね」
期せずして意気投合した二人。そこに元気よく扉を開け放って入って来たのは、紛う事なくショコラ本人。
「たっだいま帰りましたぁ! あら、アルフレッドさんも、いらして……な、なんですか……?」
商会の青年、もといアルフレッドとシオンに揃ってため息を吐かれたショコラは、得も言われぬ雰囲気に圧され後退ってしまった。
工房主が帰って来たならもう良いだろうと、受け取っていた伝票をショコラに渡して、シオンは工房に戻って椅子に座り直した。
それはもう嬉しそうに食料の注文をするショコラと困惑するアルフレッドの声を背に、未だ変わらず鍋の中でコポコポ音を立てる気泡を眺めながら、ずっと引っ掛かっている『何か』の正体について考えを巡らせる。
それはショコラの事で間違いはないのだが、どこかで聞いた事がある様な、もしくは見た事がある筈なのに、一向にそれが何なのか分からない気持ち悪さが更に頭を悩ませる。
尋常ならざる仕事量、底抜けの明るさ、大食い、途方もない魔力量、覚えの良さ、大食い、高い集中力、大食い、大食い……。
途中から彼女の底無し胃袋に意識を持っていかれたシオンは、これからの食事の準備に気が重くなってしまった。
シオンは食事が嫌いという訳ではないが、『美味しい』という感覚が曖昧で、空腹を満たせればいいという考えでいたりする。
しかし、味覚が鈍いのでもなく、ちゃんと好みもあるので食事は欠かさず摂っているが、少食のシオンにとって無限の胃袋を満たすだけの料理を作るのは少し負担を感じてしまう。
軽く頭を振って、ネガティブな思考を振り払って考えを戻す。
誰かに似ているのか、それとも色々な記憶が混ざっているだけなのか。それすらもハッキリせず、ただ泡だけが蒸気となって空気に溶けていく。
今回短いのと内容的に物足りないというかなんというか……アレなんで、今日のうちにもう一話出します。(たぶん)
出したいな。(出来れば)
出せるかなぁ……