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一晩寝れば、ショコラは完全に回復していた。
それとは対照的に、体力はあって身体的な疲労は大して残っていないシオンの方は、精神的な疲労が増す一方。その元凶といえば……
「これは、そうした方がっと……ふふふっ」
「ッ!?」
この、変質者である。
自分の手帳に触れる度に表面を撫でている姿も十分に変質者であるが、その姿を自身のホムンクルスと重ね合わせて見てしまい、ショコラの手帳を見る度に警戒してしまうシオン。
そんな気持ちを知ってか知らずか。ふと視線が合ったショコラは、満面の笑みを湛える。
「……はぁぁ」
「ぇえ!? なぜにため息!?」
「……さ、撤収して進みましょうか」
「あんるぇ? 答えては……あっ、コレ解くんですね、はい」
前日はシオン一人で設営した寝床も、撤収は二人で、急がず丁寧に片付けていく。
そして解いたロープをショコラにもう一度結ばせたりして、その一つひとつを教えていく。
「……次はロープの纏め方だけど、端を巻き込まない様に持ったら輪を作って……このロープなら、もう少し小さくして……そう、次は内側に捻って入れるように巻いて。……出来てるわね。それを交互に繰り返して巻いていって」
「む、難しいです……そのまま巻いていったらダメですか?」
「ダメって程じゃ……いえ、ダメね。初めてのうちは気にしないかもしれないけど、そのまま一方向に巻くと、解いた時に捩れたり絡まったりしやすいの。もう少し巻いてから解いてみると、感動するわよ?」
「いやいや、そんな変わるなんて……んむぅ、難しい……ほぉうわあぁぁぁ! 快感! 快感ですッ!」
交互に巻き取るのに四苦八苦しながら、どうにかロープを纏めていくショコラ。それなりの長さを巻いたところで一方をシオンに持ってもらい、最初に手に持ったロープの端だけ持って後ろに下がっていくと、スルスルと綺麗に伸びていくロープ。
大喜びするショコラに釣られて笑顔になったシオンは、その大切さを更に解説する。
「ふふっ、気持ちいいでしょう? これは八の字巻きって言って、手と肘に掛けて交差させながら巻く方法もあるんだけど……私としては、今教えた巻き方の方が好きね。これはどんなに長くても捩れにくくて、太くて固いロープ程効果は大きいの。余計な捩れが少ない分、寿命も長くなるし……何より無駄な作業を省けるから、巻き方に慣れておいて損はないわ。輪の大きさを一定に保つ事には気を付けて」
「うぅん……でもこの巻き方、やっぱり難しいです」
「それは慣れたら気にならなくなるから、回数を熟す事ね。あなたなら、気付いた頃には無意識に出来る様になるわ」
ぎこちない動きで時間は掛かっているが、それでも丁寧に一巻きずつ纏めていく。それを見守るシオンも、急かさない様に優しく声を掛けながら、最後まで巻き終わるのを待つ。
「……よし、出来ましたぁ!」
「ええ、上出来よ。最後にバラけない様に縛ればいいんだけど……私がやるから見ていて」
「はいっ……ぅおぉ、腕が軽いです」
巻き終えたロープをシオンに渡したショコラは、開放された左腕を回して解す。
「最初に持っていた端は、見失わない様にしっかり持っておいて。そうしたら最後の余った部分で持っていた所を巻いて中に通す。そしたら八の字を描く様に反対側も巻いて中に通したら……これならもう一度八の字を描く様に巻いた方がいいわね。そうして引き絞れば綺麗に纏まるから、最後にグルグル巻いて……最後の端を輪っかを作る感じで折り返してから、巻いた部分に差し込んで、緩まない様に出した部分を引き絞れば完成。こんな感じに、引けば解ける結び方をすれば、次もすぐ使えるから便利よ。固くて引き絞るのが難しいロープだったら、持ってる所だけグルグル巻いて結ぶだけで十分よ。分かったかしら?」
「おぉ……でも、ちょっと覚え切れるかどうか……」
「さっきも言ったけど、これは何度も繰り返していれば自然と身につくものよ。焦らなくていいから、もう一本はあなただけでやってみて」
「はいっ! がんばります!」
そうして残りの一本もショコラにやらせる。
最初こそぎこちなかったが、やるにつれて大分上手く巻ける様になっていった。最後の纏める部分は引き絞るのが楽しかったのか、何度か結んでは解いて、初めてやったとは思えない程綺麗に片付けられる仕上がりになっていた。
その様子を見ていたシオンも、嬉しそうにショコラの成長を褒める。
「これだけ出来れば、もう完璧ね。正直、こんなに早く出来る様になるなんて、思ってもいなかったわ」
「えへへぇ、そうですかぁ?」
「ええ、本当よ。あなたは覚えも早いけど、教えた事に真剣に向き合ってくれるから、私としてもすごく嬉しいわ。それが錬金術に限らず、フィールドワークに対しても」
「そんなっ……えへへ……」
こんなに褒められると思ってもいなかったショコラはモジモジと、本気で照れている。
「そうよ。だから……」
そんな彼女にならあるいは。と、シオンは考えていた事を口にする。
「……あなたには、『スカウト』としての技能も、教える事にするわ」
「えっ……スカウト、ですか……?」
ギルドでは依頼を熟す者達を、得意分野によって役割での評価を行なっている。
例として戦闘であれば、火力を出す事に特化した『アサルト』に、味方を守る要となる『タンク』。戦闘外なら武具製作に特化した『スミス』など、大まかにはその様にして技能別に評価される。
人によっては複数の役割で実績を残す者もいるが、有名になる者達は大抵いずれかに特化している。
シオンは、非常に優秀な『スカウト』だ。
『スカウト』は、主に偵察や搦手による技能を得意とした支援・遊撃型の役割を担う。
目標の痕跡を辿り、気付かれる前に仕留める。もしくはトラップを仕掛けたり、遠距離から撹乱させる様な攻撃を得意とする。戦闘外に於いては探索や索敵、危険察知といった技能で安全に依頼を熟せる者として、単独でも高い依頼達成率を誇り、パーティーを組めば生存率が上がるとして非常に重宝されている存在だ。
しかし、それだけの能力を独学で得られるはずもなく。ベテランに長期間教えを請うて漸く役に立つといった具合で、その修行期間と重責という敷居の高さから人気は低い。
シオンが若くしてこの能力を得ているのは、やはり育った環境のおかげだろう。
彼女は錬金術師でありながら、物心ついた時から自然の中で過ごしてきたと言っても過言ではない。
その生活の中で得た能力は、成人を迎える頃には既にベテランの域に達していた。
ギルドで依頼を受けても、その全てを高い評価で完遂。行方不明者の捜索もシオンが行けば、生死を問わず状況を正確に事細かく報告し、その後のギルドの行動にも役立ち、大きな功績を残してきた。
ギルドでフィアに証明手帳を見せた際に驚かれたのも、この為だ。
二六歳という若さにしてこれほどまでの功績を残す者は異例であり、スカウトとしてはギルド史上類を見ない実力者という訳である。
「――錬金術師として高みを目指すなら、自分で素材を採りに行って、自分の目で必要な物を選ぶ必要も出てくるでしょう。……どうかしら。あなたにとっても、悪い話ではないと思うの」
スカウトについて説明したシオンであったが、断られる可能性も考えていた。
ショコラには『錬金術』の師匠として教えを請われたに過ぎない。それだけでもシオンから得られるモノは非常に多いだろう。
素材ならギルドで依頼を出せば護衛を雇うことも、採ってきてもらう事も十分出来る。それでもなお、危険を冒す覚悟はあるのか。必要性を感じるかどうか。
その選択は、ショコラに委ねる事にしたのだが……
「お願いします。シオンさんさえ良ければ、わたしは何でも知りたいです。わたしの夢は、目指しているのは――」
ほぼ、即答だった。悩む素振りも見せず、ただただ真っ直ぐなその思いを。その気持ちを。
「――歴史に名を残すくらい、立派な錬金術師になりたいんです!」
その瞳は、シオンに弟子入りを願った『あの時』と同じ。
純粋に、愚直なまでに、透き通った瞳をしていた。
シオンは『あの時』の事を思い出していた。
少し気恥ずかしかったのかもしれない。嬉しさに舞い上がっていたのかもしれない。『あの時』の自分はそれを誤魔化すみたいに肯定だけして、違う話題にすり替えてしまった。
でも、また彼女にそんな態度をとってしまっては、あまりに不誠実ではないか。あまりに、酷薄なのではないか。
シオンはゆっくり、大きく深呼吸をひとつ。
恥ずかしいとは思う。変な人だと思われないか、不安もある。
でも、きっとこれは、ちゃんと言葉にしないといけないんだ。
「……錬金術師シオン。改めて私はあなたに、錬金術師ショコラに、師匠として、私の知る全てを教えるわ。あなたを弟子として、立派に育て上げてみせる」
シオンは両手を広げ、ショコラの望む全てを受け入れると、その気持ちを言葉に乗せて。
「はいっ! よろしくお願いします!!」
ショコラはその想いを、シオンの決意を掴み取る様に、強く抱きつく。
全身に溢れんばかりの嬉しさを、喜びを満面に湛えたショコラを、受け止める様にシオンも強く抱きしめる。
今更、こんな想いを抱くなんて想像もしなかった。優しく微笑み、そんな事を考えながらシオンは――
「……でも、どうして今そのことを?」
――台無しである。
体を離したショコラのその言葉に、シオンはスッと真顔に戻ってしまった。
「……とりあえず、あなたには体力が足りていないから、走って持久力を付ける事にしましょうか」
「ええっ、そんな急に――片付けるのはやっ!? 待ってくださいシオンさーん!!」
一瞬で片付けを終わらせ走り出したシオンに、置いていかれまいとショコラは追いかける。
シオンの表情は無意識に、優しく緩んでいた。