1-01 Prologue
――ここは箱庭。
小さな箱庭。
大きな世界。
圧倒的な力で世界を支配せんとする魔王。
それを打ち倒すべく、立ち向かう力を付ける勇者。
欲に塗れ、他国を侵略せんとする独裁者。
戦火に巻き込まれ、焦土と化す地も数知れず。
数多の生命が無残に死に絶え、幾つもの英雄や伝説を生み出す時代。
……そんな世界は、疾うの昔に終わった。
大きな戦争は無くなり、知性ある種族は互いに手を取り合い共存の道を進む。
魔王の名は役職となり、一国の王として国民を導き、他国と共に世界の平和を守る為、政務を全うする存在となった。
強力な武力を持つ者は、時折現れる危険な魔獣に対し勇敢に立ち向かい、勇者と称えられる様になる。
……そんな、誰もかれもが平和だと言う世界。
そんな歪んだ、腐ったような世界を――
***
「……ん、できたっ」
澄んだ青空の下、あたたかい陽の光を受けて輝く空よりも淡い水色の髪を風に靡かせ、心地よい疲労感を味わう様に伸びをする若い女性が一人。
旅する錬金術師、シオン。
彼女は作りたての昼食を頬張りながら、一冊の手帳を取り出す。
紐が通され自由に紙を入れ替えられる作りのこの手帳は、彼女が旅を始めるより以前から補修を重ねて使っているお気に入りで、年季こそ感じさせるが立派な印象を与える物となっている。
シオンは手帳のページを数枚めくり、今後の予定を再確認する。
「この辺りで採れるのは……あんまり必要なのは少ないかな。長居する必要はないね」
それから暫しページをめくり……ふと書いた覚えのない落書きに吹き出したりしつつ、昼食を済ませるシオン。
簡単に片付けを済ませると、懐から数枚のカード……この世界では一人前の錬金術師のみが扱える収納アイテム『ストックカード』へと仕舞っていく。
――この『ストックカード』、扱いが極端に難しいだけでなく素材自体も希少な為、市場に出回ることは一切無い。更に製作すること自体が相当難しく、一度拠点を構えたら基本的に引きこもり気味になる錬金術師達にとっても無用の長物とさえ呼べる代物である。
そもそも一般には比較的簡単な、普通の収納アイテムに空間を大きくする事で容量を増やす魔術『収納領域拡張術式』を施すのが定番であり、安く大量に仕上げられ誰にでも扱えるという、大変便利なものが出回っているのだ。
どれだけ大きく重い物でも、たった一枚のカードに収まるという大きなメリットでさえ釣り合わないコストの高さに、シオンの様な旅をする珍しい錬金術師で、偶然にも希少素材を大量に手に入れられる機会でもなければ知る必要すらない一品である。
そんなストックカードに荷物を片付け、まるで軽い散歩に出て来たと言わんばかりの軽装で、シオンはお目当ての物を探しに森へと入っていく。
慣れた様子で草木生い茂る道無き道を進み、素早く辺りを見回していく。
ツタから下がる小さな実が多く連なった房、触れると爽やかな香りの漂ってくるハーブ、その他諸々。森の中を歩くには不向きな筈の、ノースリーブの膝より丈の長いロングベストを着ているにも関わらず、通り過ぎる流れそのままに採集を熟す様は、見る者がいれば感嘆の声を漏らしてしまうだろう。
欲しい物は十分な量を採集し終え、適当な所で折り返す。入って来たルートとは重ならない様に帰って行き、状態が特に良い物があれば追加で採集していく。
落ち葉や不意に訪れる地面の凹凸にもペースを乱される事無く、まさに散歩する様に歩くシオン。
ふと、そんな彼女が歩みを止め……。
「これっ……これはッ!!」
突如としてしゃがみ込むシオン。興奮しながらも地面に落ちた手のひらサイズの物をそっと持ち上げ観察する。割れて中身は無くなっているが、鋭い棘が無数に生えた丸い物体は十分に乾燥して非常に硬く茶色く、少しでも雑な扱いをしようものなら悲惨な事になりかねない。
ひとまず手に持っていたそれを地面に戻したシオンは上下左右を素早く見回す。同じ物がまだまだ沢山周囲にあるのを確認すると、即座に懐から一枚のストックカードを取り出し大きなカゴを出現させる。
先程までの彼女はどこへやら。ぴょんぴょんと飛び跳ねる程に気持ちが昂り、満面の笑みを浮かべている。
物凄い勢いで回収していく物凄いシオン。
カゴが満たされるまでの速さも、そこはかとなく物凄い。
採集用の革手袋を着けているとはいえ、棘で持ち辛い筈のその実を、彼女は掬い取る様に手にしてはカゴへと放り入れる。吸い込まれる様に入っていったと思えば既に次の実をカゴに放っている。
カゴも心も山盛り満タンになる頃には森を抜け出していた。
まだまだ高くにある陽の光を受けながら大きく息をする。ほのかに紅く染まった頬を撫でる風は心地よく、火照った身体を冷ましてくれた。
大した時間は経っていないが、想定外の収穫に満足したシオンはカゴをそのままストックカードに収納して、足取り軽く街道へと向かう。
目印となる物は特にないが、昼休憩を取る為に外れた街道の周りは開けており、何の問題もなく道に出て行く。
人通りもない静かな街道を、お気に入りの手帳を片手に目的地へと向かっていく。
終えたタスクにチェックを入れ、新たに出来た予定をさらさらとメモし、パタンと手帳を閉じる。
この日の予定に本来無かった収穫物は、落ち着いて作業出来る拠点でなければ製作出来ない素材な為、暫くは日の目を見る事は無いのだが……それはまた別の話。
ふと、何かを思い出した様に来た道を振り返り、何事も無かったかの様にまた歩き出す。
最後に立ち寄った、とある村の事を忘れ去るように……。