幻章~綴られない白紙の物語~
呆れた声が漏れるのは誰の口からか。
まあ、それも転がる少年の不甲斐ない姿を何度も見ていれば仕方のないことかもしれない。
「…………違うと言っているだろう……!」
「そんなこと言われても、俺だってわっかんねぇんだよ!」
剣を振るいながらの魔法の発動。
予てからの克服するべき点であったのだが、どうやら吞み込みの悪いジーンを叱るのはフチカであり呆れているのはリーンであるらしい。
ドンドンを攻略するための優先するべき技術ではないのだが、だからといって後回しにしていいはずがないとフチカが提言したためにこうして何度も師と手合わせてしていた。
「…………動きが鈍い!」
自らの想いと共に真っ赤に鮮やかな髪を揺らし。
「…………気が散っていては中途半端な魔法しか発動させられないぞ……!」
真っ赤に煌めく鋭い瞳を真っすぐと自身の契約者に向け。
ツンと尖った口調で遠慮なしにジーンのメンタルを言葉のナイフで刺していく。
「うん、休憩しよっか」
「…………いいや、身体に染みつくまで続けなければ」
「君はあくまでもお手伝い。指導者は僕」
「…………ふん」
開始早々ギクシャクした空気に包まれる。あの契約した日に漲っていた心の光は既に影が見え始めていた。
修行開始三日目。
基礎的な連携。お互いの能力の把握。クリアするべき課題を整理し、到達点を改めて明確にする時間。そこまでは問題なく進められていた。
「…………その、先程は怒鳴ってしまってすまなかった」
「いや、あの。俺の方こそ……」
決して、フチカはジーンのことを嫌っているわけではないのだ。そしてその逆も然り。
しかし、フチカは使命感を強く持ち過ぎていた。頑張れという応援の気持ちが昂った結果、先程のような状況へと陥ってしまうのだ。
悪意はない。だが、だからこそ対処が難しい。
ジーンとしてもフチカが意地悪をしているわけではないことを理解していた。
契約したせいなのか、強く、フチカの感情を読み取れて。いや、流れ込んでくるといった表現の方が正しいのか。
契約時に刻んだ名を通して無理やりにでも情報のやり取りを促されていた。
ジーンとしても気持ちに応えたい想いはあるのだが、如何せん上手くいかないのが今日までの成果。
一日、また一日と潰してしまった事実に焦る思いを出さないようにと。そう思ったところで契約している相手には筒抜け。
焦らせてしまっているという、罪悪感。なんとかしないとという焦燥感。私がもっと上手くサポートしてあげないとという責任感。
何もかもが悪い方向へと転がってしまっていた。
「…………」
「…………」
以降、会話の無い休憩。
無言が続く時間など気にしないリーンでさえいたたまれない空間と化していた。
ちなみに、ブレメンはいの一番に逃げておりこの場には居ない。一番居て欲しい存在が肝心な時に逃げるとは、本当に反省するべきなのは彼なのかもしれない。
そしてリーンはというと。こんな時はどうすればいいのか。と、どうしてこんなことを悩まなければいけないんだとちらつく疑問を払い除け考えた末に。
「あ、そうだ」
「…………む?」
「…………ん?」
突如立ち上がったリーンへと目を向ける両者。
それは丁度、お昼ご飯が恋しくなり始めた頃合いのことであった。
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外套を羽織り、頭には帽子を被った人々が溢れる大通り。不思議と多くの者の身体が濡れていないのは魔法使いよろしく魔道具で雨を弾いているから。
「……あ、は? 転移……したのか…………?」
「どこだよここっ!?」
場所は複数ある首都の内の一つ、ノーン。
人々を統治するお偉方も多く滞在しており、軍事的政治的な価値以上に文化的な価値の側面を持つ首都というよりも都市といった表現の方が近いような街。
多くの人で溢れる大通りからは外れている、街全体を見下ろせる高台にはリーンとジーンとフチカの三人と、数えるほどの観光客か街に住む人らが。
「それじゃ僕は僕で好きに遊んで……じゃなかった調べものがあるからさ。二人は息抜きでもしててよ」
そんな街へと強制的に連行され、訳の分からぬままに話が進んでいく。
気軽にさあ行こうと言えるような移動距離ではないという常識的な思考など、リーンの前では無意味。あれよあれよと良いように誤魔化され、気付けばそこは既に目的地。
精霊であるフチカでさえその出鱈目な行動に多くの言葉が出ないご様子であった。
「ほら、知り合いの王子様にでも会ってくるのもいいんじゃないかな。いつもみたいにあそこに忍び込んでさ」
「王子の知り合いなんていねーし、それがオージンのことだとしてもなんで知ってんだよしかもオージンはもうここにいねぇはずだし! あと忍び込んだんじゃなくってたまたま気付かれなかっただけってことになってんだから絶対他人には言うなよな!?」
「ハハハ、ではそろそろ失礼するよ」
ばうわうと吠えられているのを無視して一人勝手に景色の中へと溶けこんでいくリーン。
そんな態度に余計に腹を立ててしまうジーンであるのだが、今回はなんとそれを落ち着かせる役目を果たせるフチカ様がいた。
「…………少し、落ち着こう」
「いやだってこんなことしてる余裕なんて……!」
「ジーン、君は……いや、君も私も焦り過ぎているのかもしれないな」
「だからってこの状況を許せるのかは別だろ?」
「…………君は……、強さの果てに何を望むのだ? 何が君をそうまでさせるのか、聞いてもいいか? ほら、あそことか何だかキラキラしてる。楽しそうだ。どこか落ち着いて話ができる場所とか、知らないか?」
言ってしまってから、少し強引だったかとフチカの中で後悔が加速していく。
考えの纏まらない内に話を進めようとしてしまうのは悪い癖。
よく考えれば質問ばかりを続けてしまっているし、キラキラしていて楽しそうだとか子供っぽいし落ち着いて話せる場所を求めているようにも見えないだろうと。
上の立場であるという長年の責任が厳格であれという意識を生み出し、親しい者に対する態度とは異なる偽りの姿を自覚する。
「あ、あれ? ちょ、フチカ?」
「い、いや……見ないで……!」
燃えるような真っ赤な髪はより鮮やかに、というよりも文字通り燃えて。
病気を疑いたくなってしまうほどに赤く染まった顔を手で覆うのは、恥ずかしさ故の行動。
「お、落ち着こ? 一旦落ち着こ?」
「は、恥ずかしい……!」
醜態を自覚してしまったことで自身を制御できなくなってしまったらしい。
先程までのキリとしたフチカなどもうそこにはいなかった。
一方で、フチカの突然の変わり様にオドオドとするしかないジーン。
基本的にフチカは秘匿するべき存在である、という前情報があったせいで余計に混乱してしまっていた。
なんだかんだ似た者同士なのかもしれない。
ただ、リーンも意地悪なものである。精霊という存在は特別な過程を経なければ認識することができない。という情報も一緒に開示しておけばよかったものを、いかにも常に気を配る必要があるという言い方をしていたのだ。
今頃、物陰に隠れてあたふたしているジーンの姿を見て笑っているのだろう。いや、それに関しては勿論憶測の域を超えないのだが。
「いい場所知ってるから、そこ行って話そ? ほら、皆見てるしさ……」
「……う、うん。ごめんね……」
涙目で俯く姿に胸を高鳴らせてしまうのはやはり男児の性なのだろうか。
夢の無い現実を語るのなら、お互いに感情が昂ってしまっているのを共有しているせいで自身の感情がどんな状況なのか把握できていないというだけ。つまるとこの勘違い。
だがしかし。
勘違いで始まる何かがあってもいいじゃないかと。
「ままー、あの人すごーい」
「魔法の練習かしらね? 雨の日でも上手く火を出せるように、って」
「なんかいっぱいお話ししてたよー?」
「なにか、劇とかのお稽古なのかもね」
ジーンが感じていた視線。それは、ジーンにだけ向けられたものであった。
一人であるのに誰かと会話しているような姿は、各々勝手に良いように考えてくれたおかげで怪しまれずに済んでいた。
多少おかしな人であるという認識はされてしまったとしても、そこは良しと考える他ない。
フチカの燃える髪については、精霊の身体の一部ではなく何かが燃えているという自然現象とされたらしく、空中に炎が浮かんでしまっていた。
ジーンの独り言と合わせて都合よく認識してくれた想像力豊かな人達に感謝しなければならないだろう。
「わっ、ここもキラキラしてる……!」
「最近は色々あって来れてなかったけど、昔はよく来てたとこなんだ」
自身も街の景色の一部になっていることに感動しているのは。
ジーンが言っていた良い場所に着く頃にはフチカの燃える髪も収まっていた。
魔力に光るランプが淡く入店の期待を主張し、どこか上品な雰囲気を思わせていた。
いわゆる喫茶店。
およそジーンが好むような店ではないな、と。一瞬でも思ってしまったことを反省するフチカは、お洒落な入室音を奏でるジーンの後に続きその建物へと入っていく。
認識を阻害する魔法でもかけられているのか客の姿がぼやけて見えていた。声も雑音に聞こえないのが不思議なくらい意味の分からない音が響いている、なんとも不思議な空間。
嫌な心地を感じさせないのは、それだけ仕掛けを施した魔法使いの腕が良かったということ。
その気になれば認識阻害の効果を無効化させられる力を持っているのだが、それは無粋なことなんだろうなと。自身の持つ価値観ではなくこの街の、もっと言えば世界の価値観に合わせるフチカであった。
そして、子供だからとか拒絶されることもなくすんなりと案内されていくことに。
ジーンが見せたカードのような物のおかげか、案内されたのは何やら一段と強力な魔法が張り巡らされている二階にある席。
「多分だけど、すっごいところなんだよね?」
「まぁ、知り合いのおかげなんだけどな」
「お友達?」
「……そんなところ」
「照れてる」
「照れてないっての」
先程までのドタバタもあり、店の雰囲気が良いというのもあり。
少しずつではあるが砕けたコミュニケーションを取れるようになってきた二人。
戦意に満ちた状態ではどうしてもピリピリした態度が出てしまう。それを一転させるために時間を設けたのはリーンの策略であり、今回はそれがピタリとハマったと言えるだろう。
急に距離が近づいたようにも思えるが、元々このくらいの接し方ができる関係は持っていたのだ。状況がそれを許さなかったというだけで。
「ねぇ、聞いても良いかな」
「答えられることなら」
「君は、何をしたいの?」
問いの意味を含め答えを整理する時間が少し。
注文していた飲み物が届いたのは丁度その答えが見つかった時。
頼まれた内容通りに二つ。ジーンの分と、フチカの分。
どこまで干渉できるのか不明であったものの、フチカの分を頼まない理由としては不十分。
街の光り。並ぶ商品。すれ違う人々。建ち並ぶ物全てに興味を惹かれていたことを知っていたからこその対応。
同じように、一緒に、当たり前に。それが彼女にとっての特別なんだろうと考えたのはジーンの優しさ。
「決まってるだろ? 俺は世界を救いたいんだ」
「……世界を?」
「だから、守りたいモノを守れるように。手の届く誰かを助けられるように、助けたいと思った時に助けられる力が欲しいんだ」
夢を語る。そうしなければと燃やし続ける想いを語る。
できるかどうかよりも、やらなければいけないという使命感を語ったその表情に不安はなかった。
「それは、君の願い?」
フチカの違和感。
「お父さんや、お母さんに願われたことじゃなくって?」
どこか、ミリ単位で嵌り切らないピースを思わせる何か。
「本当に、君だけの願いなの?」
どこか狂った計算の辻褄合わせ。
気付かない内に誤魔化された何かを隠すためのカモフラージュ。
カーテンが風で揺らめくのと同じく、言葉一つで波打つ危うさを孕んでいるような気がして。
「いや、俺の願いじゃないよ」
「……え?」
しかし、それを自覚したうえで。
「えっと、なんて言えばいいんだろ。強くなりたいって気持ちは本当だし、誰かを助けたいって思いも本当なんだけどさ。世界を救いたいって願いは俺のものじゃないんだ」
「じゃあ君は、誰かのために生きてるんだ。自分のためじゃなくって、顔も知らない誰かの」
「そう、なるのかな……?」
言葉にしてしまったことで。改めて言葉にされたおかげで。
そしてなにより、否定されなかったのが嬉しくて。
靄のように散らばっていた小さな要素が自身の願いとして形を成立させ、世界を救う物語の主人公を創り出していく。
「フチカはどうなんだ? どうして契約してくれたんだ? なんで、来てくれたんだ?」
納得した顔を見せられれば。
満足そうな表情をされてしまえばそれ以上聞くことなどできなかった。
それがジーンの在り方。それかジーンの生き方。彼の、彼だけの物語を創っていけるのだと。
澄んだ響き。
胸のすく、心を透かせるのはグラスの中で回る氷。
溶けていった拍子に滑り落ち、響かせる音が否応なしに話題の転換を促していく。
「……そうね。どうしてなのかは私にも分からない」
「分からない……?」
「何か縁があったのだとしても到底見つけられないくらいに小さな縁。ようするに、呼ばれたのはたまたまってこと」
ホント、どうして私なんだろうね。と、言うフチカはどこか嬉しそうで。
「でも、たまたまならさ。どうして応じてくれたんだ? 呼ばれたって言っても拒否することくらいできたんだろ?」
「それは勿論君のためだよ」
「俺の?」
「そう、君の。実際に呼びかけてきたのは君のお師匠さんなんだけど、私を呼んだのは何を隠そう君の想いだったのだ」
知らなかったでしょ。
そう笑いかけられ咄嗟に目の前にあるグラスへと手を伸ばすことになるジーン。
不意打ちは卑怯だろと心の中で愚痴ると同時、その感情さえ共有されてしまったのでは? と。恐る恐るフチカへと視線を戻せば察せられるのであろうが、そんな勇気を出すことはできず。
自身のグラスを空にさせることで何とか気を紛らわせる。
「どんな想いだとしても、その思いが本物だって分かったからね。応えてあげたいって思っちゃうくらいに輝いて見えたから、来ちゃった」
ここ数日見せることのなかった表情の連続披露。
凛々しくクールな印象が掻き消されキュートでチャーミングなものへと塗り替えられていく。
口調も砕け表情も砕けて腰砕け。寄せられる信頼に今は照れるという態度でしか応えられない。
程よく崩れた空気であるのをいいことに、二人はお互いの理解を深めていく。
どんなところから来たのか。どんな精霊がいるのか。この世界は、あちらの世界はどんなところなのか。
その中でジーンが一番驚いたのは、フチカの棲む世界と自身の住む世界が別であるということ。精霊界という場所があることを知ることに。
過去には精霊界へと訪れた非常識な人間もいたのだとか。歩いていけるような、そんな近い存在ではないというフワリとした説明しかされなかったものの、ジーンとっては非常に興味を惹かれる内容であった。
お互いに、お互いの世界を知らない。
フチカも噂程度のことしか知らないらしく、実際に目にして驚きばかりであると語った。
「じゃあさ、今の内に色んなとこ行ってみない?」
「そうね、付き合ってあげる」
人工的な池から噴き出す水。荷台に繋いだチュンを連れ歩く行商人。煌びやかな魔法を派手に披露する魔法芸師。商品にケチをつける客と喧嘩を繰り広げる店の主人。雨を物ともせず遊び回る子供達。
武具を売っている店にも入った。色とりどりの食材の売られている店にも入った。本当に安全なのか怪しい色をする薬を揃えている店にも。
古い本ばかりを売る店。違法な物を売っている店。いかがわしい店。ギャンブルが行われる店。いつ使うんだと、笑ってしまうような物ばかりを置いている店。
笑っている姿。怒っている姿。項垂れている姿。鼻の下を長くする姿。悩む姿。
よく見る光景。その人にしてみればありふれた日常。その全てが新鮮に思えたのは何もフチカだけではなかった。隣を歩くジーンも、なんだか不思議と違って見えて。
親しい仲の者らと過ごす時間では味わえない、何か特別にも感じる時間。
精霊と過ごせるのは特別であるという意味ではなく。フチカとだからこそ感じる幸福感が積もっていくのであった。
そして。
記念に何か買っていこうと、街の中でも大きめの店を訪れる二人は暫しの別行動をとることに。
一通り見回ってみて、お互いに導き出した結論とは。
「フチカは何買うか決まったか?」
「えっとね、これなんだけど」
フチカの指が指したのはネックレス。
炎の揺らめきがデザインされており、それを見た時に彼女にぴったりだと納得をするジーンであった。
自身の小遣いで購入できる範囲内であることをそれとなく確認し、それを手に取って近くの従業員へと声をかけ購入の手続きを進めていく。
リーンと過ごす日々の中で倒してきた魔物の数は少なくない。実際に金に換えてきていたのはリーンであるため全てがジーンの元へと入ってきているわけではないものの、それなりに貯えがあったのだ。
子供が買うには桁が一つ二つ違う気もする代物であったとしても、せっかくだからと顔色を変えることなく支払いを済ませるジーン。
親が金持ちの子供が多いこの街では珍しくない光景であるため、店側としても金の出どころを心配することなくスムーズに全てが終わっていき無事円満に事が終わる。
「はい、似合うと思うよ」
自身が買った物と合わせて相当な出費であった事実は自身だけの秘密であるとし、店を出てからようやくのプレゼント。
フチカが選んだネックレスを差し出すジーンであったのだが、どうやらジーンは勘違いをしていたらしく。
「ううん違うの。私じゃなくって、君にあげたかったの」
「え、俺に?」
「ほら、何か形のある物があった方が私達が出会った証拠が残るかなって」
契約破棄と同時に契約前後の記憶が破棄される。
避けられない通過点。フチカの言葉を聞き、改めてその存在を思い出すことになる。実感が湧かなかった事実に胸が苦しくなる感覚を覚えるジーンであった。
「大切にするよ」
そんな、ありきたりな言葉しか出てこない。
でも、そんなありきたりな言葉だからこそ素直そのままの感情が出ていた。
「ねえ、君は何を買ったの?」
「ネックレス。見た目とかは珍しくもないかもだけど、長持ちするらしいからいいかなって」
昔、友人に教えられた知識を活用した買い物。核とされている魔石が特殊な効果をもたらしてくれるらしいとのことだ。
実際に目にして、質の良い魔力の流れが感じ取れたからこその選択でもあった。
光を反射して煌めいているのか、魔石そのものが光を発しているのか。
「綺麗ね」
「はい、プレゼント」
「いいの?」
「そのために買ったんだよ」
気の利いた言葉と合わせて贈れなかったのは良しとする他ない。
もとより気軽なコミュニケーションの一環でしかないのだ。
当初、フチカに対して二つの買い物ができればいいかなという思いであったのだが、図らずもお互いが贈り物を選んだことに。
空気の読めない空模様など関係なく。
より強まる雨音など二人の絆の前には無意味無意味ハハハ。
これは今後の連携にも期待できるかな? 期待しても良いのかな? そんな風に僕は思うんだけど、君達はどう思う?
まぁ、それはすぐにでも試せば分かるよね。仲が深まった効果はどれほどのものか、僕に見せて欲しいものだ。
「全部、聞こえてるぞ」
「あえて聞かせたのさ」
「…………趣味の悪い人」
「ハハハ、よく言われるよ」
と、自然に合流するリーンに対し呆れのお気持ちをジト目で主張する二人。
ご機嫌な師匠の姿を見ていると逆にムカついてくるのはジーンだけであるのか。
少なくともフチカも近しい感情を持っていることだろう。
「戻ろうか」
「急だな」
「……いきなりだな」
「いつものことだろう?」
「だな」
「…………直した方が良いと思うぞ」
「ハハハ、それも良く言われる」
同じ。来た時と同じ。人目に付くかどうかなんて関係無しの強制転移。
気付けば、そこはもう見慣れた景色であった。
雨が降るのは変わらず、出発前と違うのは視界の中にブレメンがいるかどうかというくらい。
「ほっほっほ! お土産などありますかな?」
逃げ出していた奴が何を言っているのか。そう冷たく冷え切った感情が湧いてきてしまうジーンであるが、そこは流石というか大人というかリーンが何かを手渡して。
ブレメンへのお土産など食べ物だろうと決めつけていたが、やはり食べ物であるのだと確認すると小さな溜息が出てしまうジーンであった。
「ほっほっほ! これはこれは大変に美味しそうな……おや?」
と、それを手にした途端にでブレメンの様子が変化する。
「おや? おやおやおや? これは、何ですか……?」
「何って、お菓子の形をした置物だけど」
「…………(絶句)」
絶句。
絶望した表情がなんとも気分を良くしてくれる。
期待希望があった分、余計に突き落とされた衝撃が強くなったのだろう。
絶望のための希望を用意する。それがリーンクオリティ。
寂しくお菓子の置物をただ手に持つしかない項垂れたブレメンを残し、三人はやるべきことを再開していくことになるのだが……
「……動きが鈍いぞ!」
「ちょっと待って……!」
「だから違うと……!」
「あーもー気が散るから!」
まぁ、そんな簡単にはいかないが現実。
仲が深まったからといって妥協できるラインが変化するわけでもなく。許容範囲が甘く再設定されるわけでもないのだ。
「ハハハ、いつになったら僕の想定を越えてくれるのかな」
「うっせぇ! すぐにその余裕面に一発入れてやるからなっ!」
「……無駄話してる余裕などないと思うのだが?」
「あ、はい。すみません」
むしろ当たりが強くなったまである。
遠慮が無くなったのは決して悪いことではないはずであるのだが、急変する態度に何度肝を冷やされることになるのやら。
願いを自身の手で掴み取るために。
その願いの、僅かでも手助けをするために。
今日も、明日もその明日も。
そこには夢のために生きる者達がいた。
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フチカが合流して七日目。
徹底的に技術的な要素の強化が進んでいた。
以前までの魔物相手に実戦のような形で練度を上げていくのではなく、リーンを相手に何度も剣を交え魔法を放ちそして弾き返され転げ回るのを繰り返していた。
自身の魔力を効率よく身体強化に回し、圧倒的なスピードや膂力を手に入れる魔闘技。
予てからの課題であった、発動までの、いわば準備時間が長いという欠点を克服すること。維持できる時間を伸ばすこと。そもそもの質を向上させること。
細かく上げていけばまだまだ課題が山積みであるが、先で述べた最優先に設定された課題の克服を目標にしていた。
剣の扱いや魔法を織り交ぜての戦闘訓練なども並行して練度を上げることが課せられていて。
同時進行しなければならないタスクが多いものの、持ち前の諦めの悪さやフチカのサポートのおかげでなんとか一日一日をこなしていた。
何度失敗しても。
それでも拗ねることなくもう一度と次を望む姿は、リーンとしてもやりがいを感じている部分であり。いくつも用意していた弟子の尻叩きプランを活用することもなく日々が過ぎていく。
苦労していた複数の属性を同時に扱う技術に関しても、遂には誰の助けも借りることなく自在に行えるにまで成長を遂げていた。
戦闘で使えるレベルに到達しているのかと問われれば『まだ』という答えが返ってくる程度のものであるのだが、それでも一歩ずつ進んでいることは間違いなかった。
八日目。
中間発表会ということで、一度全力を出せる状態を整えてからの戦闘訓練。観客はブレメン一人だけ。
もっとも、そんなブレメンは目の前で繰り広げられることになる戦闘よりもその手に持つ食べ物へと意識が向いてしまっているのだが。
結果としては可もなく不可もなくという評価に。
「なんでだよ!? 一発入れただろ!?」
「君の力じゃなく彼女の力のおかげだろう?」
「二人で一人だろ! なんでそれで評価してくれないんだよ!」
「この先も一生契約が続くのならそうしていただろうさ」
「…………ぐぅ……!」
つまり、ジーンとしての評価が可もなく不可もなく。想定内の成長でしかないということ。
リーンの想定する実力通りに成長できているということ自体が高いハードルを越えられている証拠でもあるのだが、ジーン自身の実感としては感じられていなかった。
毎日のように実力の違いを突き付けられ、いつまでも自身が弱者であると錯覚してしまっているのだ。圧倒的な力を持つ存在が近くにいるからこその状況であった。
そして模擬戦闘後には課題の羅列。
課題をクリアしたかと思えばまた新しく増えていき、やりがいがあるという言葉では片付けられない複雑な感情が湧いてくることに。
やるしかないのだが、力強く一歩を踏み出すには道が不明瞭。
いくら強い目標や夢があるにしろ、いつまでも全力疾走ができる人などそうはいないだろう。ジーンもその一人であった。そういった意味では彼も特別な存在などではないと言える。
「……まだ、寝ないのか?」
「まぁ、あれだけ言われたらな」
「……落ち込んでいるのか」
「ちょっとだけだよ。ほんの、ちょっとだけ」
夜。いつもなら既に身体を横にしているはずの時間帯。
ぼんやりと火を見つめているジーンの姿は珍しく。頼りない姿を晒してしまっていると感じてしまうほどに弱弱しいものがあった。
「……いつか、本当に強くなったらさ」
「ん?」
そんな、まだ一人前には程遠い一人の少年を支えるのは。
仮であれ、正規の手順を踏んでいない形であれ契約を果たしている一人の精霊。
「また、契約してくれる?」
フチカは答えない。
「絶対に、会いに行くからさ」
応えられない。
「忘れちゃっても、ほら。気合で思い出すから」
応えられるはずがなかった。
本心を曝け出した。心からの純粋な想いを前に。
「絶対。約束するから」
根拠のない子供らしい夢物語。
断ることなんでできない叶うはずのない約束。
「……縁があったら、そんな未来があってもいいのかもしれないな」
「なんだそれ」
力なく笑う。
胸が締め付けられる思いを隠すのが精一杯で。
意図的に契約の繋がりを限界まで薄く小さくしたのは、後にも先にもただその一度だけ。
「…………手、貸して?」
手を繋ぐ。
「君は、大丈夫だから」
仮契約だからこその制限を利用したカモフラージュ。
「大丈夫だから」
励ます言葉を投げかけること以外に方法が思いつかない。
単純で。簡単で。効果的な。
「あぁ、この感覚。フチカだったんだな」
「…………えっと、何のこと?」
「ほら、前にもこうやってさ。温かいのを感じたんだよ」
フチカと出会うことになる直前の、肌寒い朝だったはずだと。
そう思い出しながら語るジーン。
あの時は気にもしなかったものの、よく考えればフチカのおかげであったのだと改めて気付くことになる。
いつだってそう。
知らないだけで、いつも助けられているのは自分だけ。
情けないと思う以上にフチカの優しさが嬉しくて。
「その、いつもありがとな」
「……そう思うのなら、明日からも頑張ろうね」
安心したのかその後すぐに眠りにつくジーン。
一個人が志すには大き過ぎる夢。
誰に強制されたのか、関わり合えば合うほどに薄々なりとも勘付いてしまったことに後悔をするのは。
気付かなければよかったとさえ思ってしまうほどに残酷で。
気付けてしまったのは生まれが人とは違う精霊であるからこそ。
記録とも記憶とも言える情報がより強く刻みつけられている存在であるのは、事の発端に関わりのある者らと縁があるという証拠に他ならない。
そして、それを誰かに知ってもらう術がないのは一種の呪いと言えるだろう。
望んだ未来に辿り着く邪魔をしないように。
ただ、観測者としての役割として機能するように。
今回、フチカが接触できたのは『必要な事象』であったからこそ。
憂うことはできても、動くことはできない。
「……契約破棄までの関係。私も覚悟を決めないとな」
選んだのは記憶の破棄。
精霊側のペナルティはないはずであるのだが、自らその選択をする意味。
記憶があるからこそ辛くなるのだ。それを捨てることができるのならばそうする、という選択は決して悪であるとすることはできないはずだ。
あってもなくても結果は変わらない。
結果が出るまでの永い時間を苦しむのか、共に見届けたいと結果を望む者として生きるのかの違い。
母の想いを託された一人である彼女の選択。
その日の夜は、途轍もなく長く感じるフチカであった。
十日目。
手数自体は変わらないのに有効打になる数が増えてきていた。
フチカの力が上手く働いているのもあるが、ジーンとフチカの連携がより良いものになってきている証拠であった。
これまでは一人で戦う意識が強かったジーンであるが、仲間と一緒に戦うという意識を根付かせるというのはリーンの狙い。
これからの困難を乗り越えるために多くの仲間が必要な状況など一つや二つではないのだ。一人でどうにかなる状況の方が少ないと言えるだろう。
予行練習、なんて言ってしまうとジーンが協調性のない人間性のようにも聞こえてしまうが、経験があるとの無いのとではまるで違うのも事実。
初っ端に頼りがいのあり過ぎる相棒と出会ってしまったら、後に連れとなる仲間に対しフチカと比べてしまうのではないかという疑問。
記憶の破棄がその問題を解決してくれる。
今や師匠とも互角に戦えるようになった彼は、一人。
記憶が消えた後に残るのは、何故か他人との連携の重要性を理解している滅茶苦茶に強い少年。
辻褄合わせなど街の人らが決めつけた妄想のようなものだ。
「…………っ!?」
突如、空気が一変。
足を止めてしまいそうになるジーンの背中を押すのはフチカ。
大丈夫、一人じゃないのだと。自身の実力以上のパフォーマンスを求められるのならば遠慮なく頼ればいいのだと。
怖気づく心を制したのは信頼だった。
「ハハハ、合格!」
「……は?」
ジーンに押し寄せた威圧感の正体はリーンによるもの。
空気が吹き荒れる感覚に似た、精神への干渉とも言える攻撃。
特別な技術であるとか秘匿された魔法であるとかではなく、生きる者ならば誰しもが持つ外敵へ対する威嚇という表現が一番近い。
あっ、これは近づかない方がいいんだろうな。と、無意識の内に感じ取ってしまうあの感覚が触発されて起きてしまったのである。
意図的に発動できる力としてみれば確かに特殊な力であるのだが、誰もが持ち得る力としてみればなんてことはないありふれた力。
「精神的にも成長できているみたいで安心したよ」
「いやまだ状況を飲み込めてないんだけど」
事前の告知があれば心の準備ができてしまう。だからこその抜き打ちテストというわけである。
今回、ジーン一人だけであれば不合格となっていた可能性の方が高いのを把握した上での実施。二人で乗り越えてくれれば現時点では問題無いという認識。
見事にクリアし、また一歩成長できた証を示せたわけだ。
ドンドンと対峙した時の恐怖感への耐性をつける意味合いもあり、その日以降は強い威圧感を時折浴びながらの訓練になるのであった。
十三日目。
「隙アリ!」
「残念」
「はい、ハズレ~」
腹部を突き破る杖。顔面にめり込む刃。すり抜ける拳。
最早化かし合いとなってしなっている戦いは、何が起きているのか理解する前に次へ次へと展開されていく手品の如く。
そして準備運動を終えたと言わんばかりに両者の身体が光を帯びていく。
魔闘技だ。
樹を薙ぎ倒し岩をも砕く威力を誇る一撃を遠慮もなしに打ち込んでいく。
剣を振るい蹴り殴り投げ飛ばし、規模の大きくなり続ける三人の攻防。
決められた台本通りに進んでいるように見えて全てアドリブ。斬り上げ弾かれ突き刺し躱され。リーンによる魔法が施されていなければ地面はボコボコになってしまっていたことだろう。
距離をとるのは師。
気付けば目の前はいくつもの炎の玉で埋め尽くされ、回避か防御の選択を余儀なくされてしまう弟子。
先に仕掛けるのが師であるという構図は最終試練の意味も含まれていた。
さぁ、どうする? という問いにどう答えるのかを試されているわけだ。
「全部撃ち落とす!」
火には水。仕込まれた対処法の中から瞬間的に展開できる魔法での真っ向勝負。
壁と思わせる程に広がる水の波。魔力消費の激しい魔法であることなど、この際気にする必要もなし。後に控えているであろう追撃への牽制の意味も兼ねて全力でブチ当てていく。
放たれた炎の玉の全てを無力化し、追撃する気でいたリーンを下がらせることに成功する。目論見通りの流れであり、そしてこれだけでは終わらない。
「……! 一緒に接近してきていたのか」
あえて、なのか癖であるのか。範囲の大きい魔法に対するリーンの行動は無効化。
自身の魔法をぶつけての打ち消しではなく魔法そのものをなかったかのように消し去るように無効化させるのだ。
勢いの止まらない水の壁を無効化させるリーンの行動を読んでいたジーンの作戦勝ちと言えるだろう。
「もらったぁぁ!」
「甘いっ……!?」
目の前に接近してきたジーンの姿が消える。
直後、背後にその存在を感じたリーンは――。
「……やった……?」
衝撃に静まり返る。
自身の手に感じる確かな手ごたえ。自信のある渾身の一撃。反撃の無い、穏やかな雰囲気。
「…………よくやった。君の勝ちだ」
「だよな? 俺の勝ちだよな???」
「ほっほっほ! いやー、見事でしたね!」
調子に乗るのも無理はない。これまで一度たりとも勝てたという実績がなかったのだ。はしゃぐジーンを咎める者がいないのは、咎める必要がないからという簡単な理由。
師と弟子の関係になってから長い期間を経て、ようやく。
異常であった。
数か月という月日での成長としては異常なものであった。
魔物の討伐を仕事とする者と比較をしても異常。数年をかけて会得する技術をたった数か月で会得するなど、考えられないことであるのだ。
剣術だけ、魔法だけといった何か一つを極めようとする者の中には確かにジーンと同様の成長を遂げる、いわゆる天才と呼ばれる者はいる。
しかしそれら要素の複数を同時にとなると……。
最初から末恐ろしい才能を持っていたのか? いや、それは違う。
間違いなくジーンは一般の域を越えない運命を持ち、そこに歩く子供とほぼ変わらない才能に過ぎなかったのだ。
幼い頃に訓練をしていた時など、歳の近い姉にすら及ばなかったのに。
では、何故?
「その感覚を覚えておくといい。少し休んだら、もう一度やろうか」
十四日目。
身体を休め、明日に控えている締めへの調整をするだけの日。
軽い運動をする。魔法の感覚を復習する。
いよいよだ。いよいよ、その日が来る。
十五日目。
あの時の光景が脳裏によぎる。怖くて、それでも立ち向かって。
そして死にかけて。
「準備はできているかな」
「……勿論!」
リーンの持つキューブが規則的に明滅を繰り返す。
自身の鼓動が同調するかのような感覚に戦意が漲ってきた、その刹那。
「……いってきなさい」
「おう!」
託されたその権能を背に、遂に再び相まみえるのは。
「グヒブィヒッヒヒヒヒィ?」
「ブヒィブイブィグィ?」
「こっちだクソ野郎共……!」
あの日、リーンが保存したのはトントン十四体とその上位種であるドンドン二体。
囲まれる形で顕現したのはジーンの望みであった。
あの時と似て非なる雄たけびと同時、動き出す。
滲み出る恐怖の色は、ない。そこにあったのは勝利の確信だけであった。
そして、終わってみれば一瞬。傷一つなく終わった一方的な虐殺。
「やった……! やったよフチ