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始章~白紙に綴る物語~


 

「痛っ!?」

 少年は激痛走るその腕を庇うようにして後退る。

 だがしかし、訓練ならばいざ知らず今は実戦であるのだ。そんな事をすればどうなるのかなどは想像に容易い。

 身体は小さくとも、そこらの大人以上の力を持つ相手。短い四肢を忙しく動かし少年へと二度目の体当たりを試みているのは。


「キバンブのくせにっ……!」


 そんな負け惜しみを吐ける程度には気が強いらしい。だが、いくら気持ちが強かろうとも身体がついてこなければ意味はない。

 なんのひねりもなく馬鹿正直にキバンブの体当たりをその身体で受け止め、二度目の重い衝撃を味わうことになる。


『めちゃくちゃに痛い』


 それが、キバンブの体当たりを二度受けて少年が学んだことであった。とある覚悟がなければそのまま袋叩きにされ、最悪命を落としていたことだろう。

 こんなところで負けていられないという気持ちが爆発し、危機的な状況を覆そうと立ち上がることになる。

 反撃の一歩を大きく踏み出し、憎き宿敵へと接近を試みる。

 両の手でしっかりと握りしめた剣をキバンブへと振り下ろし、この小さな戦いを終わらせようとする。

 ただの子供じゃない。その道を進む人間の指南を受け、戦う術を身につけているからこそ。何をどうするべきなのか頭の中に叩き込まれたイメージ通りの現実を手繰り寄せる努力をするだけ。


 淡く光る剣身は希望の光。

 これから進む道を照らし少年の背中を押す母の手の如く。


 一刀両断。

 幼さの残る少年の手によって成されたと言っても、誰も信じないであろう光景。

「……やった……?」

 できると自らの心を奮い立たせていたとしても、目の前に広がるキバンブの成れの果てを見れば驚くのは当然か。

 本当にできるのだろうか。自分にそんな力はあるのだろうか。

 疑いや不安がなかったわけがないのだ。しかし、そんなものは初戦闘初勝利という大きな称号の前には消えてしまうというもの。

 やってやったぞと、拳を小さく振り上げその喜びを味わい尽くす。

 自身の怪我など知るものか。戦いの内容など知るものか。今は結果だけを見ていたんだと足をばたつかせ目を輝かせ口を緩ませてもいいじゃないかと。


 記念すべき少年の旅立ちはここから始まるのだから。


「おっと、それじゃあ次は無傷で勝てるようになろうか」

 そんな少年に水を差すのは。

「……おじさん誰?」

 白いフードを深く被り、素顔を見せようとしない怪しげな男に語りかけられる。

 いつからそこにいたのか、どこからやってきたのか。キバンブとの戦いに夢中で少年は気付くこともなかった。


 時折、太陽が雲に隠れてしまうような。なんでもないよくある空模様。


「おじさんって失礼な。これでも凄腕の魔法使いなんだけれども」

「ふーん、そっか」

「たはは、こりゃ信じてない感じだな」

「当たり前だろ。信じて欲しかったらせめて名前でも教えて欲しいんだけど」

「生意気な子供だなっ!」


 鳥が鳴く。空を飛ぶ鳥は遠くへと去っていく。大きく広がる空の向こうへと、何を目指して飛んでいくのか。

 雲は流れ。気ままに浮かんでいるように見えて、あの雲は激しい風に流されているだけ。

 自由のように思えて、実は逆らえない大きな力によって支配されているだけ。


 彼はどちらなのだろうか。


 あの鳥のように何かを目指して生きているのか。それとも、あの雲のように逆らうことのできない力に従って生きているのか。

 少年は、どちらの生き方を自覚して生きていくのだろうか。


「では改めて。僕はリーン」

「俺はジーン。よろしくな」

「ん~軽いね!」

 相手が誰であろうと変わらないその態度。少年、もといジーンの良さなのか見直すべき点であるのか。

「それで、何か用なのか? わざわざ声かけてきたんだからそうだよな」

「勿論さ」

 黒髪に黒目。ここらでは見ない風貌であるが、ジーンは全くもってそんなことを気にする性格ではなく。気になったのはそのなんとも大げさな身振りであった。

 いちいち言動の主張が激しく、未だ出会って間もないものの鬱陶しさを感じてしまう。


「何を隠そうこの僕は――」

 リーンと名乗る魔法使いは一度手を空へと伸ばし、

「君の師匠となるべくやってきたのさっ」

 自身の胸へと流れるように誘い寄せ。

 何を言っているのかという疑問もあるが、なによりもその大げさな態度が気に食わないジーンであった。


「……あー、そういうの間にあってますんで。それじゃ」

 胡散臭い。それ以上も以下もない。

 ちょっとヤバイ人に絡まれただけと、自らの旅を再開させるために歩き出していく。

 振り返らなければこれ以上絡まれることもないだろうと、その予想正しく暫く歩けど再び声をかけられることはなかった。


 どれだけ歩いただろうか。

 数分、数十分は経っただろうか。いや、もしかしたら数時間は経ったかもしれない。

 道中は順調も順調過ぎて、逆に拍子抜けをしてしまう。キバンブ含めもう少し魔物に襲われるだろうと覚悟していたのに。何もない。

 これといったイベントは、変な魔法使いに絡まれただけ。


 気になるのは、あれだけ大層に格好つけていたのにもかかわらず本当に何もなくこのまま終わってしまうのだろうかという点。

 時間が経つほどに何だったんだろうと気になり始めてしまい、チラと。

 あろうことか来た道を振り返ってしまう。


「やあ、やっぱり気になっていたんだ」

 なんて、そう声を掛けてくれた方がまだ気が楽だったかもしれない。

 あの魔法使いがつけてきているわけでもなく、隠れる場所もないはずであるのにその姿は消えてしまっていた。


 恐ろしく早い足で逃げたのか、それこそ煙のように消えてしまわないとあり得ない。

 もっとも、ジーンが自覚をしていないだけで相当の距離を歩いてしまっていた、なんて可能性もあるのだが。

 なんとも不思議な出会いであったが、これ以上は気にしても仕方がないと。そう切り替えて今度こそ前を向き歩き出していくジーンであった。


 ドッドッド。

「……?」

 早速。

 気を取り直していくぞと思った途端にどこからか“その足音”が聞こえてくる。

 ジーンの胸のあたりにまで伸びる草むらの中から聞こえてくると、そう気付いた時にはもう遅かった。

 距離にして数メートルの余裕はあるものの、凶暴な敵からの襲撃であれば対応が間に合わない可能性の方が高い。

 油断大敵。気を緩ませてしまったことへの後悔をしつつ、瞬時に己の武器へと手を伸ばすジーン。

 回避ないしは反撃の一歩のために重心を低くさせる。体に染みついた動きではあるが、やはり訓練と実践とでは違う空気感がある。

 不安もあれば緊張もあり、格好に似合わずその表情は強張ってしまっていた。


 三……二……一……。

 何かが飛び出してくるだろうタイミングをカウントし、心の準備というものをしていく。


 来る。


 そう思った直後、草むらから現れたのは。

「ばっびょ~ん! この子達ってば中々暴れん坊なんだよねっ!」

 キバンブの背に乗り登場したのはあの変な魔法使いであった。

「ごめんね? ここまで誘導するのに時間かかっちゃった」


 いやそういうことじゃないんだけど。というツッコミをする暇もなく。

 魔法使いを背に乗せたまま、お構いなしにキバンブがジーン目掛けて突き進んでくる。

 魔法使いはそれを止める様子もなく、それどころか止めないと死んじゃうかもねとばかりにウインクでジーンを煽る。

 不満を吐き捨てる時間もない。やるしかないのだとその握りしめた剣で魔法使いごと叩き切ってやると闘志を燃やす。

「やぁああああ!!」


 今度は失敗しない。

 これ以上キバンブの体当たりを味わいたくないという思いも合わさった結果なのか、見事その一閃はキバンブを真っ二つにすることにせいこうする。

 二度目であるからこそ、気持ちの部分での余裕があったおかげなのだろうか。


「うん、上出来だ」

 小石でも落ちたのかと。その身体に似合わない着地音と共に賞賛の言葉を送るのは。

 いつキバンブの背から離れたのか、その姿を認識することができないかったジーン。

 驚き、そして不気味に感じてしまう。

 確かに実力のある魔法使いであることは間違いないのだろうと、その姿を見ることで認識することになるのであった。

「勝手に行ってしまったのはどうかと思うが、まぁ良しとしよう」

「良しとしよう、じゃないっての! どうやってここまで来たんだよ!?」

「いや見ての通り彼に乗って来たんだけど」


 そうだけどそうじゃない。とは思うと同時、そんなことはどうでもいいかもしれないと。

 何から何まで怪しくそして不思議な魔法使いに、既に興味津々のジーン。

 無視する相手にしないという選択肢を捨て、対話してみたいと思うくらいには心を開きつつあった。

「あ、言い忘れてたけど」

「ん?」


 どんな時でも警戒を怠るな。最初に教わった心得など、強烈な興味の前には意味を成さない。

 あぁ、憐れなり。

 遅れて飛び出してきたキバンブの突進をもろに受け、前のめりに転がっていく半人前の少年や。

 半端ではない衝撃に肺の中の空気は漏れ、息を吸うことも億劫に。

 血が出てるかもしれない。どこか骨が折れたかもしれない。

 そんなことを考えている暇などないはずなのに、どこか。

 助けてくれるだろうという甘すぎる期待に身体がすぐには動かない。


「ぐふ……っ!」

 二度目の衝撃。

 今度は顔面をその牙で抉られる。

 右目が潰れる。何も視えない。思わず叫んでしまうような痛みだけが、その認めたくない事実を突きつけてくる。

 血が流れ出ていく感覚が、逆にジーンの心を奮い立たせることになった。


 ……やれ

 やれ。


 やれ!


 もう形なんて知ったことではないと。

 目の前に再び迫る敵だけに意識を向け、力任せにその剣を振るう。型などあったものではなかった。


 体中が痛い。

 異様に剣が重い。

 変に頭が冴えてくる。


 声を咬み切る。呑み込んだ雄叫びのせいで震える喉がはちきれそうになる。

 だがそんなことは関係ない。


 今は目の前の敵のことだけを考えろ。と、心の中に潜むもう一人の自分に煽られるままに身体を引き絞りそして、解き放つ。


「……あぁもう、くそっ…………」

 深い、深過ぎる傷を負った。

 右目は全く見えなくなり。肺を覆う肋骨が数本折れてしまったらしく。更にはそれで肺も傷ついたのか、息をするのも辛く。

 初めて、明確に死の気配をすぐ後ろに感じることになる。

 不思議と怖くはない。だがしかし、痛いし辛いしで嫌なことはあれど良いことなどは何一つない。

 それが、ジーンが抱いた感想であった。


「やあ、気分はどうかな」

「最っ低だよ」

 仰向けに倒れ込むジーンを覗き込むように。

 その顔は随分と明るく、こうなることを望んでいたかのよう。心配することもなくそして喜ぶこともなく。

 ただ事実として、こうなることが分かっていたかのようであった。


「なぁ、俺って死ぬのかな」

「そうだね。このまま何もしなければ死ぬかもしれない」

「……そっか」


 助けてくれ。

 そう言いたかった気持ちはあったものの、それは何か違う気がして。

 死にたくないという思いに間違いはなく、しかしなぜか心が落ち着いてしまっていて。

 仕方がないのかなと受け入れてしまったのか。生きることを諦めてしまったからなのか。

「痛いかい?」

「……聞くまでもないだろ」

「苦しいかい?」

「……ちょっと」

 後悔があるかと問われれば、もう友と姉に会えなくなることがツラいと。それが酷く寂しくて、そして苦しいと。


 夢に見た『世界を救え』なんて曖昧な志なんてどうだっていい。死を目の前にした今、自身にとって何が大切であるのかを自覚することになる。


 遅すぎる。それでは遅すぎるのだ。

 愚かでしかない。今更に気付くだなんて、阿呆が過ぎるだろうと。

 自然と涙が出てきてしまう。それは決して痛みのせいではなかった。


「痛ぇよ……」

 そんな、誰に聞かせるでもない言葉を呟き。

 血が止まらない。

 体は小さくとも、キバンブが魔物と分類されている理由はそこにあった。

 魔力をその身に宿し、人の身体を深く傷つける力を持つ。およそ人では分が悪い相手。

 そんな魔物に対しての対抗策を持たなかったわけではない。しかし、未だその術を完璧に会得できていないジーンにとっては危険すぎる敵であったのだ。

 眠い。自然と瞼が落ち、半分以下だけになった視界も徐々に狭くなっていく。

『それで十分だ。今は、少しばかり眠るといい』

 そんな言葉もジーンには届かない。

 今の少年は、暫しの休息を無理やりに受け入れることしかできないのだから。


 ……。

 ……ここはどこだろう、と。

 ぼんやりとした意識の中、ぼんやりとした景色の中でジーンは目が覚めたと認識を誤ることに。

「……どうしてここに?」

 上手く表情が読み取れない。

 ノイズの混じったその姿に違和感を持つことなく。

 笑っているのだろう自身の姉に問いかける。だが、言葉が返ってくることはない。

 代わりに、そんな姉の後ろから近づいてくる影が。

「に、逃げてっ!」

 それが魔物のものであると気が付いた時には遅かった。

 

 ぐしゃり。

 

 と、大きな鈍器に押しつぶされて殺される。

 最後の笑った顔だけが脳に焼き付いて離れない。

 鮮明な赤色が飛び散ったほんの短い時間が永く思えて、思考が前へと進んでいかない。


「っ……!?」

 景色が変わる。

 今度は森の中。先程の真っ白な空間とは違い、嫌に現実味のあるその景色の中。

「エル……?」

 小さな友の姿を見つける。

「あ……ダメ……」

 そして、再び現れる大きな黒い影。

 見たこともない巨体を持つそれは一体……?

 なんて、次に飛び込んできた惨状を目にする頃には忘れてしまう。

「やめて……」

 血飛沫を顔に受ける。

 流れるそれが自身のモノではないからこそ、余計におぞましく。

「いや、だ……」

 かつて友人だったモノが足元に転がってくる。

「……うぅっ……っ!」

 まるで自分の事など見えていないかのように、興味を向けるのは友人であったモノだけ。

 目の前で喰われていく。


「…………ぁ」

 くるくると。

 用意された絵がひたすら回っているかのよう。

 何度も。

 何度も。

 何度も。


 そう、何度もそれを視せつけられる。

 何度も。

 何度も。

 見知った者だけではなく見知らぬ者の最期を。


 何度も。

 皆。

 死んでいく。


「――まだいたのか」

「やあ、気分はどうだい?」

「もっと可愛い子がいてくれたら最高だったかもな」

 ジーンが目を覚ました時、最初に見えたのはあの憎たらしい顔。上手くピントが合わないのは長く眠っていたせいか。


 気分が悪いのは嫌な夢を見ていたせい。

 鮮明に思い出せないのがまた気持ち悪さを加速させていく。


 何かを視ていた。それは分かるのに、何を視ていたのかを思い出せない。


「っ……!」

「ハハハ、あまり動かない方が良い。君、傷だらけだからね」

 右目が何かで覆われているのを自覚するジーン。視界に違和感を覚えていたのはそれのせいであった。 

 そっと、恐る恐る触ってみると布のような何かが巻き付けてあることを把握する。

「少しすれば視えるようになる。傷も、その内キレイさっぱりなくなるだろうさ」

「……あんたがやってくれたのか」

「目の前で死なれるのは気分が良くないからね。それにほら、言ったでしょ。僕は君の師匠だって」


 分からない。

 重傷者の前で笑って話すこの男の言っている言葉の意味が理解できない。

 自身の問いをどう解釈すればそんな返しができるのか不思議でならない。と、子供ながらに思うのは。


「死にかけたんだけど」

「そうしないと強くはなれないからね」

 どうやら、善意からの行動であったことは確かなのだと理解することに。


「……そのやり方には文句しかない」

「ははっ、その言葉は卒業の時まで取っておくといいさ。僕に仕返しができるくらい強くなってくれると嬉しいよ」


 決して。決してこの魔法使いを認めたわけではないが。

 何故かこの魔法使いに師事することを受け入れてしまう。

 歯を剥き出しに笑うその顔に煽られることを良しとしてしまう。


「その日を待ってろよ、クソ師匠」

 少年の成長はここから始まる。

 訓練で鍛えたのは基礎の基礎。体力づくりに等しい初歩の初歩。と、そう思えてしまうほど。

顔に似合わずクソったれの師を持ち彼はどこまで大きくなっていくのか。


 あぁ嫌だ。

 寝転ぶその顔面へと落ちてくる鳥のクソを見て、彼は目を閉じる。


◆◆ ◆ ◆ ◆


 ようやく身体を起こせるようになった頃。

 既に日は落ち、辺りは真っ暗となっていた。


「……もしかしなくても明かりの準備とかできないのかな」

「燃やすための枝とか集められなかったからな」

「いやいや、それは流石に準備不足が過ぎるよ。こんな時に使える魔法とかないのかい?」

「周りに使える人いなかったし」

 あまりの状況に大きくため息を出すのは。

 暗くてジーンからはよく見えないものの、たとえ闇の中でも大きな身振りを忘れないリーンなのであった。


 夜間に行動する際、人間からすれば明かりというものは必須なもの。しかし魔物からすれば明かりはほぼ必要無かったりする。

 つまり、魔物から奇襲でもされてしまえば防御も反撃もできず一方的に蹂躙されてしまうことになる。

 熟練の者であればその限りではないが、不利な状況であることには変わらない。


 基本的には二つの解決法がある。焚火をするか、魔法で明かりを創るか。

 魔物に襲われないようにする手段など、夜間に必要になってくる技術は他にも色々あるが明かりに関してはその二つであった。


 が、現状その二つのどちらも不可能となっていて。


「食事は?」

「……まぁ、明日まで我慢だろ」

「あちゃ~」

 問題は山積みらしい。

 よくこれで旅に出ようと思ったなと、弟子のいい加減さに頭を抱えることになる。

「いやでも、こうなったのも元はと言えば師匠が……!」

「おっと、その言い分はいただけない。自身の準備不足を人のせいにしちゃいけないよ」

 いつか来たかもしれない状況が今回やってきただけに過ぎない。

 今回の原因がリーンであるのは間違いないのだが、問題の本質はそこじゃないのだ。

 それに、今回は逆に助かったといえるだろう。もしも一人でこんな状況になってしまえば危険度は跳ね上がり、次の朝を迎えられない可能性の方が高いのだから。


「よし、不甲斐ない弟子のためだ。暫くは僕が何とかしようじゃないか」

 とかなんとか言って、暗闇の中で立ち上がり格好をつけるリーン。であるのだがジーンからは何も見えない以上、それに意味はあったのか。


 虫の音が程よいBGMとなって。

 キバンブとの死闘が繰り広げられた場所の近くに、平たく野営にピッタリな場所があるのは偶然だろうか。

 そこだけ誰かに整備されたかのように、不自然に綺麗なのは果たして誰の仕業であるのか。

 気付かない。

 およそ人の手が加えられているはずのない場所なのに、そこだけ異様なまでに補正された空間であることに気付くことはない。

 爛々と。

 長く続く道のように煩雑に並ぶその星々の輝きを掻き消すのは。


「三日はこうして明かりを創ろう。創るための術を授けよう。ただし、それ以降は手を出さない。授業は続けるが僕が明かりを創ることはない。いいね」

「……三日、か」

「短いかい?」

「いや、長いくらいだ。って言いたかったんだけどな」

 自身の力量くらいは把握できているのだろう。

 変に意地を張ることなく、与えられた課題に真摯に向き合おうとしている。

 高めるのは反抗心ではなく向上心。そんなジーンの姿を嬉しく思うのは師として当然のこと。だからこそ、リーンとしても真摯に向き合おうと思えるのだ。

 いい加減な態度であれば、いい加減な態度で返そうと思っていたくらいには真剣であるのは間違いがない。

 どこまでも。一人の少年ではなく一人の人間として接しようという姿勢のリーンなのである。


「いいかい? 魔力で魔力の移動に対する抵抗力を作って……」

「もっと分かりやすく説明できないんですかねぇお師匠様!?!?」

 ペラペラつらつらと長ったらしく言葉を連ねていくのはワザとであったのか。

 いや、これでも彼は真面目に教えようとしているのだが、ジーンにとってはふざけているようにしか見えなかったようである。

「あぁ、君は感覚派なのを忘れていたよ」

「何だその顔。不満かよ」

「不満だなんてとんでもない。今はそれでいいさ」

 少なくとも今は。

 そんな師の思いを察するには幼過ぎた。

 ここはこうするんだ。と、ゆっくり見せ、そして見様見真似でいいからとやらせて。大まかな仕組みを順序立てて説明をして。センスのあるジーンはそれだけで十分だった。

 僅かながら光源を創り出せるようになる。

 魔力の質もその使い方も。制御だって拙いのは今後の課題ではあるが、これは大きな前進であった。

「早く戦闘でも使えるくらいにはならないとね」

「……気付いてたんだ」

「そりゃ、僕は君の師匠だからね」

「またそれかよ」

 キバンブとの戦闘でジーンが魔法を使用しなかったワケは簡単。

 それは、戦闘で使用できるほどに練度の高い魔法を覚えていなかったからであった。

 情けない。

 と、貶すのは簡単だが、今更それを言っても無駄であることは分かり切っていた。今すべきなのは前を向くことであり、一日でも早い習得は勿論であるが焦る必要はない。

 中途半端な基礎を身につけたまま下手に上を目指すのは危険であるのだ。

 それならば、粘土のように柔らかくそして脆い土台よりも木材、更には石、そして金属でできた土台。といった具合に、より強固な基礎であるほどいいだろう。

 ここで出てくるのは、柔軟性に欠けるだとか視野が狭くなるだとかの話。

 いや違うだろうと。

 土台、つまりは下になるものは頑丈である方が良いだろうと。石や金属といったものはあくまでもイメージであるのだ。

 などと、昔を思い出すのは果たして誰であるのか。

 一先ず今日そして明日明後日は、自らの力のみで光源を用意できるようになること。およそ基礎とはかけ離れたことをやっているのは目を瞑るべきか。


「はは、まぁいいや。それよりも今日のお夕飯を用意しなくてはね」

「あんた料理できたのか」

「いんや、今の君と同じで見様見真似さ」

「……食えるならなんでもいいや」

「それでいい。期待しないで待っているといいさ。あ、そうだ。明日からは君にも手伝ってもらうからそのつもりで」

 今日は特別さ。なんて言葉を残し、一人暗闇の中へと溶け込んでいき。

 どれくらいの時が経ったのか。

 一度、ジーンの集中力が途切れた頃。それとも魔力の使い過ぎで地へと突っ伏してしまった頃か。

 数分、数十分と言った方が分かりやすいか。

 闇夜のマントを脱いだかの如く、気付けばリーンがそこにいて。実はすぐそばでジーンの様子を観察していたんじゃないかと疑いたくなるのは、考え過ぎか。

「キバンブの肉か」

「察しがよろしい」

 両手に乗る重厚なお肉。綿でも持っているのかというくらいに肉の重さを感じさせないのは、何か仕組みがあるのか。あるのだろう。

 本来は持つ必要もないのだが。見栄というか自慢したいだけというか。どうだ? 凄いだろうと見せつけたいという欲望の結果である。

 沢山の肉塊を浮かばせて登場した方が、とも思うのだが。どうやら彼の中ではそれが一番の見映えであったらしい。

「……で?」

 遂には指の一本で十数キログラム、下手したら二十キログラムはあるキバンブの肉塊を持ち始めた師匠に対する反応。

「で、とは何がかな」

「どうやってんだよそれ。見せるだけ見せつけておいて何も無しなんて、ないよな?」

 似た者同士というか、最早同じであるというか。ちゃっかりジーンの心には刺さっているようであった。

 もっとも、多くの肉塊を軽々持っていようと浮かせていようと、どちらであってもその反応は変わらなかったのであろうが。

 やれやれ、やることが山積みだな。なんてわざとらしく呟くのは誰で、へっ、師匠には敵わねぇな。なんて鼻を擦るのは一体誰なのか。

 微妙に格好がついていないのは……なんて言わない方が彼らのためなのか。


「それで、調理器具なんかは?」

「……こんな身軽な少年一人のどこにそんなものが隠せるとお思いで?」

「いやホント君はバカだな!」

 分かっていたことではあった。ただ、念のためにと聞いたのだ。

 が、やはりなかった調理器具。

 お鍋もない。お玉もない。まな板もない。包丁もない。どうするつもりだったのかと正気を疑いたくなる。


「甘い。甘すぎるよ師匠。そんなものは荷物になるだけだっての」

「では聞こう。君は今日含め食事に関してどうするつもりだったのかな!?」

「答えは簡単さ師匠。ほら」

「うーん! そんなドヤ顔でお鍋を作られてもね! あら凄い包丁まで作れるのね!?」

 無駄に、いやこれに関しては無駄ではないのか。

 どうしてそこに熱量を注ぎ込んだんだろうと不思議な程に、売り物として十分出せる土鍋や石包丁。素材があればよりよい作品が出来上がるのだろうが、そこに関しては仕方がないだろう。

 もしやそっちの道に進んだ方が、なんて考えも一瞬浮かぶがすぐに脳内ちびリーンがそれを無理やりに掻き消して。

 とまあそんな具合で夕ご飯の準備は進んでいき、特にこれといった豆知識なども披露されることなく。

 淡々とした作業の果てに完成したものは、やはりこれといって凝られた料理になることもなく。

 調味料の準備は申し訳程度にあったようだが、今後の分など関係ないとばかりにこれでもかと贅沢に味付けされたキバンブの塩焼き。

 調理中の音や匂いだけでも、誤魔化していた空腹が掘り出されてしまうのは当然のことであった。

 これは美味いだろうという確信が秒単位で盛り上がり、自身の作成した土鍋が完全に無意味であったことを気にする余裕もなくなって。

 魔力の尽きた身体には刺激が強すぎた。

 早く。早く食べたいという食欲の暴走を抑えることに必死で、周囲を警戒することも忘れてしまって。

 いい匂いに釣られてしまうのは、なにも人間だけではないということ。

 ジーンはその後ろから近づいてくる魔物に対して完全に不意を突かれてしまうことになる。

 身体はボロボロ、魔力もすっからかん。体力の限界であった一人の少年では避けることも防御態勢で身を守ることもできない。


 つまるところ、絶体絶命の状況である。


「はいそこ。油断しないように」

 自身の身の危険に気付くこともなく、そして気付けば助けられていたという事実をそこで初めて理解する。

 瞬間、強烈に情けない不甲斐ないという負の感情に襲われる。

 何をやっているんだ。本当に、何のために町を出てきたんだと。

「なに、気にすることはないさ。君はまだ子供なんだからね」

 そんな言葉に吐き気を覚える。

 子供なんだからしょうがない。なんて、これまで散々言われてきたことであったが今回特別にキツイと感じてしまうのは。

 一人でもやれる、もう一人でも大丈夫。甘すぎる妄想に吐き気を覚える。


 ようやく、ジーンは現実を見ることができたのだ。

 戦闘でボロボロになって自身の弱さを知る。死にかけることでその未熟さを知る。師を持つことで、その高みを目指す方向を自覚する。

 それは、ぼんやりとだが自分が成長している感じがして納得してしまっていた。

 これから頑張ればいいだろうと、どこかあやふやなままにして煙の中にある何かからひたすらに逃げていた。


「驚くことはないさ。誰しも、それに気付かないで生きているものなんだからね」

 町を出れば自分なんて力のない小さな生き物。

 何を成すこともなく、そこらの何かに命を刈り取られる弱者の立場。

 英雄ではなく愚者。

 目の前に生物としての格が違う存在がいるせいで、より自身の無能さが際立ってしまう。


 一言でいえば挫折。

 向こうのない、それが果てであると認識していた壁が実は超えるべき壁であったことに気付かされる。

 これは無理だろうと、どこか無意識の中で限界を決めてしまっていた。

 『世界を救う』だなんて夢物語を志す少年にとっては棘の鋭い現実であった。


「ん、どうしたのかな」

「……いや、なんでも。ありがと」

 手渡されたキバンブの塩焼きを口の中へ。

 美味しい。が、辛い。

 どこかしょっぱいと感じてしまうのは、味付けが雑だったからなのだろうか。

 気付きたくもないその隠し味。

 微量なその雫では味が激的に変わるわけもないのだが、そんな気がしてしまう。


 何も聞かれない。

 何も言われない。


 そんな師匠の優しさは余計であると決めつけて。

 焚火でもしていれば自身のその震えた声を聞くこともなかっただろう。

 嫌に静かだからこそ、嫌でも自分が泣いていることを突きつけられてしまう。


 静かだからこそ、こんな場所で聞こえるはずのない音色を聞き逃すことなく。

「ほっほっほー。旅のお方々、お邪魔でしたかな?」

 二人の耳に入ってきたのは、誰とも知らない男が肩に乗せる弦楽器の音色だった。

 あいさつ代わりにと演奏した後、その砂混じりに摺り歩く足音が遅れてやってくる。見事なまでの演奏を台無しにするくらいには品性のない行動であった。

 勿論、そんなことを気にする人間はその場にはいないが。


「え、あ、いや……」

 ジーンが気にしなければならなかったのは、自身の頬に流れる涙だけ。

 泣いていたことを誤魔化せるとは思わないが、泣いている姿をそれ以上見られたくないから。だからこそ傷だらけの腕で強引にでも拭いとる。

「ほっほっほ。良い匂いに釣られてやってきてしまいましたが、少し頂いても?」

「あー、すまないね。君の分はもうないんだ」

「おや、こちらの肉は捨ててしまうので?」

「言葉が足らなかった。調理済みのものは無いという意味だったんだ」


 いつだって世界は動き続ける。

 気持ちが落ち着くまで待っていてくれと願っても、そんな自分勝手な願いなど叶うはずもない。

 一人泣きたい夜にだって、こうやって来訪者は遠慮なしに踏み込んでくるのだ。それは当たり前であり、癇癪を起こすには小さすぎる問題である。

 どうしていいのか、感情はぐちゃぐちゃのままに。ジーンはその落ち着かない口の中へと残っているキバンブの塩焼きを詰め込んでいく。

 目の前に立つ来訪者に奪われないように、なんて思いがあったりなかったり。

「では、少しばかり分けていただけますかな。調理は勝手にやりますので」

「あぁ、問題ない。困った時はお互い様ってやつさ」

「これはこれは。ではお言葉に甘えて」

 ナイフを取り出し、どれくらいの量を切り取っていくのだろうと。ジーンは興味のままに観察しそして驚愕する。


「たはー、少しは遠慮しなよ」

「ほっほっほ!」

 取り出されたナイフは肉を切るためのものではなく。

 ずぶりと肉塊へと突き立てるためのものであり、何キロあるのだろうという肉塊をその太い腕っぷしで持ち上げる。

「フォイヤーー!!」

 瞬間、肉塊は火だるまへと変貌する。

 どこか穏やかな表情であった彼は、その時だけは目をかっ開いて轟声を響かせる。

 それでいてふざけているわけでもなく、肉を無駄にしようとしているわけでもなく。真剣であることは一目瞭然であった。

 ジーンは、そんな豹変具合がどこか面白く思えてしまい。

「ほっほっほ! いいですね! 笑うことはとてもいいことですね!」

 自然と。

 さっきまでの暗い感情など忘れたように。

 まるで聞こえてくるはずもない複数人で演奏される曲が流れているかのように。

「はは、これは良い厄除けになるね」

 いや、ジーンの幻聴などではなかった。確かに夜空に響くBGMが流れていたのだ。

 聞いているだけで楽しくなる。気持ちを明るくさせてくれる。どれだけ不自然な笑みであっても。心からの笑みではなかったのかもしれなくとも。


 内から温める優しさではなく、外から温める爆発力に溢れた空気が染みわたる。どこかの祭りに迷い込んだかのように、楽しんでいない者の方が悪いと思わされるような。

 ヒビの入った心が芯まで凍え切らないように、応急処置としての温もりで包み込む。

 閉じられかけた窓に手をかけ、強盗よろしく強引一方的なまでに押しかけてくる。


「ええ、睡魔に肩を叩かれたら言って下さいね? すぐにでもおやすみモードに切り替えますので」

 冷静に考えれば怪しさ満点であるのに警戒のけの字もない。

 師匠が何も言わないのだから、きっと大丈夫だろうと。どこまでも子供が抜けきらないのは仕方がないのか。

 ふとっちょな、風船のような形容をしている。男であるのは間違いなく、ひしゃげた帽子がどこかオシャレで。

 品性はないが不快感を感じさせない。なんとも不思議な雰囲気を持つ、恐らくは音楽家であろう男。不自然なまでに整えられた髭に、これまた不思議なまでに汚れのない身なりで。

 名も知らないのに、だ。


「名をお聞きしてもよろしいかな? 僕はリーン、この子はジーンだ」

「おや、まだ名をお教えしてませんでしたね。どうぞ私のことはブレメンとお呼びください」

 少し、ぼんやりとしていた間に何か会話があったのか。

 数分の記憶がないくらいには疲弊しきっているジーンであるが、ブレメンの奏でる音楽をもっと聞いていたいと求めてしまうのは。

 それだけの魅力をブレメンが持っているということだろう。

 不思議なのは、楽器を一つしか持っていないのにも関わらず複数の楽器の音色が聞こえてくること。

 幻聴でも気のせいでもなく、明らかに手に持つ弦楽器では到底出せないだろう音が出ていた。

 例えば笛のような。例えば太鼓のような。それも同時にだ。

 ジーンでは理解のできない、いや。理解しようとしないジーンにとっては仕組みなど分かるはずもなかった。


「おや、ジーン君はお疲れのご様子ですな」

「よし、今日の寝床は僕が作ることにしよう。勿論、君の分もね」

「おぉ、それはありがたい」

 どこからともなく取り出されたのは毛布。冷え込む時期ではないとは言えども、陽の出ていない夜になれば肌寒くもなる。

 リーンが創り出した明かりから熱が伝わってくるものの、それでは心もとないのは確かであった。


「甘やかすのは今日で……ってもう聞いてないか」

「良い顔になってきましたねえ」

「いつも、君は甘すぎるんじゃないかな」

「いえ、それが私の生きる意味でもありますから」

「……あぁ、それもそうだね」

 意識がないのをいいことに、何やら既に顔見知りであったらしい二人は言葉を交わす。

 いつも、とはどういうことなのか。

 ジーンに対しての言葉であるのか、それともジーンのような新人に対する言葉であるのか。

 ジーンからすれば二人ともに顔も知らなかった他人であるのは間違いがなく。しかしながら、リーンもブレメンもジーンを知っているような態度であり。

 第三者からすれば、ジーンは今非常に危険な状況のようにも思える。

 もしもリーンとブレメンが旅人を狙う盗賊だったら? どこぞの国へと労働力として拉致でもされてしまったら?

 なんて、少し考えるだけでもいくつもの可能性が浮上してくる。

 師匠であれ。音楽家であれ。

 という態度ならば、いくらでも誤魔化せるものであり。彼らが歴戦の者であるのならば、世界を知らない一人の少年など赤子同然。


 いいカモであるのだ。


「これからどうするので?」

「暫くは戦闘面の矯正。実戦になれてきたところで、丁度良い魔物の討伐依頼をさせる」

「拠点はどうするおつもりですかな」

「野宿が基本さ。どこかの町の宿を利用するのはまだ後」

「ほっほっほ。厳しいのですな」

「君と同じさ。それが僕の生きる意味だからね」

「……えぇ、そうでしたね」


 夜の空には星が輝いて。

 明かりを消してもいいのかとも思うが、必要無いのだろう。

 何故なら敵に襲われないから。身体を温める必要もなし。

 全て、リーンのおかげであった。

 魔物を除ける魔法を施し、身体が冷えないようにと空調の役目すら魔法で解決。

 ジーンに対しあれやこれやと言うのは、それが一人でもできるようになって欲しいから。

 知らないところで治癒の魔法をかける。それは、子を想う親のような。強く育って欲しいがゆえの厳しさ。

 そこまでする盗賊がいるのだろうか。

 ジーン本人に対する扱いは若干雑と言わざるを得ないだろうが、環境作りに関しては過保護であると言える。

 気遣いというか、配慮というか。まるで英雄を相手にしているかのような。

 リーンのその瞳に映っているジーンは、果たしてどんな姿であるのだろうか。


 長く、そして短い夜の終わり。

 日が昇る。景色が光に滲み始めるその頃に、気分良く眠っていたジーンは叩き起こされることに。

「どんな時だって迅速に戦闘へと切り替えられるようにすること」

「……ぅ……ぁ?」

 未だ覚醒へと至らない脳みそでは、そんな師の教えすら理解するに至らない。

「ほっほっほ。準備運動には丁度良い相手ですねぇ」

「……魔物……!?」

 黒く影を纏ったような姿。どこぞの獣より動きは早くないが、だからといってまごついている暇は無い。その攻撃範囲に入ってしまえば武装していても安全ではないのだから。


 名もなき異形の存在。何処で生まれ何が目的なのか。詳しいことは分かっていない、果たして生物であるのかすらあやふやで曖昧な存在。

 人のような姿をしている場合もあれば、獣のように四つ足の姿をしている場合もある。虫、魚、鳥。更には植物のような姿をしているモノも確認されていて。

 この世のものとは思えない姿をしていることも、稀ではあるが存在が認められている。

 人の罪に対する罰であると語る者がいれば、世界が与える試練であると語る者がいて。

 新世界への変遷のため、より優秀な生物の選別をしているという説があれば。風が吹き雨が降るの同じく、ただの自然現象であるとする説もある。

 結局は謎。正体不明の何かであると説明する他ない。


 それが魔物と呼ばれるモノ。


「君ならできるよ」

 その信頼はどこからくるのか。

 ただ、そんなリーンの言葉でも今のジーンにとっては砂漠の中のオアシス。たとえそれが幻影であろうと、確かなものだとしても。向かうべき先を示してくれるだけで希望が見えるというもの。

 不明瞭な視界の中、ここを進めばいいのだと誘導してくれる道標。

 それが今は必要なのだ。

 それを自覚していようが、自覚していまいが関係はない。大切なのはどの道をどう進んだのか、だ。

 師を持ち、高みへと目指す心を共に己が夢に挑み続ける。


「お、おおぉぉぉぉおお!!」

 剣を持ち。

「ほっほっほ、残念」

「いってぇぇぇええ!?」

 魔物に吹き飛ばされたその痛みに悲鳴を堪えることもなく。

 そこらにありふれた、世界にとってはなんてことはない脅威に敗れ。

 決して。

 彼は強大な力を持っているわけでもないし、頭脳明晰なわけでもない。

 要領が一際よいこともなく。そして諦めない絶対的に屈強な心を持っているということでもなく。

 人並みに失敗をして。間違いを繰り返し。時間をそれなりに消費して。何度も、その道から逃れようと足掻いて。

 ちっとも特別なんてことはなかった。

 よっぽど、世の中に名を馳せる英雄と呼ばれる者達の方が特別であるだろう。


 結局、彼はどこにでもいる一人の人間であった。

「ほっほっほ。どうです? 立てますか?」

「あ、ありがと……」

「さぁ、私もお手伝いしましょう。この場を盛り上げるくらいはできますからね

 ただ、ちょっと特別な縁に恵まれているだけで。

「お、おぉ! なんか力が湧いてきた……!」

「ほっほっほ!!」

 どこぞの舞台にでも立っているのか。

 劇を演じる役者にでもなっている気分を味わっていることだろう。

 ブレメンの奏でる音に煽られ、急速に萎えてしまった戦意が盛り盛りと息を吹き返してくる。

 力が湧いてくる、という感覚は気のせいではなく。一歩を踏み出した瞬間に自身の身体の変化に驚くことになる。

 凄まじい速度で近づいていくる魔物、もとい自ら近づいていくジーンは咄嗟に手に持つ剣を振り抜くことしかできない。

 良く言えば身体に染みついた訓練通りの動き。悪く言ってしまえば適当。

 だが、それで良かったのだ。

「やった……のか?」

 見事、その一撃は魔物を打ち倒すに値する攻撃力に達していたのだから。

 砂の如く崩れ散っていくその姿に驚いているのは、他の誰でもなくそれを成したジーンであり。

 そしてそれを満足そうに見守るのは、彼に集った者達であり。

「うん、丁度良い朝の運動になったかな」

「いや、あの。死ぬかと思ったんだけど……」

「ほっほっほ。それでも勝ち生き残ったのはあなたですよ」

 大袈裟ではないだろうか。

 ブレメンの言葉に若干疑問を持ちつつも、結果を肯定されるのは悪い気はしないのも嘘ではなく。少しずつではあるが自身が魔物を倒したのだと実感が湧いてくる。


 よし。よしよしっ。やったぞと。その喜びの感情を押し殺す必要はないのに、なんだかそれは恥ずかしい気がして。

 ジーンはさもそれが当然であったかのように、隠し切れない笑みだけを見せて。全力で喜ぶことも冷静さを徹底することもできず、不格好に立ち尽くすことしかできない。


 陽が昇る。

 腰曲がりの老い人が座したかのような背の低い山の肩越しにその姿を見せ、おはようと一日の始まりを告げてくる。


 一日。

 ジーンが旅に出て一日が経つ。

 その一日の間には一人の師ができ。死を覚悟するほどの怪我を体験し。幾度かの戦闘を経験して。

 魔法についても知恵を授かり。自身の弱さを知り。夢を想い。仲間が増え。

 その手で魔物を打ち倒し。

 町の中で過ごしている内には起こり得なかったであろうことが、自身を中心に巻き起こり。


 それらはまさに物語の始まりを予感させることばかりで。

「さぁ、朝食にしようか」

 また、一日が始まる。


 刻まれるのは物語。日々、書き加えられていくその物語。びっしり文字や絵が詰まったページもあれば、文字も絵も不充実なページもあるだろう。それに、物語を書いていくためには白紙のページも必要だ。

 あるページには果敢に敵に向かう姿があり。またあるページには夜、涙を流す姿があり。

 なんでもない会話。意味の無い時間。馬鹿みたいに下品な喧嘩も。

 書かれるはずのない無駄も、それは省かれているだけで確かに存在するものであり。

 誰にも知られたくない事実だってあるだろう。

 誰かに知って欲しい妄想だってあるだろう。

 誰かが知っている、本人でさえ知らない事実だってあるかもしれない。

 誰かか知りたい、本人ですら信じない妄言だってあるのかもしれない。

 同じに思えて、実は違う。

 違うように見えて、実は同じで。

 そんな嘘みたいなホントがありふれた世界に生まれたのは間違いなく現実で。

 本当みたいな嘘が平然とありふれている地獄に生きているのは疑いようもない真実で。

 そんな、羨ましいのか不憫なのか悩んでしまうような場所で彼は生まれ、そして生き、そして死ぬのだ。


「おいこれどうしたらこんなもん作れるんだよ!?」

「おや、お気に召さなかったのかな」

「いんやその逆! めっちゃ美味いよ師匠!」

 今日も、この物語ではいつも主人公である彼は。

 明日も、変わらないで主人公であり続けるのだ。

 

 

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