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2.英国 ‐1890年‐ 

 開いた窓から、初夏の風が入りこんでくる。ケンジントン・ガーデンズの木々が揺れるたびに、午後の陽の匂いが書斎のなかをひと巡りした。温かな風は、カラスとマリー、それからアンソニーの髪をなで、彼らの鼻先をくすぐった。


 アンソニーは緑茶を飲んで、ふっと息をついた。手にした茶器には、白地に青藍色の唐草模様が描かれている。カラスたちの結婚祝いにと、クリブデン公爵の弟・ウォルドーフが清国のコレクションを譲ってくれた物だった。

 カラスは苦笑いして、両手を髪につっこんだ。仕事中は髪を上げているが、普段は五年前と同じように、前髪を無造作に下ろしている。


「……というわけで、俺は夜明け前の東京からこの時代にやってきて、マリーと出会ったんだ。なんて…………信じられないよな、やっぱ。21世紀からタイムトラベルしました、なんてさ。夢物語みたいだろ」


 扉が開き、執事が銀のトレーを運んできた。緑茶の蓋椀と、白い磁器にのったお菓子。アンソニーの手土産だった。小ぶりな二種類のクッキーで、先端にチョコがかかっている。カラスは目をこすった。どこか見覚えのある形状だった。


「きのことたけのこ……」


 ぽつりと漏れたカラスの声に、目の前で、アンソニーが満足そうに笑った。

 一方は傘の部分がチョコになり、きのこに見えた。もう一方は三角形のまわりをチョコが覆って……たけのこに見えた。たけのこ? まさか。カラスは首をふった。この時代のこの国で、たけのこなんて見たことないぞ。きっとこれは……森林を模しているんだ。英国人は森の散策が好きだからな。


「僕はたけのこよりきのこ派なんだよねえ……」

 きのこ状のクッキーをつまみ、アンソニーが呟いた。

 ……………………空耳か?


「美味しい、アンソニー」

「へえ、マリーもきのこが好きかい?」

「どっちも美味しい」

「そうか……」


 ぽりぽりとかじり、アンソニーは小首を傾げた。


「きみは? カラス。やっぱりたけのこの方が好きなのか?」

「……これ、たけのこ……?」

「たけのこじゃなかったら何なんだ?」

「……糸杉とか」

「……10年かけて試作してるのに。もっとたけのこに見えるように改良が必要だな」

「え……ほんとに……たけのこなの?」

「そうだよ」

「……きのことたけのこ?」

「そうだよ」

「……そっか。知らなかった。あれ、日本のお菓子だと思ってたけど……19世紀の英国が発祥だったんだ」

「そんなわけないだろ。Meijiだよ」

「は?」

「有名だろう? Meijiは。チョコレートとかキャンディーとか」

「…………⁈」


 たけのこ状(らしい)のクッキーを口に放りこみ、アンソニーは小気味よく音をたてた。


「ところで、きみの自宅から東京タワーは見えるのか?」

「は? いや……見えないな」

 うん? 俺、東京タワーの話なんてしたっけ?

「ふうん。でも見たことはあるんだろ?」

「そりゃもちろん……小学校の校外学習とか……たまに街に出たときとか」

「いいねえ。スカイツリーも格好いいと思うけどさ。東京タワーには、なんていうか、こう……哀愁めいたロマンを感じるんだよね」


 遠い目をして、アンソニーは窓をながめた。

 マリーが困惑の表情で、ふたりの男たちを見守っている。

 カラスは声を絞りだした。


「あの……」

「うん?」

「あのさ……アンソニー……」

「うん」

「あなた……まさか……あなたも……21世紀からタイムトラベルした英国人だったのか⁈」

「そんなわけないだろ。僕は1859年生まれだ。あと百年は遅く生まれたかった……」


 低いぼやき声を前にして、カラスは口をぱくぱく動かした。

(なんだこの噛み合わない会話は……⁈ 意味わかんねえ‼)

「意味わかんないって顔してる」

「いやほんと意味わかんなくて」


 書斎に軽やかな笑い声が満ち、アンソニーは語りはじめた。

 10年前に彼が出会った、未来の友人たちの話を。



「それじゃ……俺の前にタイムトラベルした現代人が二人もいたのか⁈」

 呆気にとられるカラスの隣で、マリーも目を丸くしている。

「そう。しかも一人はきみの義父……公爵の養子で、もう一人は公爵家のメイドだった」


 マリーがはっと身を乗りだした。


「もしかして! アリスが以前話してくれた、駆け落ちした貴族の若様とメイドの子って……‼」

「ああ、アリトとミカだ。駆け落ちと言ってはいるけど、父親も公認だけどね。アリスの話も、僕がカラスに話したマイケル……公爵のひとり息子が日本で客死したという話も、どっちも同じクリブデン公爵家の出来事だったんだ」


 カラスは両手で顔をおおい、天井を見上げた。


「……………………まじか」

「すまないね。ミカと約束したから。僕と公爵以外、未来のことは誰にも話さないって。僕の思い違いで、きみが21世紀の人間じゃなかったら洒落になんないし。もしそうでも僕から打ち明けたら、警戒されたかもしれないし。きみから切り出してくれるのを待ってたんだ」 


 すみれ色の瞳が、泣き笑いのように細くなった。


「この五年間……きみに出会ってからずっと、打ち明けてくれるのを待ってたんだ」

「……愛する女性も友人も、同時に失くしてしまった」

 やわらかな声をこぼし、マリーは悲しみを顔にうかべた。

「アンソニー、あのときそう言ってたでしょう。駆け落ちじゃなくて……もしかして心中とか……亡くなられてしまったのかなって。後から思ってたの。でもそうなの……未来に帰ってしまったのね」

「うん……そうなんだ。だから大丈夫。ふたりは元気で生きてるから……未来で」


 くしゃりと笑われて、カラスは胸にじわりと切なさがひろがった。


「アリトは……俺の前に養子だったアリーのことだよな。上海に戻ったっていう。同じアジア人で親近感あったけど……そっか……21世紀の日本人だったのか……」

 公爵家の応接間には、彼の亡くなった妻と息子、上海(ほんとは現代)に戻った養子、そして新たな養子……カラスの写真が飾られている。

「そうだよ。マイケル、アリー、それからきみ……三人とも、公爵の大事な息子たちだ」

 優しいまなざしを向けられて、カラスは照れ笑いをうかべた。





「ところで、出会ってからって……アンソニー、俺のこといつから気づいてたの?」

「最初から」

 さらりと告げられて、カラスは目をむいた。

「はっ⁈ 最初って……」

「きみと市場で会ったときから」


 アンソニーとの出会いは、五年前の春、コヴェントガーデン市場でのことだった。友人のジェームスがカラスを鞭打ったと気に留めて、カラスが失踪(ほんとは現代に帰ってた)したあとで、K夫人の下宿を訪ねてきたのだ。


「前にも言ったけど、ユダヤ人や華僑かもしれない……とも思ったんだよ。そんな都合よく日本人……しかも未来からタイムトラベルした日本人なんかと出会えるのかって。でもきみを見たとき、真っ先にアリトを思い出したんだ。黒髪に背の高い細身の体躯で……しかもきみは目も黒い。それに着てる服もへんだったし」

「え⁈ そうか?」

「金がない労働者階級の男でも、安物のジャケットにベスト、スカーフを身に着けるものだ。ふつうはね。でもきみは長袖の襟なしシャツ一枚で……しかも労働者階級のわりに、肌つやがいいし歯もきれいだし。違和感、かな。うん。違和感をおぼえたんだ」

「それで……下宿を訪ねた?」

「うん。あのときは、失敗したなと思ったよ。新聞広告の尋ね人にきみを見つけて、あーー逃してしまったかってね。でも下宿でひとり残されたマリーを見て、帰ってくるかもしれないと思った。服も残されてたし。あの服があったから、ああ、やっぱり21世紀の奴かもなって確信を深めたんだ」

「……俺のウィンドブレーカーで?」

「そう。あの服はこの時代にはない素材だろう? ナイロンに……ポリエステルだっけ? ファスナーも付いてたし」

「……よく見てるなあ」

「そりゃあ必死だったからね。21世紀の日本人だなんて、出会いたいに決まってるじゃないか。なんとしてでも、決定的な証拠を見つけたくて」

「だから俺とマリーを雇ったのか?」

「そうだよ」

「でもたまたま使用人が辞めたって」

「嘘だよ」


 悪びれない笑みをむけられて、カラスとマリーは絶句した。


「誰も辞めてない。ああ言えば、きみたちも承諾しやすいだろうってね。でも話の雲行きが怪しかったから、リーに中断してもらった」

「あ。あのときの、面接の希望者が来たっていう……?」

「そう。他にライバルがいれば、きみたちも仕事が惜しくなるんじゃないかって」

「でもあんなタイミング良く……」

「リーが盗聴してたから」

「はっ⁈」

「うちの使用人通路には、応接間の話が聞ける小部屋があるんだ。他のいくつかの部屋にもね。鍵はリーしか持ってないけど」


 楽しげな口調はまるで、悪だくみを種明かしする少年のようだった。カラスは呆れた声を上げた。


「それじゃ……俺たちがあの屋敷で働くように……」

「仕向けたんだ」


 アンソニーはにやりと笑った。

 深いため息を吐くカラスに、真摯な声がかけられた。


「それに姉さまの手術について、21世紀のきみの助言がほしかったから」

「ああ……そうか」

「うん。もう大切な人間を失いたくない。そう言ったのは、本心だよ」

 冷めた緑茶を飲み干して、アンソニーはクッキーを手でつまみ上げた。

「…………ミカはたけのこ派なんだってさ」

 甘い声でつぶやいて、たけのこ状のクッキーを口に含んだ。



「きみたちはハネムーンには行かないの?」

「ああ、診療所もあるし……伯父に誘われてるから、ワイト島に一泊二日で行こうかって」

「アラム湾の針岩が真っ白できれいだって。ホワイトリーに教えてもらったの」

「そうか。診療所はR医師に頼んだら?」

「うん、まあ」

「……結局、切り裂きジャックは現れなかったし」


 カラスはぽかんと口を開いた。


「だから言ったろ? 聞いてるんだよ。ミカとアリトからいろいろと」


 公爵家の養子になったあとも、カラスは足繁くホワイトチャペルに通っていた。事件の被害者たちに声をかけ、彼女たちが孤立しないように目を配った。その成果なのか分からないが、切り裂きジャックの殺人事件はいまだに起きていない。マイルエンドに診療所を開いたのも、事件を食い止めたかったことが理由の一つだった。


「がんばってるじゃない」

「まあ……ジャックがどこにいるのか分からないのは怖いんですけど」

 苦笑いすると、ぽんぽんと肩をたたかれた。

「そんな一人で背負いこむな。僕にできることなら協力するさ。で、どう? 息抜きがてら船旅なんて」

「船旅……?」


 きょとんと二人に見つめられ、アンソニーは満面の笑みをうかべた。


「僕も公爵も、まだ結婚祝いを贈ってなかっただろ?」

「え? いや、あなたは花婿付き添い役をしてくれたし、義父はこの家を用意してくれたし……もう十分もらってるけど」

「行きたくない? 日本?」

 カラスは耳を疑う気持ちで、目の前の男をながめた。

「この夏に、秀人が来る予定なんだ。彼と会ったあと、秋に公爵と日本に行くつもりだ。きみたちもどう? 一緒に行かないか?」


 アンソニーは組んだ膝をかかえ、ふわりと笑った。


「21世紀じゃなくて、明治時代の日本だけど。でも日本は日本だ。たとえ百年以上前でもね。きみが生まれた東京だよ。マリーも見たくない? カラスがどんな国で生まれたか」

「見たい……絶対、見てみたい!」

「ねえ、カラス。王子稲荷で一緒に熱燗を飲まないか?」


 アンソニーが滲んで見えて、カラスは慌てて目尻をこすった。

 左手に温かな手がふれた。彼の隣で、マリーが優しく微笑んでいる。

 カラスは顔中に笑みをひろげ、力いっぱいうなずいた。

普段は21世紀の固有名詞は控え目にしていますが、めっちゃ使ってしまいました……好きなんです、明治のお菓子。

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