王太子様の秘密・4
「レオ、リンネ嬢! こんなところにいたんですね」
そのうちに、走ってやって来たのはクロードだ。
最初に見た貴族服と違い、動きやすそうな素材のシャツの上に胸あてや小手をつけている。宣言通り、剣術の練習をしていたのだろう。
クロードは私たちをいさめるように眉を寄せた。
「先生が困っていましたよ。礼儀作法の時間なのに、散歩すると言って逃げていった、とね」
「それ、困っているんじゃなくて怒っているんじゃ……」
私は思わずつぶやいた。クロードはじろりと睨むと、腕を組んで続ける。
「そうとも言います。さ、謝らないといけませんよ。先生だって暇じゃないんです。わざわざレオのために時間を割いてくださっているんですから」
「頼んでないのに」
ぼそりとレオが言ったが、クロードに睨まれ、口をつぐむ。私はクロードの袖をツンツンと引っ張り、懇願した。
「クロード様。先生には謝るから、これからは運動する時間もつくってくださいな」
「運動? さっきも剣術を習いたいとか言っていましたね。リンネ嬢は女性騎士にでもなりたいのですか?」
「そういうわけじゃないけど、体がなまって仕方ないもの。それに、レオ様も運動したほうがいいと思います。ツンツンする余裕がなくなって、よく話すの」
私がそう言うと、クロードはまた噴き出した。笑われてばかりいるようだが、怒られるよりはずっといい。
「それは気づかなかったな。でも……そうですね。さっきもずいぶん打ち解けていましたもんね。それに、レオの体力が落ちていることを考えれば、悪くはない。いいでしょう、陛下の許可を取ります」
「あと、それ。その、丁寧な言葉使いもやめてほしいです。クロード様の方が年上で身分も高いのに、気が引けますもん」
率直に言うと、クロードは少し首をかしげて「ふむ」と言う。
「ではリンネも敬語はやめてくれるかい? それなら僕も君に合わせることにしよう」
身分から考えれば、私が敬語を使うのはあたり前だ。言いくるめられているような気がして、クロードに不満を込めたまなざしを送ってみたが、笑顔で跳ね返された
あまりなれなれしくすると、周りから怒られるのではないかと心配になるのだけど、それをクロードにいちいち説明するのも面倒くさい。
(まあでも、クロードがいいって言っているなら、いいのか。問題があったとしても、子供のやっていることだしね)
「わかったわ。クロード。……これでいい?」
「いいね。君は期待以上に型破りなお嬢さんだ」
クロードはにっこり笑って私の手を引いた。そしてもう片方の手でレオを手招きする。
「さぁ、ふたりとも。こんなに汗をかいて。着替えたほうがいいね。風邪をひいてしまう」
「でも着替えなんてないし」
城に住んでいるレオならばともかく、私には着替えなどあるはずがない。
大丈夫だよ、とクロードは笑って続ける。
「明日からは、運動用の服も持ってくるように伯爵に頼んでおこうね。古着でよければ子供用のドレスもあるはずだよ。城の衣裳部屋には膨大な数の服があるから」
「本当?」
ホッとして笑うと、クロードが笑顔を返してくれた。ほころんでいた私に、レオが意味ありげな視線を向けてくる。
(勝手に運動の時間を取ってもらったこと、怒っているのかな)
不安でドキドキしていると、レオが消え入るような小さな声でつぶやいた。
「……呼べ」
「え?」
「俺のこともレオと呼べ」
よくよく見れば、レオは照れたように耳まで赤く染めていた。
(もしかして照れてる?)
そう思った途端、私までつられて赤くなってしまう。
「いいんですか?」
「敬語もいらない。クロードがいいなら俺もいいに決まっているだろ!」
大きな声で怒鳴られたが、言っている内容がかわいかったので、全然怖くはなかった。
「じゃあ、レオ!」
笑顔で言えば、「ああ」とレオがそっぽを向いた。ツンツンボーイのかわいらしい一面に、私の心はすっかりほころんだのだ。
部屋に戻ると、クロードに言いつけられたメイドが、私サイズのドレスを見繕ってきてくれる。
着替えている間に、レオは先生からお小言を食らったようで、戻ってからは私が叱られた。
「聞いていますか? リンネ様。今後は絶対に勝手に抜け出したりしないように」
「はーい」
「返事は伸ばさない!」
「はい」
バツが悪くて先生から視線をそらしたら、レオと目が合った。ぷいとそっぽを向かれてしまったけれど、もう嫌ではなかった。彼が視線をそらすのは、照れたときだとわかったからだ。
「先生、そろそろいいでしょう? 今日のふたりの成果を聞かせてください」
クロードが保護者よろしくそんなことを言い、その日の授業は終わりとなった。
翌日登校すると、学園内は噂話で盛り上がっていた。
「リンネ様が王太子様と?」
「まあ、どういうこと? 王太子様は誰とも会いたくないのではなかったの?」
主に令嬢の間で広まっているようだ。
昨日は、庭園の近くでストレッチ体操をしていたのだ。彼女たちの父親が王城勤めをしているならば、見ていても不思議はない。
「いったいどうしてなんですの? リンネ様」
直接私に問いかけてきたのはポーリーナ嬢だ。
「ちょっといろいろありまして。その、レオ様の話し相手になるように言われたのです」
「まあっ、そうなんですのね。けれどリンネ様おひとりでは大変でしょう。どうか私も一緒に連れていってくださいな」
そんなことを言われても困る。私は、クロードを通して国王陛下から命令を受けたのだ。勝手に人を増やすわけにはいかない。
「それは国王様からの許可を取ってくださいな」
「そこをリンネ様から口添えしてほしいのですわ」
ポーリーナ嬢は胸の前で手を合わせて期待に満ちた目を向けてくるけれど、まだ直接陛下と話したこともないのに、そんなお願いをするのは無理だ。
「無理です。私にそんな権限ないもの」
「まあっ。ひとりだけ王太子様に取り入ろうというの?」
普段は楚々としたポーリーナのゆがんだ顔に、私は嫉妬のにおいを感じて驚いた。
(友人だと思っていたけれど、彼女は私を利用して、レオに取り入りたいだけなのかな)
そう思うと、急速に熱が冷め、意地悪な気持ちが湧いてくる。
「ひとりだけというつもりはないですけれど。呼ばれたのが私だけだというなら、そうなのでしょうね」
冷たく言うと、ポーリーナ嬢の顔色がさっと変わった。
「な、なによ。リンネ様がそんなに冷たい方だとは思わなかったわ」
ツン、と澄まして彼女は背を向けた。その日、彼女が私に話しかけてくることはなかった。
*
「なにかあったのか?」
王城の勉強部屋で課題に取り組んでいると、レオが声をかけてくる。テレンス先生は、レオが解き終えた問題の採点をしていて、レオ自身は手が空いたところらしい。
「べつに」
「さっきから、上の空じゃないか。全然手が動いていないぞ」
私はペンを投げ出し、はあとため息をついた。
「ちょっとね。学園で嫌なことがあったの。私も引きこもって、ここでずっと勉強しようかなぁ」
「いいんじゃないか?」
冗談のつもりで言ったのに、レオが乗ってきたので逆に慌てる。
「駄目だよ。陛下はレオに学園に戻ってほしいんだよ?」
「俺は戻るつもりはない」
「もう……」
まだまだ、レオの心を解かすのは難しそうだ。ここで無理強いしたって仕方がない。
「困ったら言えよ。お前がそうしたいなら、学園に行かなくてもいいようにしてやるから」
レオはそう言うけれど、レオを学園に戻す使命を与えられた私がここで逃げたら、ミイラ取りがミイラになっちゃう。
(日本の義務教育で鍛えられてるんだからね)
女子の無視とか軽いいじめみたいなものは、通過儀礼のようなものだ。時がたてばなにもなかったようになる。それは凛音のときの経験則だ。
「平気。令嬢同士のお茶会がなくなったのは正直楽だし。今はレオとクロードがいるから、完全な孤独ってわけじゃないし」
「そうか」
むしろこの姿を見て、レオに気づいてほしかった。
つらいことがあっても、逃げずに立ち向かっていけば、いつかは現状を打破できる。大会でどんなに結果が出なくてつらくても、凛音は走ることをあきらめたりしなかった。そうして、優勝まで勝ち取ったのだから。
(逃げるのも大事だよ、……それはわかるけど、いつまでも逃げ続けていちゃ駄目なんだよ)
戦える力を蓄えたら、やっぱり一歩踏み出さなきゃ始まらない。私はそれを、レオに実感してほしかった。