王太子様の秘密・2
「レオ。リンネ嬢が来てくれたよ」
豪華な装飾の扉を開けると、そこにレオの姿があった。昨日とは違って、光沢のあるシャツと黒のスラックスという服装だった。
「今日は布みたいな服じゃないんですね」
思ったまま言うと、隣のクロードが噴き出した。レオが、真っ赤になって反論してくる。
「布ってなんだ! 失礼だぞ!」
「えっと、だってなんて言えば……」
ここには、Tシャツという言葉はない。
(チュニック? でもそれにしては装飾のない服だったし)
考えあぐねていると、「いいからさっさと座れ!」とレオがそっぽを向いた。歓迎しているわけではないが、追い出すつもりでもないらしい。
「昨日の服は夜着だ」
神妙に告げられた言葉に、私は噴き出してしまった。
こんな話、流してもいいのに、真剣に答えるなんて、レオはきっと律儀な性格をしているのだろう。
「どうして夜着姿で出歩いていたのですか?」
「父上が勝手に貴族の子女たちを呼んだからだ。そんなこと頼んでいない。俺は誰とも話したくないんだ」
引きこもりらしいセリフに、私は聞きながら、うんうんうなずく。
「だから、腹が痛いと言って部屋にこもって、時間近くになったから逃げだして隠れていたのだ。……お前こそ、なぜあんなところにいたのだ?」
リンネは単純に飽き飽きしていただけだ。子供たちを集めて……とは名ばかりで、会場は親同士も加わる社交場となっていた。お父様は、リンネよりも社交に夢中になっていて、ファザコンのリンネは、伯爵を心配させたくてこっそり抜け出したのだ。
(言えない! そんなかまってちゃん全開な返答)
「ええと……。お散歩していたら迷ってしまったんです。そうしたらモフモフした獣を見つけまして。捕まえたつもりがレオ様だったという……」
「獣?」
「ふわふわのキツネみたいな獣です。白い毛がやわらかくて……。『ティン』って鳴いてました」
実態の掴めなかった獣のことを、私はできるだけ詳しく説明した。不思議なことに、リンネの記憶のどこを探っても、あの生き物のことはなかったのだ。
「それは、コックスじゃないかな」
答えたのはクロードだ。私はその名前に既視感を覚える。
(どこかで聞いた気がするんだけど、どこでだろう)
「コックスとは?」
「もともとは、書物でしか見たことのない珍獣なので、絶滅したと言われていたんです。最近になって、王都で目撃情報が寄せられていますね。最初は白い狐じゃないかと言われていましたが、親の方に尻尾が二本あったので、コックスだと判定されたそうですよ。かわいらしくはあるんだけど、畑を荒らしたり、人や馬車の前にわざと出てきたりと、行動には危ない面もあります。賢い獣のようでね。捕まえてもいつの間にか逃げて、いなくなっているそうです」
「たぶんそれです。いつの間にか姿が見えなくなっていたし」
(珍獣かぁ。貴重な動物だったんなら、余計触りたかった)
頬を尻尾でなでられるくらい近くにいたのだ。寝ぼけて捕まえ損ねたことが口惜しい。
「お前はコックスを見たのか?」
レオに問いかけられ、私はうなずいた。
「レオ様と出会う直前にコックスを見たんです。触ってみたくて、捜してました。それでコックスと間違えて、レオ様に飛びかかってしまったんです。あのときはごめんなさい。そのあとは、レオ様が追われているようだったから、助けるつもりで身ぐるみをはいだんですよ。助けるつもりだったんだから、怒らないでください」
「身ぐるみって……お前は変な言葉を知っているな」
あきれたようにレオがつぶやく。引きこもりで人嫌いというけれど、会話はちゃんとつながっているし、反応は感情豊かだ。
(なんだ、ちゃんと話すんじゃない)
少し気が楽になり、私はちょっと調子に乗った。
「そうそう、レオ様って、私より年上だったんですね。意外です」
体は華奢だし、色も白い。身長だって私の方が高いのだ。
「年下だと思っていたのか?」
「ええ。てっきり。だって女の子みたいに細いし……」
私は、彼の細い手首をじっと見つめた。視線にいたたまれなくなってきたのか、レオはぷいとそっぽを向く。
「不躾に見るんじゃない。不敬だぞ!」
不躾と不敬って、意味違うんだっけと、不意に気になって、私はしばらく脳内で言葉を転がした。
「要は、私が無礼ってことですね!」
「……っ、真正の馬鹿か」
レオは、今度はあきれたようなため息をつく。
私はバツが悪くなってうつむいた。すると、レオの脇から「ぶっ、くくくっ……」というクロードの笑い声が聞こえてくる。
笑い上戸なのか、先ほどからずっと笑いっぱなしだ。
(そろそろ腹筋が疲れた頃でしょうよ。笑うのはやめて助けてくれないかな)
助けを求めて見つめる私に、クロードがようやく気づいてくれた。
「ああ、おもしろかった。すごいですね、リンネ嬢。レオがこんなに話すのは一年ぶりです」
「そうなんですか?」
思い返せば、最初に会ったとき、レオはほとんどしゃべらなかった。だからこそ、無理やり服を奪い取る暴挙に出たのだ。
「えっと、それはいいことですか? それとも私があまりに失礼でした? でしたら謝りますけど」
顔色をうかがうようにレオの方を見ると、くしゃくしゃに丸められた紙が飛んでくる。開いてみると計算の課題が書いてあった。
「謝れなんて言ってない」
レオはそっぽを向き、顔を赤らめたままそんなことを言う。
(なんだこれ、ツンデレか)
ここまでの行動を見ていても、レオは決してコミュニケーションの取れない人間ではない。とはいえ、ツンデレへの対応には慣れていないので、どういう返答をするのが正解なのか、私にはわからない。再び目でクロードに助けを求めると、まだ半笑いのクロードはそれを受け、咳ばらいをした。
「ふたりが仲よくなれそうでよかった。レオは今、学園に通っていないので、家庭教師をつけて勉強しているのです。学年が違うリンネ嬢には少し難しいこともあるかもしれませんが、予習のつもりで聞いていてください。リンネ嬢の学園での課題をその家庭教師に教えてもらってもいいです」
簡単に言えば、レオの勉強に付き合えということだ。すでに午前中に嫌というほど勉強してきた私としては不服だが、明日提出の課題を教えてもらえるというならばメリットはある。
(塾で勉強しているような気分でいればいいんだよね)
やがて五十代の男の先生が入ってきて互いに自己紹介をした。名前はテレンス先生。メガネがとてもお似合いだ。
「ようこそ、リンネ様。歓迎します」
手を差し出されたので、握手をする。
大人から、かしこまった挨拶を受けるのは、ひとりの人間として尊重されているようで、うれしかった。
テレンス先生は、レオから前回の宿題を受け取ると、今日の分を渡す。私には、「学園で出た課題をやっていいですよ」と言ってくれた。
クロードは、私たちの勉強中は、剣術の訓練をすると言って立ち上がった。
「えっ、いいな。私も剣を習いたいなぁ」
最近、運動する時間がまったくないので、うらやましくて、思わず言ってしまった。クロードはそれを聞くと、やれやれという調子で、私の頭をなでた。
「案外お転婆なんですね。でも、リンネ嬢には剣は重いですよ。また後で様子を見にきますからね」
なだめるようにそう続け、部屋を出ていった。