引きこもりの王太子様・4
「お、お帰りなさいませ」
私をエバンズ邸で迎えてくれたのは、側仕えのエリーだ。ダークブラウンのストレートの髪をうしろでひとつに結び、オドオドとした表情で、頭を下げる。
「ただいま、エリー」
エリーのことを思い出したときに、私は自分の悪行をも一緒に思い出した。
リンネは伯爵夫妻から溺愛されて育っていた。しかし中身はわがまま娘。ときに、ものを投げて高価な壺を割ったり、母親のドレスを果実の汁で汚したりなど、怒られるようなこともたくさんしでかしている。リンネはそれを、すべてエリーのせいにしてきたのだ。
雇われている立場のエリーは、反論もできずに罪をかぶり、罰を受けてきた。両親がエリーを解雇しようと言いだすと、リンネが『エリーをやめさせないで』と泣いてすがった。いっそ解雇された方が彼女は楽だったろう。リンネは恩に着せて、エリーを自分のいいように使っていた。おかげで、エリーはすっかりリンネに怯えているのである。
(子供のくせにひどいことするわぁ。これからはちゃんと優しくしなきゃ)
私はそう決意し、部屋でエリーに着替えを手伝ってもらった後もお礼を言った。
「ありがとう、エリー」
「……え?」
普段、お礼を言われることのないエリーは、空耳かというような顔をしている。
「しばらく休むから、夕食まで呼ばないでね」
「あ、はい! ごゆっくりお休みくださいませ」
エリーが出ていくのを見送り、私はベッドに転がって、リンネの記憶を整理した。
ここはハルティーリア王国。ディアノス大陸の東端に位置する、一千年ほどの歴史がある産業貿易国だ。国土内に大きな火山があり、地熱を利用した農業が盛んで、国は潤っている。
父親であるチェイス・エバンズ伯爵は、王都より南に領土を持っている。財務官という仕事上、一年のほとんどを王都にあるタウンハウスで過ごしていて、領地に行くのは冬の一時期だけだ。
リンネは、王都に住むほかの貴族子女と同様に、王国貴族学園に通っている。
日本と違い、この国の学校は五歳から十七歳までで、午前中しか授業がない。午後は自分の屋敷に戻って礼儀作法の練習をしたり、武術の訓練をしたり、狩りをしたりとそれぞれの家庭事情に合わせた行動をするのだ。
エバンズ伯爵家では、午後は礼儀作法の時間と決められていたが、リンネは逃げてばかりいて、使用人たちを困らせていた。そのくせ、伯爵からそれを責められると侍女のエリーのせいにしたのだ。
(また、リンネの悪行を思い出してしまった。ごめんね、エリー)
リンネの性格の悪さはさておき、クロードからのお願いは、その午後の時間に、城でレオと一緒に過ごしてほしいというものだ。
(レオ様ねぇ……)
私はごろりと寝返りを打つ。
一年前、王家は代替わりの政変があった。詳しい話はリンネの記憶にはないが、そのあとから、王太子が引きこもりになって学園に来なくなったという噂を聞いた記憶はある。
学生時代は、様々な貴族子女と交流が持てる貴重な期間だ。王族にとっては、将来の側近を見つけるまたとないチャンスでもある。その期間を引きこもりとして過ごすのは、あまりにももったいないと、国王陛下は考えているらしい。
まずはひとりでも友人をつくり、その子に誘い出してもらって外の世界へと飛び出してほしい。そういう意図で、先日のお茶会は開催された。結論として、レオは抜け出してしまって、結局私以外の人間とは顔すら会わせなかったわけだが。
(個人的には、引きこもっていたいなら、引きこもらせておけばいいと思うけどね)
この世界の常識では、父親の命令に逆らうことなど許されない。つまり、今の私には拒否権がないのだ。
私は、リンネの記憶を深堀りして、レオの年齢を思い出した。背が低く、腕も細かったから年下だろうと思っていたのに、なんと彼はひとつ年上だった。とはいえ、学園では彼の姿を見た記憶はほとんどない。
そもそも、終始かまわれたくないというオーラを出しているから、学園にいたときも教室から出ないような子供だったのかもしれない。
彼にとっては、陛下やクロードに無理やり友人として用意された私の存在など、邪魔なだけだろう。
(いっそ、嫌われちゃえばいいのかな。そうすれば、お互いにとって得なのでは。そうよ、もともとのリンネは性格悪そうだったしね)
妙案を得た私は、一気に気が楽になる。
(じゃあ意地悪を考えよう。えっと。……えーっと。なんだろ。意地悪ってそもそもどういうことをすればいいんだ? 困らせるとか、人の嫌がることをするとかだよね)
しばらく考えていたが、レオのことをなにも知らないのに、効果的な意地悪など思いつくはずもない。
(まずは敵を知らなきゃ駄目だな。とはいえ、なかなか打ち解けてもらえそうにないけど……)
そこで、クロードを味方につけることを思いついた。彼は話し方も落ち着いていて、大人びていた。愛想がよく、優しそうだし、うまくすれば仲よくなれるだろう。
「よし、がんばろ」
方針が決まったことで安心し、急速に眠気が襲ってきたので、私は目を閉じた。
(あれ、そういえばあのモフモフ、結局なんだったんだろう)
眠る直前にそんなことを思ったけれど、睡魔には勝てず、私はそのまま深い眠りに入ってしまった。
夕食の時間に呼びに来たエリーに起こされ、寝ぼけたまま夕食の席へと着くと、お母様からは質問や叱責がたくさん飛んできた。けれど、寝ぼけていたので私の頭には全然残らなかった。
お小言は、多すぎると雑音にしか聞こえないのだ。