『力』の発現・5
光に導かれるように、私は目を開けた。
「……琉菜?」
視界に赤毛の令嬢のホッとした顔が見えた。
「ローレンですよ。リンネ様」
「どうし……もがっ」
突然、口の中に熟した果実が突っ込まれる。
「ティン!」
「もがっ、ソロ?」
一生懸命、果実を押し込んでくるのはソロだ。
『やっと起きた。ほらリンネ。これ食べて回復して』
やがて、頭の中に直接声が届く。果実はイチジクみたいな味がした。やわらかくて口の中ですぐつぶれていく。途端に、体の中に水分が満たされたような感覚になる。
「おいひい。これ……なに?」
『フィッグの実。魔力を最大限まで高めるもの。〝神の庭〟の大樹でもつくるのに二週間かかる貴重な実なんだ』
「そんな大事なもの……?」
ソロは私の頬をぺろりとなめると、首を振った。
『本当はもっと早く持ってこれた。大人になったら採れるんだ、これ。でも僕、子供のままでいたいから、遅くなったんだ。ごめん、リンネ』
どうしてかわからないけれど、ソロが謝っている。
変なの。ソロは私を助けてくれたのに、どうして謝るの。
「謝ることないよ。私、ソロが大好きよ」
フサフサの毛をなでると、それだけで気持ちがいい。私も癒されていくみたい。
『僕も、リンネ好き。リンネの手はいつもあったかい』
朦朧としたまま、ソロの頭をなでていると、突然ソロがひょいと抱き上げられた。
『触るな!』
「そろそろ交代しろ、珍獣」
ソロとぎゃんぎゃん言い合いするのはレオだ。ソロをぽいと投げ捨て、心配そうな顔で私を覗き込んでいる。
「レオ」
「よかった。ちゃんと目覚めて。お前、二日間も目を覚まさなかったんだぞ?」
「ええ?」
そんなに寝てた? 記憶にないけど。
レオは泣きそうな目を細め、私の右手を取ると、そこに額を押しつけた。
「よかった。生きてて」
「あはは、レオこそ、無事? 魔法陣は?」
「消えた。呪文も、全部お前が消してくれた」
「本当? よかった」
「でも俺は死ぬかと思った」
レオの顔は、私の手で隠れて見えない。だけどなんだか泣いているように見えた。
「お前が目覚めなければ、生きることに意味なんて見いだせないって、ずっと思っていた」
「レオ?」
それは駄目でしょう。レオは生きなきゃ。やっと、ジェナ様の魔術から解放されたのだから、幸せにならないと。
危ない、危ない。夢の中でローレンに言われた通りになるところだった。
「リンネ」
レオは真剣な顔になったかと思うと、私の後頭部を掴んで引き寄せる。
「……え?」
顔が近い……と思っているうちに、唇に優しく温かいものが触れた。呆然としているうちに唇は離れ、耳もとで優しいテノールがささやく。
「愛してる。リンネ」
私は、燃え滾っていた石炭を胸に放り投げられたように、体中が熱くなった。
「なっ……なっ」
キスされた! ええ? レオに?
顔が熱くて無性に照れくさい。
だが、レオは私の動揺など気にした様子もなく、真顔で私を抱きしめる。
「もう気持ちを抑えるのはやめる。俺は初めて会った八年前からずっと、お前しか見ていない。……ずっと好きだったんだ」
照れたように細められた瞳には、深い愛情が宿っていた
私はこんな熱烈な愛情表現を受けるなんて思ってもいなかったから、胸が苦しいやら喉が痛いやらで、体がおかしくなってしまいそうだ。
「や、ちょっと待って。だってローレンは?」
そこで、ローレンが私とレオの間に割って入ってきてくれた。
「ちょっとレオ様。こんな人がいっぱいのところで言うのはデリカシーがなさすぎます」
「だったらお前たちが出ていけ」
「リンネを目覚めさせたのは私ですよ? その態度はどうかと思いますー!」
私の寝ているうちになにがあったのか、ローレンはすっかりレオに強気に出られるようになっていた。
「くっ……わかったよ」
「レオ様は少し落ち着いてください。私もリンネに話があるんです」
そうして、レオと交代する形でローレンが椅子に座る。
「お前を助けてくれたのはローレン嬢だ」
「ローレンが?」
ローレンは少しバツの悪い表情をしつつ、舌を出してへらりと笑ってみせた。
「私にも、〝力〟が発現したんだよ」
「え、でもソロは」
「この子が私のコックス。イリスって言うの」
「ティティ!」
たしかに、ローレンの肩にはソロによく似た小さなコックスが乗っている。
「ローレンも癒しの力が使えるの?」
「……いや、力についてはまあ、後で説明するわ」
ローレンは言いにくそうに目をそらした。なんだ? そんなに変な力なのかしら。
「じゃあ、ローレンが助けてくれたんだね。ありがとう」
そう言ったら、ローレンが感極まったように抱きついてきた。
もう仲直りでいいのかな、なんて私もホッとして抱きしめ返す。
「今度こそ、早死になんてごめんだから。私もリンネも、おばあちゃんになるまで長生きするんだよ。琉菜と凛音のためにも」
そうだね。早くして死んだ前世の私たち。まだまだやりたいことだってあったもんね。
「うん!」
「ずっと友達なんだからね、リンネ!」
なんだかよくわからないけれど、友情は復活でいいらしい。よかった。ローレンとケンカをしているのは悲しいもん。
ローレンが落ち着いたところで、今度はレオのことが気になる。
「ところで本当にレオの魔法陣は消えたの」
「ああ、綺麗さっぱり、腕の呪文まで消えた」
「本当? 見せてよ」
私の発言に、周りが固まる。あれ、なにかまずいこと言ったかな。
「いや、ちょっとここでは」
「なんで。脱がないなら脱がすよ」
「だからお前はもう少し恥じらいを持て!」
レオが真っ赤になって言ったときにはすでに、私はレオの上着に手をかけていた。長く寝ていたせいで、動きはぎこちなく、レオが本気で逃げようと思えば逃げられるはずなのに、観念したのかじっとしている。
「きゃー、レオ様の裸!」
うしろで盛り上がっているのがローレンで、クロードはあきれたように黙って見ている。
そして私は今頃になって、令嬢が王太子の服を脱がすのは普通あり得ないのだったと気づいた。……まあいいや。今さらでしょう。
はだけたシャツの中に、レオの隆起した筋肉が見える。だけどそれだけで、赤黒い呪文も、禍々しい魔法陣もすっかり消えている。
「本当だ。すっかり綺麗になっている。よかった!」
ホッとした途端、妙に気恥ずかしくなってきた。だって、私の理想の筋肉がついた胸板や、腕が目の前にあるんだよ? 今までの私、どうしてこれを平気な顔で眺めていたんだろう。
「も、もういい」
目をそらして彼のシャツの前を閉めると、反応の違いに気づいたのか、レオが意地悪な顔で笑った。
「どうした。見たいんじゃなかったのか。存分に見ていいんだぞ」
「もういい」
「なに今さら恥ずかしがってるんだ」
「だって。なにも書かれてない裸見てるのって、裸見るのが目的みたいじゃない!」
「見たくないのか」
「恥ずかしいよ」
私がそう言うと、レオもクロードも笑い出す。
「お前に、まともな神経が残っていたようでよかったよ」
散々な言い草である。まあ反論はできなかったが。




