『力』の発現・4
* * *
夢を見ていた。
私はいつものように城の内周をレオと駆け回っている。
走り始めた八歳の頃は苦笑しながらも微笑ましく見守ってくれた兵士たちも、十五歳を過ぎる頃から、いぶかしげなまなざしを向けてくるようになった。私のやっていることは、貴族女性としては相当はしたないらしい。
止めるように進言してきた紳士もいた。それでも走り続けられたのは、レオが口添えしてくれたからだ。
『リンネは俺の訓練に付き合っているだけだ』
王太子にそう言われれば、それ以上は言えなかったのだろう。紳士はすごすごと背中を見せて去っていく。レオは私に向かって笑ってみせた。
『誰かになにか言われたら、今みたいに言っておけ』
『うん。……ありがと、レオ』
昔から、レオだけがかばってくれた。彼自身、よく『どうしてそんなに走りたいんだ』と言っていたから、ランニングに理解はなかったのだろうと思うのに。
『それにしても、リンネはどうしてそんなに走るのが好きなんだ』
その日も同じように聞かれて、私は考えた揚げ句、笑ってごまかした。
どうしてと言われても、理由なんかわからない。
あの頃――凛音は気がついたら走っていた。もともと足が速かったというのもあるけれど、走っていると気持ちがよかった。勉強ができない私が、唯一褒められるのがそれだったっていうこともある。
お父さんもお母さんも、仕事の忙しい人だったけど、大会のときだけは応援に来てくれた。私にとっては愛されることはすべて走ることから派生したものだったから、走り続けていれば、幸せに近づいていけるのだと思っていたのだ――。
『よくわからないけど、気持ちいいんだよ。……周りの音が聞こえなくなって、自分の心臓の音ばかりが響くようになるの。苦しいんだけど、自由な気持ちになる』
『自由に……か』
私の隣に、レオがゴロンと横になった。王太子様がやるにはあまりに庶民的な動作で、おかしくなる。部活のときもそうだったな。陸上部は男女混合で、とくに意識せず隣に横になったりしてた。この距離感が、私は大好きだった。
『レオは? 走るの楽しい?』
『俺か?』
レオは少し考えて、ふっと目をそらした。
『疲れるかな。だが、まあ、楽しい。お前と走るのは』
少し照れたその顔は、なかなかにかわいくて格好よくて。
『うん!』
私は幸せだった。レオと一緒に走っていたら、それだけで幸せだったんだ。
だから、ここにずっといたい。難しいことなど考えなくてよくて、レオの命が脅かされることもない世界。
ここでずっと走っていれば、それで私は幸せになれる。
映画のフィルムを巻き戻すみたいに、私はもう一度走り始めるところに戻る。
あきらかにおかしいのに、それを無視して、何度でもこのシーンを繰り返した。
何度目かの走り終わりで、誰かの声がした。
『駄目だよ』
『誰?』
『リンネ、もっと幸せになれる方法、知らないの』
琉菜の声だ。体育会系の私と、オタク系の琉菜。接点なんてほとんどないのに、琉菜といるのは楽しかった。それは琉菜がいつも、私には思いつかないようなことを言って、新しい世界を見せてくれるから
『今も幸せだよ?』
『馬鹿ね。変化のない世界が、幸せなわけないじゃない』
はっきり言った琉菜の声に、私は首を振る。
現実は大変なことばかりあるんだ。幸せな今をずっと続けたいって望んじゃ駄目なのかな。
『リンネ。考えるの。想像して? レオ様の呪いが解けて、でもリンネは目覚めない。そうなったら、どうなると思う?』
私は想像してみる。女性恐怖症も治って、命を脅かされることもなくて、レオは幸せになれる。身分のつり合うかわいいお嫁さんをもらって、王太子として立派に暮らしていくだろう。
『違うよ、リンネ。想像力ないなぁ』
『ええ?』
『レオ様はリンネが目覚めないから、ずっと付き添ってまた引きこもりになるの。体も鍛えなくなるからひょろひょろになって、執務も滞って、王位継承権も危ぶまれるんじゃないかな』
琉菜の全否定発言に、私は必死に首を振った。
『そんなことないよ。レオなら大丈夫』
『大丈夫なわけないよ。今まであんなにリンネに依存していた人が、簡単にひとりで生きれるようになるわけないじゃない』
琉菜の声はやがて、ローレンの声に変わっていく。
目の前に、赤毛のローレンが現れ、私に手を差し伸べてきた。
『だからリンネ。レオ様が好きなら起きようよ。リンネがいなきゃあの人、駄目人間になっちゃうよ』
『……でも私、もう』
レオが苦しんでいるのを見るのが嫌だ。無力な自分を実感するだけで、なんにもできない。
『呪文も魔法陣も、ちゃんと消えたよ。リンネのおかげで』
それを聞いて、私は心が軽くなるのを感じた。
『本当?』
『だから、リンネが戻ってくれないと、ハッピーエンドになれないの。ね、行こう。レオ様、待ってるよ』
ヒロインはローレンだったんじゃなかったの? と思ったけれど、元気になったレオを見たい欲には勝てなかった。
ローレンの手に、自分の手を預ける。ぐいと引っ張られて、突進した先にあったのは、光だ。まぶしくて、なにも見えないほどの――




