表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/46

『力』の発現・2

 彼は神妙な顔をして、私に一枚の紙を見せてくれた。


「いいかい、リンネ。こっちの黒字で書かれているのが、レオの胸に刻まれている魔法陣だ。そしてこの赤字の部分を、リンネに書き足してほしい」


 黒字の二重円の外側に、赤字で三角の模様と呪文が書かれている。三角の模様は呪文の効果範囲を示しているようで、三方から円を囲むように三つ配置されている、その周囲に呪文を書くのだけれど、呪文部分が複雑で、これを正確に刺すのはなかなか難しい。


「私に……できるかな」

「そこはリンネにがんばってもらうしかない」

「うん」


 わかっている。レオを守りたい。どうしても生きていてほしいのだ。そのためになら、どんな努力でもする。

 決意したものの、私の顔は青ざめていたのだろう。


「リンネ」


 横になっているレオが、私を呼んだ。彼の紫水晶みたいな瞳には、泣きだしそうな私が映っている。


「レオ……大丈夫?」

「それは俺が言いたい。お前こそ顔が青いぞ。なんなら走ってくるか? 元気になるだろう? ……今は、一緒に走ってやれないけど」

「馬鹿、なに言っているのよ。自分が大変なときに」


 こんな緊迫した場面でなにを言うのだと思ったけれど、レオのいつもと変わらない調子に、私の心は少しだけ和んだ。


「はは、怒るな。……っ」


 だが、レオが急に顔をしかめた。ビクンと体を跳ねさせて、痛みをこらえるように、ギュッと目をつぶる。そのうちに魔法陣がぼんやり光って、六芒星の書きかけの線が一気に二センチほど伸びた。


「呪いが進行した……?」


 その瞬間を見るのは、初めてだった。

 血を吸って進行するものだとは聞いていたし、たまに痛むとも言っていたけれど、あまりに淡々と語られていたから、そこまでひどい痛みだとは思っていなかった。けれど、一気に彼の顔は青ざめ、呼吸もやや荒くなっている。間違いなく、呪文がもたらす症状だろう。


「リンネ、時間がない」

「わかってる」


 私は自分の胸に手をあてた。


(落ち着いて、私)


 願いながら、『手当て』すると、自分の体の中の魔力が循環し、震えは止まった。

 私は息を吸い込み、クロードにうなずいてみせた。

 レットラップ子爵から差し出されたインクに針をつける。普通のインクよりも粘質が強く、引き上げたときにもインクは針先にしっかりまとわりついていた。

 私はそれを、レオの胸にそっと刺す。


(うう。痛そう)


 自分が刺されたわけでもないのに、痛いような気がしてしまう。詰めていた息を吐き出して、再び針をインク壺に戻す。あとは繰り返しだ。

 レオは痛みに顔をしかめていたけれど、声には出さず、ただ静かに私の手もとを見つめていた。

 女性恐怖症となったあの日を、追体験しているようなものだ。怖いだろうし、つらいだろう。彼が感じている苦痛は、正直私には想像しきれない。

 私はクロードから見せられた紙の通りに、レオの肌に針を刺していった。三角をひとつ、またひとつ。

 けれど途中で、再び魔法陣の線が伸びていく。


「また? 進行が早すぎる!」


 クロードが悲鳴のような声をあげた。

 私は、自分の手が震えてくるのがわかった。

 集中力が途切れ、胸に宿る弱気にとらわれてしまう。


 本当に私で大丈夫なの? 小説のヒロインはローレンなのに。

 もしここで失敗してしまったら、目の前でレオが死んでしまうかもしれない。私のせいで、すべてが駄目になってしまったら、どうすればいい?


 手の震えが止められない。自分に『手当て』をする精神的余裕さえ、なくなってしまった。


「リンネ、もっと力を抜け」


 私の様子を眺めながら、レオがつぶやく。


「でも」

「失敗したっていいんだ。お前が不器用なことくらい、俺だってクロードだって知ってる」


 レオがとんでもないことを言いだすので、私は睨んでしまった。


「よくないよ。失敗したらレオ、死んじゃうんだよ? 本当にわかってるの?」


 思わず怒ってしまったけれど、レオは微笑んだままだ。


「俺は、後悔はないんだ。この八年間を思い出せば、楽しい記憶ばかりだった。命を預ける相手がお前で、よかったと思ってる。ここで終わったとしても悔いはない」


 ほら出た、無欲。冗談じゃない。死んでもいいなんて、八十歳過ぎたおじいちゃんになってから言うことだよ。もっと生きる意欲を見せてよ。


「私は、嫌だよ」


 腹が立っているのに、涙があふれそうだ。悔しいし、悲しい。レオが、生きることに執着してくれないことが。


「嫌……って言っても、仕方ない。そもそもこの呪文はお前のせいではないし、責任なんて感じなくていいんだ」

「責任とかじゃなくて、ただ嫌なんだよ。自分が役立たずなのが嫌だし、訳のわからない魔術なんかでレオを失うのが嫌。レオがいなくなったら、私この先、誰と走ればいいの!」


 レオが目を見開く。私は吐き捨てるように続ける。


「ほかの誰も、一緒に走ってなんかくれない。レオだけだもん」


 私が救ってくれたとレオは言うけれど、救われていたのは私の方だと思う。

 突然、前世の記憶がよみがえって、パニックになっていた私はおかしな言動もいっぱいした。あきれたり驚いたりしながらも、レオはそれを全部受け止めてくれた。一緒に走ろうって言ったときも、私の気が済むまで付き合ってくれた。

 走り終えて空を見上げたあの時間に、私がどれほど救われていたか、レオはわかっていないんだ。


「ひとりになったら走れないよ、レオ。私にはレオしかいないのに、どうして平気で置いていこうとするの」


 自分でも驚くほど、弱気な声がでた。

 助けてほしい。独りぼっちにしないで。

 レオを助けようとしている私が、彼に助けを求めるなんてなんかおかしいけれど、私には頼る人がレオしかいない。


「ひとりは嫌だよ。レオと一緒にいたい」


 ひどく甘えた声が出て、私は恥ずかしさにうつむいた。


「リンネ」


 レオの声に、力がこもった。

 先ほどまでと違うその力強さに、私は顔を上げた。彼は手を伸ばし、私の左手を、励ますように握りしめる。気のせいかもしれないけれど、瞳に生気が宿ったように見えた。


「わかった。生きる」


 突然、はっきり宣言された。

 レオが生きる意欲を見せてくれた。それが私にはとてもうれしい。それだけで、私の胸にも勇気が生まれてきたような気がした。


「絶対にひとりになんかしない」

「うん、……うん!」


 さっきとは違ううれし涙が込み上げてきて、私の頬を伝っていく。


「泣くなよ」

「これは、感動してるからだもん」


 私はもう一度針を握りなおし、レオの胸の魔法陣へと手をあてた。

 すると不思議なことが起こった。体の中から、急速に魔力が吸われていく。それは私の手から針を伝って、レオの体の中へと吸い込まれていく。

 やがて、未完成な魔法陣が光り出した。まぶしすぎて、周りが見えなくなるのと同時に、さらに体から魔力が吸い取られていく。


「リンネ?」


 レオの声がする。だけど私は、体から魔力をすべて搾り取られて、自分の体すら支えられない。

 やがて、レオの胸の魔法陣がかすんでいくように見えたけれど、それが、私の視界がかすんでいるからなのか判別がつかなかった。


「ティンー!」


 朦朧とした意識の中で、ソロの叫び声を聞いた気がする。だけど、本当にソロがいたかどうかは、そのまま意識を失ってしまった私には、わからなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ