引きこもりの王太子様・3
洗濯されたシーツの匂いが心地よく、やわらかい布団が私を包む。なんて素敵なベッドだろう。ここから出たくない。
寝返りを打とうとしたが、クッションのやわらかさに阻まれ、体が反転しない。結果、意味不明な動きでもがくだけとなった。
「ああ、目覚められましたか?」
よく通るテノールが聞こえ、私は驚いて目を開ける。寝起きに男性の声で起こされるなど、人生初だ。
(まさか、いかがわしいことが?)
だが、そんなわけがないことにはすぐに気づいた。
ベッドには私ひとりだ。ただ、すぐそばで、男の子が覗き込んでいる。
明るいイエローブラウンの髪の、美少年だった。先ほどの少年よりはあきらかに年上だけど、大人とは言いきれない。おそらく中学生くらいの年齢だ。俳優のような整った顔立ちで、少したれ目なところが特徴的だ。
(将来が楽しみ。……って、違う違う、そうじゃなくて)
「誰?」
「私はクロード・オールブライトです。初めまして、リンネ・エバンズ伯爵令嬢。以後お見知りおきを」
あまりにも丁寧な挨拶に、私は息をのんだ。
(そうだ。ここは日本じゃないんだ)
「えっと私……」
焦って上半身を起こすと、はらりと布団がはだける。ドレスは着ておらず下着姿だった。私が気づいて慌てるのと同時に、クロードは私に背中を向けた。
「失礼。眠るのにドレスは苦しいでしょうと、着せていないのです。今侍女を呼びますから、支度を整えてください」
「はあ」
よくよく周囲を見ると、部屋にはクロードのほかに先ほどの少年と、三十代と思しき紳士がいる。記憶を探るとすぐに人物が判明した。リンネの父親であるエバンズ伯爵だ。
お父様は、怒ったように眉を寄せ、「心配したのだからな、リンネ」とじろりと睨んでくる。
「そう言わないでください。エバンズ伯爵。お嬢様のおかげで、こうしてレオも無事に見つかりましたし」
クロードがお父様をなだめて、「さあ、リンネ嬢は着替えますから」とみんなを追い立てて出ていく。
すぐに紺色のお仕着せ姿の女性が入ってきて、私が少年に投げつけたドレスを着せなおしてくれた。
(あ、念願の鏡だ)
鏡の中にいたのは、記憶通りのリンネ・エバンズの姿だった。金色の髪は緩くウェーブがかかっていて、ゴージャスな印象を与える。アクアマリンのような薄い青の瞳は、ちょっとつり上がり気味ではあるけれど、美人だと言えるだろう。が、幼い。悲しいくらいに胸がぺったんこだ。
(リンネは八歳なんだよね。仕方ないかぁ)
なけなしでもAカップはあったことを思えば悲しくなるが、仕方ない。顔が美人になったことを喜ぶべきだろう。
私が考え込んでいる間に、着付けをしてくれた侍女は、針と糸を取り出した。
「脱ぐときに無理をなさいましたね。しばらくじっとしていてくださいませね」
くすくす笑いながら、やぶれた部分を繕ってくれる。
(着たままで直せるなんてすごいなぁ)
感心しているうちに、あっという間に、身支度は整った。
「では王太子様をお呼びしてまいります」
侍女はにっこり笑うと出ていった。
(ん? 王太子様? 誰が?)
中に入ってくるのは、先ほどと同じクロード、少年、お父様の三人だ。
(どっちが王太子様? クロード?)
じっと見つめていると、最初に近づいてきたのはお父様だった。
「改めて、体はどうだ? リンネ。いつの間にか広間からいなくなっているから慌てたぞ」
「え? えっと」
「覚えていないのか? 今日は私と一緒に、王家のお茶会にお呼ばれしたのだぞ」
その言葉を頼りに、記憶を探る。近い記憶だから、すぐに見つけることができた。
王太子様の回復を祝うために、王城に勤める貴族の子女で、王太子様と年齢の近い子供たちが集められたのだ。
(ん? 回復? なんか病気だったんだっけ?)
私は、改めてクロードと少年を見つめた。にこにこ笑顔のクロードは、社交性にまったく問題がなさそうだし、とてもリンネと同い年には見えない。ということは当然、少年が王太子様だ。
(私、さっき王太子様の服をひっぺがしたってこと? いや、だって、あんなパジャマみたいな服で王太子様だなんて思わないじゃん)
青くなってうつむいた私に、お父様は「思い出したか?」と肩をたたく。あまりの動揺に言葉が出せず、私はコクコクとうなずくことで返事をした。
「では王太子殿下に失礼を謝りなさい」
「はい。……申し訳ありませんでした」
一応頭を下げたが、彼はちらりと見ただけで、すぐにそっぽを向いてしまった。
(くっ、態度が悪い)
私がムッと顔をゆがめると、クロードが慌ててとりなしてきた。
「こら、レオ。……失礼しました、リンネ嬢。たしかにあなたの行為は不敬ではありますが、私は感心しているんです。レオは人嫌いの引きこもりでしてね。普段は人に体を触らせることなどないんです。彼から服を奪い取るのは至難の業だったでしょう」
私は首を横に振る。有無を言う暇は与えなかったし。抵抗されたわけでもない。それほど大変ではなかった。
「そこでね、あなたの手腕を見込んでお願いがあるのです。今日、陛下はレオのために同じ年頃の子女を集め、少しでも人嫌いと引きこもりを改善しようとしています。ですが、彼は着替えもせずにこうして部屋を抜け出してしまいました」
聞いているうちに、リンネの記憶から〝引きこもり王太子〟という言葉が浮かんできた。みんな大きな声では言わないが、陰でそんなふうに彼のことを呼んでいたはずだ。
「このままでは友人もできず、学園に戻るなど夢のまた夢です。そんなレオに負けずに話せるリンネ嬢のような人は貴重だと思うのですよ。ぜひレオの遊び相手になっていただきたい」
クロードに両手を握られ、私はビビった。
(え? なに? 遊び相手って……そんな荷の重いこと無理だし! だいたい、逃げ出すってことは遊び相手なんかいらないんでしょ? なんでそんな小学校の先生みたいなこと言うの? ひとりでいたいなら、ひとりでいればいいじゃん)
現代日本の知識がある今の私には、引きこもりの気持ちもわかる。無理やり外に出そうとしても、ろくなことにならない。
「でも、王太子様の気持ちも……」
「お受けしましょう」
断ろうとした私の声に、重ねてきたのはお父様だ。
「我が娘でお役に立つならばいかようにも。ええ、お任せくださいませ」
「ちょ、お父様」
がしっと両肩を掴まれ、近づいてくるお父様の顔は真剣そのものだ。
「リンネ、これは光栄なことなんだぞ。人嫌いといわれたレオ様の唯一の友人になれれば、お前はいずれ王太子妃。我が家はうっはうは……」
「心の声が漏れてますよ。エバンズ伯爵」
「いやあ、冗談ですよ。クロード様」
クロードのツッコミに、お父様は笑ってごまかしたが、その目には、王族に恩を売れるチャンスを逃すかという欲が浮かんでいる。
(結構欲深なんだな、お父様)
リンネの記憶では子煩悩な父親というイメージしかなかったが、認識を改めたほうがよさそうだ。
クロードは私の手を握る力を強め、有無を言わせぬ勢いで、にっこりと笑った。
「お父上の許可も出たようですし、よろしくお願いいたします。リンネ嬢」
「え、でも」
「あなたに、レオの将来がかかっているのです」
まぶしいほどの美形に懇切丁寧に頼まれれば、私だって嫌とは言えない。
「わ……わかりました」
(粗相をしない自信はありませんけどね)
そう付け加えたい気持ちを、私はぐっとこらえた。