思いあまって婚約破棄・5
クロードの爆弾発言に、一瞬、頭が回らなくなった。なんだか苦しいなって思って、息をしていないことに気づき、慌てて、息を吸い込む。
「クロード? なんの冗談?」
「冗談じゃないよ。僕は前から君のことが好きだし。レオの婚約者だから身を引いていただけにすぎない」
「なに言って……」
私が視線をそらそうとしたら、クロードが手首を掴んだ。息をのむほど真剣な表情に、優しい兄のような穏やかさは見あたらない。
「クロード?」
「ここで君を抱き寄せたら、エバンズ夫人は慌てるだろうね」
「は?」
クロードはちらりと屋敷の二階を見上げる。お母様が上から見ているのを確認しているのだろう。
「説得材料にはなるよ。今、王妃様は君を引き留めるために画策している。エバンズ伯爵も婚約破棄など望んでいないからね。レオと本当に別れたいんなら、王妃様を納得させられるだけの相手が必要だよ。そう、たとえば僕とかね」
私の手首を掴んだまま、自分の口もとに持ってくる。ちゅ、と小さなリップ音をたてて、手の甲へとキスをされた。
「離してよ、クロード。クロードだって遊んでいる年じゃないでしょ? ちゃんと自分のお嫁さん見つけなきゃ……」
「だから言ってるんだって。本気だよ? リンネが望んでくれるなら、僕は君をさらうことができる」
言いながら、クロードの顔が近づいてくる。今度は、唇を目がけて。
(嘘だ。クロードがそんなこと言うはずがない。だって、クロードは同志だ。一緒にレオを守る仲間で、お兄ちゃんのような存在。だからいつだって安心して、甘えていたのに)
彼の息が頬にかかる。
「ヤダッ」
咄嗟に私が取った行動は、拒絶だった。だって違う。クロードは好きだけど、そうじゃない。そういうのじゃない。
クロードは予想していたかのように余裕だった。突き飛ばされたというのに、笑顔のまま、ぱっと両手を開いてみせる。まるで、これ以上はなにもしないよと証明するように。
「涙目になっているよ、リンネ」
「だ、だって」
「ごめん。驚かすつもりじゃなかったんだけど。君があまりにも馬鹿なことをしたからさ」
「馬鹿って、ひどい」
「じゃあ、どうしてレオから身を引いたんだい?」
クロードの優しい声には、魔力でもあるのかもしれない。私は体の力が抜けてくるような感覚と共に、吐き出した。
「だって、レオに死んでほしくないんだもん! 私じゃ駄目なんだよ。レオの魔法陣を消せるのは、ローレンだけなんだもん」
ローレンの名前を出してしまったことに、私はハッとした。クロードは満足げにうなずき、「やっぱりそういうこと」とつぶやく。
「本当なの。理由は言えないけど、ローレンがレオを救ってくれるの。ふたりが互いを思い合ったら、魔法陣を消せるって……」
「リンネには悪いけど、少なくともレオが彼女を思うことはないんじゃないかな。近寄られただけで、気分が悪くて仕方ないそうだよ」
「それは、……もっと時間をかければ」
「そんな時間、あると思う?」
クロードのその声に、私はハッとした。
ローレンの話では、魔法陣が完成するのは、卒業式だったはずだ。だが、今のクロードの言いぶりだと、私が考えていたよりずっと、魔法陣の進行は早いのかもしれない。
「魔法陣が完成するまで、もうひと月もないと思う。だというのに、本人はむしろ、死を受け入れようとしている。君と婚約したのも、最期に君の婚約者という肩書が欲しかったからだって、言っていたよ」
私はクロードの目を見つめながら、そこに嘘をついている片鱗がないか探す。
だって、私が知っている話と違う。婚約は女よけのためだって、レオ、そう言ったのに。
クロードは苦笑して、肩をすくめる。まるで理解できない、したくないというように。
「そこまで言って婚約したくせに、今度は婚約破棄がしたいと言いだした。さすがの僕も今回ばかりは怒ってしまったよ。なにを考えているんだって」
言い合うふたりの姿なんて想像がつかないけれど、なにかしらの言い合いはしたみたいだ。
「そうしたら、レオはリンネのためを思ってそうしたみたいなんだよねぇ」
「……え?」
「リンネは僕が好きなんだって? だからリンネを幸せにしてやってくれって言われちゃったよ。笑っていてほしいんだって、君に」
目の奥が熱い。喉が痛くて苦しい。
(なにを言っているんだ、レオは。笑っていてほしいのも、幸せになってほしいのも、こっちのセリフだっていうのに)
「私のことなんてどうだっていいよ! 私は、……私はただ、レオが生きていてさえくれれば、それでいいのに」
「そうだね。……リンネはお馬鹿さんだから、きっとその気持ちをなんて言うのか知らないんだよね?」
「え?」
「自分を犠牲にしても幸せになってほしいという気持ちはね。〝愛〟って言うんだよ。リンネ、君は、レオを愛しているんだよ。身を引いてでも助けたいって思うくらいにね。重症だよ」
涙が、ボロボロとこぼれた。
私がレオを好き? そんなわけない。だって私は悪役令嬢で、レオに嫌われなきゃならない立場なのに。
「レオが愛する人と結ばれることで助かるというならば、助けられるのは君だけだよ」
クロードはそう言うけれど、私にはリトルウィックの巫女姫の血は入っていない。癒しの力があっても、呪文には効かなかった。レオを助けることなんてできない。
それをうまく言葉にできずに、私は泣きながら首を横に振った。
「よく考えて、リンネ。レオが好きなら素直になりなさい」
「クロード」
「でないと、本当に僕が君をもらうよ? レオと婚約を解消するなら、僕にはそれができる。君の同意がなくとも、エバンズ伯爵を味方につけて強行するのはたやすいことだ。だけど、それをしたらレオを傷つけることになる。それでもいいかい?」
頭が混乱してよくわからない。それでも、レオを傷つけたいかと問われれば、それだけは違うと言える。
ぶんぶんと首を横に振ると、クロードはいつもの優しい顔に戻って笑った。
「ふふ、じゃあ、僕はおとなしく失恋してあげよう。……じゃあ次はレオを生かすことを考えようじゃないか」
「なにか方法があるの?」
クロードが自信ありそうなので、少しばかり期待を持って問いかける。
「うん。だけど実験はできない、本番一発勝負の方法だ。そしてそれには、君の手が必要になる。どうかな、リンネ。やってみる気はある?」
「もちろん」
「じゃあ耳を貸して」
クロードが耳打ちした内容に、私は目が点になった。
「たしかに、それは私が言ったんだけど」
「それを実行してみればいいと思うんだ、僕は──」
そうして教えてくれた実行方法は、私には予想もつかないことだった。けれど、これならばたしかに可能性はある、と思えるもので。
「クロード天才!」
思いきり褒めたら、「だろ?」と口もとだけで笑われた。
やっぱりクロードは頼りになる兄貴分なのだ。




