思いあまって婚約破棄・3
* * *
その日、僕は国王夫妻に呼び出された。
十三のときからレオの世話係を任命されている僕は、今や彼の主治医に似た立場だ。魔術的観点からレオの現状を説明するため、国王夫妻とは月に一度、定期的に報告する機会を持っている。
その僕が、突然呼び出されるのは珍しいことで、いったい何事かと、足早に歩いた。
「クロードです。参上いたしました」
「ああ、よく来てくれたわ、クロード」
「なにかあったのですか?」
問いかけた僕に、突然、よよよと泣きだしたのは王妃様だ。
「あなたはもう聞いたかしら。レオがリンネさんと婚約破棄したいと言いだしたのよ」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。考えるよりに先に反射で答える。
「嘘だ」
次の瞬間、陛下の御前であり、王妃様への返答だったことを思い出し、言葉を選ぶ。
「あ、失礼しました。まさか。レオがそんなことを言うはずがありません」
「それが本当なの。昨晩、神妙な顔で言いにきたのです。もう私、驚いてしまって……。なにがあったのかご存じありませんか? クロード。あのふたり、あんなに仲がよかったのに」
それを聞きたいのはこちらの方だ。リンネもレオも、はたから見ていれば互いに思い合っていることなど明白なのに。
僕は叫びだしたい気分をこらえて、考える。
レオが自分からリンネを手放すようなことをするはずがない。
彼が出会ってからずっとリンネに夢中なのは、僕が一番近くでずっと見てきた。
とくに好きなわけでもないランニングに付き合い、リンネに会う時間を確保したいばかりに学園に行きたくないと駄々をこね、揚げ句に学園に戻ることを条件に婚約を了承させた。
ものわかりのいいレオが唯一駄々をこねて、ひとり占めしようとしていた令嬢。それがリンネだ。
だから僕は、魔法陣完成のその日まで、レオが婚約解消することなどないと思っていた。
「本当に、レオが婚約を解消すると言ったのですか」
「私だって何度も聞いたわ。ああもう、嘘であってくれたらどんなにいいか……」
王妃様がううっと顔にハンカチをあてる。
(落ち着こう。冷静に考えて、レオの方から婚約を解消したいと言いだすはずがない。だとすればリンネの方からだ)
あの鈍感令嬢は、レオの気持ちどころか自分の気持ちにも気づいていないようだった。それならばあり得る。
「僕の方から、もう一度レオに確認してみます」
「お願いね、クロード。ああ、どうして? やっとレオが幸せになれると思っていたのに。リンネさんだって肝の据わったいい子で……。あの子、腕の文字のことだって、いっそ書き足したら格好いいのではなんて笑ったのよ。わたくし、あの呪文をそんなふうにとらえられるなんて、なんて明るい溌溂とした子かしらって……」
泣きながら語られる言葉に、僕は驚いた。
「王妃様、今なんと?」
「だからなんていい子かしらって」
「いやその前です」
「ああ。あの子、レオの腕の呪文になにか文字を書き足して、新しい文様にしたら格好いいって言ったのよ。ふふ、おもしろいこと」
「それだ!」
僕は不敬ながら手を打ってしまった。王妃様が驚いたように目を丸くする。
「クロード? どうしたの?」
僕は恭しく頭を下げる。
「申し訳ありません。ひとつの可能性がひらめいたもので……。もちろん、簡単ではありませんが。うまくすれば、レオを助けられるかもしれません」
顔を上げると、希望を目に宿した王妃様と目が合う。どちらからともなく、僕たちはうなずき合った。
その後、僕はレオに会いにいった。
彼は不機嫌さを隠すこともなく、僕の顔を見るなり「今日はひとりにしてくれ」と突き飛ばすようにして追い出した。
だが、僕とて黙ってそれを受け入れる気分ではない。
「レーオ?」
苛立ちを隠さずにゆっくり名前を呼べば、しばらくしてバツの悪そうな顔でレオが扉を開けた。近衛兵まで思わずといった調子で噴き出してしまっていて、僕は改めて、レオは素直だと思ったのだ。
室内はカーテンが閉まっていて暗かった。引きこもり時代を思わせる状態にため息をつく。
「聞いてもいいかな。どうして本意でもない婚約解消をしたいのかな?」
「……言いたくない」
拗ねた背中が答える。なんだか今日は子供の頃のようだ。
人懐こくてやんちゃだったレオは、時折使用人を困らせて楽しむこともあった。後でその使用人が叱られていたことを知って、でも自分のせいだと言えなくて戸惑っていた背中とよく似ている。
僕が彼の召使いであるならば困ってしまうところだろうが、長年の付き合いの兄貴分としては、この程度の拗ね方など、問題にもならない。
「レオ、君が言わないならリンネを問いつめるけどいい?」
「やめろ!」
案の定、レオは慌てて僕にすがってくる。
「だったら君が説明するんだね。……なにがあったんだい」
「言った通りだ。リンネと婚約を解消する」
「婚約したばかりでなにを言うんだか。本当に解消したらリンネにどんな目が向けられるかわかっているのかな? どんな失態をしでかして、王太子から見限られたかとうしろ指をさされるんだよ?」
レオは一瞬、怯む。その姿を見ても、この婚約破棄が、彼が言いだしたものでないことは明白だ。
「リンネから言いだしたのかい? いったい……」
「だったらどうすればいい? 俺はリンネにあんな顔をさせたいわけじゃない。笑っていてほしいだけなんだ。どうすればいい? 頼めるのはクロードしかいない」
なにを言っても無駄そうなその態度に、僕はため息をつく。
「レオ。君はリンネが好きなんだろう?」
「クロードもだろ?」
「言ったろ。俺はずいぶん前にあきらめたよ。だって彼女は君のものだ」
「……そうじゃないんだ、クロード。あきらめなくていい」
レオは必死の形相で、僕の腕を掴む。
「リンネはクロードが好きなんだ。だからリンネを幸せにしてやってくれ。あいつを泣かせないでくれ」
「……君は賢いのに、時々どうしようもない馬鹿になる」
どうしてこの期に及んですれ違っているのか、あきれてしまう。
だが、聞いていると問いつめるべきはレオの方ではないらしい。
「王妃様は納得なさっていない。そう簡単に婚約破棄できるとは思わないことだね」
そう告げると、レオは傷ついたような、けれどどこか安心したような顔でうつむいた。




