思いあまって婚約破棄・2
次の日、私はレオを校舎裏に呼び出した。授業が終わり、皆、それぞれに家路につくので、あたりに人けはない。
「なんだ、リンネ。改まって」
「うん。あのね、レオ」
ほかの女生徒がいないからか、レオはどこか機嫌がよさそうだ。
だが今は、その機嫌のよさがつらい。なにせ私は今から、婚約破棄を申し出ようとしているのだから。
勢いづけようと息を吸った瞬間、先にレオの声が降ってきた。
「そういえば、お前に渡すものがあったんだ」
「え?」
戸惑う私の目の前に、レオの手が差し出される。そこには、銀色の鎖にパールと紫水晶が鈴なりについているネックレスがあった。色のせいもあって、ブドウがくっついているみたいに見える。
「かわいい」
自然に口をついて出たのはそんな言葉だ。レオはホッとしたように笑顔になる。
レオと出会ってから八年、食べ物をもらうことはあっても、こんなかわいらしいものをプレゼントされたことはなかった。
それにしても、べつに誕生日でも記念日でもないのに、どういう風の吹き回しだろう。
「でも、どうして?」
見上げると、レオはふいとそっぽを向いた。でも頬が染まっているから、照れているんだなってことはわかる。
「うれしいと言っただろう」
「なにが?」
「綺麗になるのはうれしいって、前に言っていただろ?」
それは、婚約のお披露目の日のことだ。普段しない化粧をしてもらって喜んだ私が言った軽いひと言。レオはそれを覚えていてくれたのか。
「婚約したというのに、記念のプレゼントも渡していなかったからな」
ごにょごにょと言いにくそうにしながらも、レオはそれを私につけてくれようとした。
うれしいという気持ちと同時に、とんでもない罪悪感に襲われ、咄嗟にその手を押さえる。自分の顔が青くなっているのが見なくてもわかった。
「リンネ?」
「ごめん。レオ。それは、受け取れない」
手が震えそうになるのを、なんとかこらえた。そして、なるべく平坦な声で、彼に告げる。
「婚約を解消してほしいの」
レオは信じられないものを見るように私を見つめ、小さく「なぜ?」とつぶやいた。
「ほら、レオもそろそろ学園に慣れたでしょう? 婚約者がいなくても大丈夫かなぁって」
(笑顔だ、リンネ。絶対に泣いちゃ駄目。あくまで軽く、さらりと言ってのけろ)
レオは傷ついたような顔をしていた。手に残されたネックレスをギュッと握りしめる。私はこれ以上見ていられなくなり、うつむいた。
「婚約者がいなくなれば、令嬢が群がってくることくらいわかるだろう? リンネは俺に、それを甘んじて受けろというのか?」
「そういうわけじゃないけど、ほら、言ったじゃないレオ。私に好きな人ができたら、婚約解消してくれるって」
「……っ」
空気が尖ったのが感じられた。とても苦しい。レオの顔を見るのが怖くて、顔が上げられない。
「相手は誰だ」
声が低い。口調は平たんだが、レオの怒りに似た感情が突き刺さってくる。
「それは……その」
「クロードか?」
彼は勝手に、結論づけてしまったようだ。ネックレスをつぶしてしまうのではないかと思うほど固く握られた拳が、私の視界に入る。
「違うの、でも」
レオを傷つけているのが苦しい。だけど、私はこの物語を、もとの軌道に戻さなければならない。そうでなければきっと、レオは救われないのだろうから。
「信じなくてもいいけど。レオが助かるためには、レオを本気で愛している人と心を通わせる必要があるの。だから私という婚約者はいない方がいいんだよ」
しばらくの沈黙があった。レオは言葉を探すように、何度か視線をそらし、やがて思いきったようにこちらを向いた。
「それは、つまり……お前は俺のことが好きじゃないということだな?」
レオの返答に、私は呆気にとられて目が点になった。なにか誤解されてしまった気がする。
私は、私がいたらローレンとレオが近づく邪魔になるから、婚約破棄してほしいって言っているのに。
「え……? いやあの、レオ?」
「わかった。俺から父上と母上には言っておく」
そのまま、レオは背中を向けてしまう。確実に誤解がある。だけど、かけるべき言葉を見つけられない。
「レオ、待っ……」
「悪いが。ちょっとひとりにしてくれ」
背中を向けたままそんなふうに言われて、私はものすごく突き放された気分になった。
そのまま、レオは立ち去ってしまう。彼のいた場所をじっと見つめながら私は途方に暮れていた。
「どうしよう」
なんだか、とんでもない失敗をしてしまったような気がする。だけど、レオを救うのはローレンだと決まっている以上、私はレオのそばにいちゃいけない。ローレンに託すしかないのだ。
胸がじくじくと痛んでも、今すぐ駆け出してレオを引き留めたくても、それをしたらレオのためにならない。
口の中に血の味が広がった。いつの間にか唇をきつく噛んでいたらしい。
泣きたくなったけれど、泣いてはいけないような気がして、私は、痛みを感じながらも唇を噛み続けていた。
屋敷に戻ってからローレンに手紙を書いた。レオと婚約破棄したことと、どうかレオを救ってほしいということ。
それを従僕に託して、レットラップ子爵の商会まで届けてもらう。
「あー、明日学園に行きたくないなぁ」
私は伸びをして、窓の外を見る。いつもだったら気持ちいいと思うのに、綺麗な青空や澄んだ空気が憎らしい。
「ソロもどこかに行ったっきりだし」
あのモフモフした尻尾に顔をうずめたい。そうすれば悲しい気持ちも少しは癒える気がする。けれどこんな時に限って、ソロは姿を見せないのだ。
レオと私が婚約破棄したのではないかという噂が、学園中で飛び交っていた。
もしかしたら、話しているところを見た生徒がいたのかもしれない。まだ陛下や王妃様にきちんと報告したわけでもないので噂を広げられると困るのだが、人の口には戸が立てられない。
胸が苦しい。どうしてだろう。レオを傷つけてしまったから?
それもあるけど、もう私がレオの隣に立つことがないのかと思ったら、無性に寂しくなってきた。
元気でいてほしい。生きていてほしい。だからこそ離れる決断をしたけれど。これはこれで、身を切られるように寂しい。
レオはもう、私と一緒に走ってくれない。背中を追うことも、追い越して振り向くことももうできない。
毎日のように、ふたりで城の内周を走った日々を思い出すと、どうしようもなく胸が苦しくなる。
ああ、寂しい。悲しいよ。私と一緒に走ってくれる人なんて、レオしかいないのに。




