間違いだらけの作戦会議・2
こうして、私はいわゆる原作小説のことを教えてもらうこととなった。
──タイトルは『情念のサクリファイス』。
サクリファイスというのは、生贄という意味だ。
この物語の根底には、ハルティーリア国と、隣国リトルウィックとの確執がある。
建国の頃、ハルティーリアには、聖獣と対話し、自然と共生する巫女姫という女性たちが存在していた。その巫女姫たちは、祈りをささげるだけで、天候を操ることができた。彼女たちのおかげで、ハルティーリアは、実り多い土地として栄えたのだ。
ハルティーリアの歴代国王は、巫女姫たちを守るための館を整備し、厚遇していた。やがてはそれが神殿と呼ばれるようになったのだ。いつしか、神殿は王家と二分する権力を持つようになった。
時がたつにつれ、巫女姫たちの力は衰えていった。彼女たちは、自分たちの能力を受け継ぐ新たな巫女を育てようとしたが、神獣と対話できる人間はわずかしかいない。そこで、能力が足りない人間の補助手段として、呪文や魔法陣などを編み出したのだ。それは魔術という名で、神殿内で広まっていく。
ある日、外国から漂流者が流れ着いた。その外国人は、人智を超えた力を持つ巫女姫を異質なものだと言い、あちこちで触れ回った。そして、この国には火山があるのだから地熱を利用すれば、もっといろいろな恩恵が受けられると、国王をそそのかしたのだ。
漂流者の間違いでもなく、国は機械産業に舵を切り、成功を収めた。
大きな船をつくることにも成功し、そこから貿易も広がった。海外の文化が入ることで国は飛躍的に近代化したのだ。
だがそれによって、魔法を使う巫女姫や、彼女の信望者への待遇はどんどん悪くなった。それまで特権階級として優遇されてきた巫女姫は、魔女とささやかれ、命を狙われるようになったのだ。
巫女姫は、聖獣の導きに応じ、この国に見切りをつけることにした。神殿の人間をすべて引き連れて、火山近くの国境の森に新しい国を興したのだ。それが今のリトルウィックだ。移動の際、巫女姫は魔術に関する一切をハルティーリアには残さなかった。
勝手に国を興されたことに腹を立て、ハルティーリアはリトルウィック相手に何度か戦を仕掛けたが、そのたびに嵐に襲われ、撤退することになった。そのうちにリトルウィックは周囲の辺境部族を束ねていき、何度か繰り返される小競り合いの中で国土を増やしていった。
何度目かの戦争が終結したタイミングで、ハルティーリアとリトルウィックの国交は失われた。二国は隣国でありながらも、一切交流のない国になったのだ。
ハルティーリアの歴史家は、このふたつの国の確執を封印した。おそらくは、自分たちのしたことを恥じていたのだろう。過去は封印され、二国は最初から交流のない国だと子孫に言い伝えながら、何百年もの時を過ごした。
そして今の世になって、ハルティーリアでは貿易を強化するために、リトルウィックとの間に交易路をつくりたいと考えるようになった。なぜなら、辺境部族を吸収していくうちに縦に長く広がったリトルウィックの領土は、ハルティーリアが他国と貿易を行うのに、避けては通れない位置にあったからだ。
レオのおじであるダンカンが、リトルウィックの姫を娶ることになったのは、そういう経緯である。
しかし、歴史を封印されたハルティーリアの国民とは違い、リトルウィックの巫女姫は、復讐をあきらめてはいなかった。歴史書に語り継ぎ、いつか必ずハルティーリアを滅ぼすよう、代々の巫女姫に言い次いで来たのだ。ダンカンの妻となったジェナは、その言い伝えを幼い頃より聞かされた姫だ。
手始めに、彼女はやがて国を継ぐ夫を、自らの術で洗脳していった。
けれど、次の王に選ばれたのは、ダンカンの弟でありレオの父親であるジュードだった。妻のジェナは怒り、ダンカンをけしかけてレオをさらわせた。そして彼女は、彼の腕に恐ろしい呪文の刻印を残したのだ──。
私は身震いをした。リトルウィックの巫女姫、怖い。たしかに、自分たちを迫害したハルティーリアの王族は許せないのかもしれないけれど、それから何百年も後の子孫にまで、復讐を求めるなんてなにか間違っているように思えてしまう。
「レオ様の腕に刻まれた呪文については、前に話した通りよ。胸に魔法陣を描き終えると、その心臓の血を吸収して発動するの。それで悪魔が――」
「心臓の血が全部なくなったら、悪魔に殺されるより先に死んじゃうじゃない?」
「そうかもしれない。実際、小説では発動してないからわからないわ」
小説の世界では、レオと親しくなったローレンが、彼の腕に書かれた文字に気づき、それが魔術であることに気づくらしい。
「どうしてローレンは古代語で書かれた呪文がわかるの?」
「うちは交易商だから、魔術書も置いてあって、小さい頃から見たことがあるの。それに、小説では後半に判明するんだけど、母親がリトルウィック出身で、ローレンには巫女姫の血が交じっているの。だから私には魔力があるわけ」
「なるほど」
ローレンは家にある魔術書を調べ、呪文の詳細を知った。それでレオに死の危険があることを知って、彼を助けようとする。が、レオに近づこうとするとリンネに阻まれてしまう。
一方のレオは、リンネのあまりに傍若無人なふるまいに腹を立て、ローレンを助けるようになる。そして、いつしかふたりは心を通わせるようになるのだ。
卒業の日、レオはリンネへ婚約破棄を言い渡す。
嫉妬に狂ったリンネは、ローレンを殺害しようとナイフを振りかざした。レオがローレンをかばい、返り討ちにあったリンネは怪我をした。その血がレオの胸に降りかかり、魔法陣を作動させてしまう。
レオは突然苦しみだし、ローレンは魔法陣の作動に気づいた。
このままでは彼が死んでしまうと思ったとき、ローレンは巫女姫の力を覚醒させるのだ。
「ローレンは彼を助けるためにキスをするの。そこに真実の愛が生まれ、呪いが解けるのよ」
「なんか、そのあたり曖昧だね。結局ローレンはなにをしたの? キスだけで解けるの?」
「うーん。そうなんじゃないかな。ふたりがキスをしたら、その部分がぱあっと明るくなったんだよ」
どうやら描写としてはかなり曖昧だったらしい。そして琉菜的には、一番の盛り上がりだったので、手法どうこうよりもレオが救われたことが重要だったようだ。その後のふたりの恋愛ターンをむさぼるように読んだため、あまり覚えていないらしい。
「一番肝心なとこじゃん……」
「大丈夫だよ。巫女姫の血が入っている私がいれば、なんとかなる。だから、リンネの役目は、私をいじめて、レオ様に嫌われて、婚約破棄されること」
「いじめって言われても」
どうすればいいのか? 悪役令嬢っぽいセリフで虐げればいいのか。でもそんなことをしてレオがローレンに同情するかな。
「駄目だ。いじめってどうすればいいのか思いつかない」
「じゃあシナリオを考えてあげるから。演技して」
「演技……ねぇ」
非常に不安しかない。演劇なんて、小学六年生のときのケヤキの役が最後だ。セリフなど一度も話したことがない。
「大丈夫、リンネでもできるようなネタ考えるから」
そういえば、琉菜は二次創作もするオタクだったな。もう任せよう。
なにがどうなっても、レオが死ななければいいのだ。私の評判などすでにないも同然。いつ地に落ちてもおかしくないのだから、気にしないことにしよう。
「お茶、冷めちゃったね、入れ替えようか」
エリーを呼んで、お茶を入れ替えてもらう間、そういえばソロの姿が見えないなと思い出し、エリーに聞いてみる。
「エリー、ソロはまだ戻ってない?」
「そうですね。数日前から姿を見ていません」
「そう」
ローレンに紹介しようと思っていたのだが、いないのならば仕方ない。
エリーが部屋を出ていった後、私はローレンに尋ねた。
「ね、小説の表紙に、白い獣が描いてあったと思うんだけど、あれってなんだったの?」
ローレンは一度きょとんとして、ああ、とうなずいた。
「聖獣。物語のマスコット的存在で、ヒロインが落ち込んだときや困ったときに道を示してくれるの」
「へぇ」
ということは、ローレンにもそういう存在がいるのかな。
「名前は?」
「ソロ。もうとっくに出会ってもいいはずなんだけど、私はまだ出会えてないんだよね」
それを聞いて、時々抱く違和感がまた襲ってきた。
もし私のソロが、ローレンが出会うべき聖獣だったとしたら? ソロはあのとき、出会う人間を間違えたの?
「ローレン、八年くらい前に、王城に来たことある?」
「あれ、リンネ覚えてないの? 八年前、私たち顔を合わせてるんだよ?」
「え……」
そういえば、赤毛の令嬢がレオに突き飛ばされる事件があった。
いろんなことがいっぺんに起こった時期だったから、すっかり忘れていたけれど、もしあれが、ソロと初めて会った日だとしたら?
(本当はローレンに会うはずだったのに、先に私に会っちゃったってこと?)
なんとなく血の気が引いてきて、私はソロのことをローレンに教えることができなくなってしまった。




