私だけじゃなかった・1
お披露目会の後、私には一方的な友人が増えた。
これまでは私に近寄ろうともせず、裏でこそこそ言っていた令嬢たちが、正式に王太子の婚約者となった途端にすり寄ってきたのだ。
そんな人たちを友人だとは思えない。どうせ、目の前から私がいなくなれば、今度は悪口大会に転じるに決まっているのだから。
群がる令嬢たちに辟易した私は、授業が終わり、みんなが帰り終えるまで校舎裏に逃げるようになった。現在私が通う高学年用の校舎の裏手にはビオトープがあり、それを見渡せる位置に、ベンチがある。そこはいつも人がいない、絶好の隠れスポットなのだ。
しかし、その日は先客がいた。鮮やかな赤毛だから、遠くからでもすぐにわかる。ローレンだ。
こちらに背中を向けてベンチに座っているローレンは、私には気づいていないようだ。ぶつぶつと独りごとを言っている。
「おかしいな。この間婚約発表があったんだから、ここでレオ様から話しかけられるはずだったのに」
盗み聞きしているようで非常に心苦しいけれど、意外と声が大きくて耳に入ってくる。
「リンネ……あの悪役令嬢とレオ様、だいぶ仲よさそうに見えたけど、どうしてだろう。今の時点では、レオ様はどの女の子にも興味ないはずなのに」
そこに自分の名前が出てきて、私は思わずしゃがみ込む。
「とにかく、今みたいに避けられているんじゃなんにもできない。どうしよう。転入するのも遅れちゃったし、聖獣には会えないし、どうなっちゃってるの? ああ、推し! 推しに近づきたい」
彼女の言動のおかしさがとても気になる。〝推し〟とか〝悪役令嬢〟は、この世界では聞いたことのない。でも私は知っている。琉菜が使っていたからだ。
そこでひらめいた。
(もしかして、私のほかにも、日本からこの世界に転生した人がいるんじゃない?)
あり得ないことじゃない。なんといっても私という転生例があるのだから。
そしてローレンも転生令嬢だというのなら、言動のおかしさは理解できる。
(どうしよう。聞いてみる? 違ったらすごく痛い子だって思われそうだけど。……今さらか。嫌われているんだから問題ない)
「あの、ローレン様」
「ひぃええっ」
令嬢とは思えない悲鳴が飛び出した。ローレンは振り向いて私を見つけると、一気に青ざめた。
「リ、リンネ様。いつからそこに……」
「えっと、ちょっと前からなんですが」
「そ、そうですか、あの、では私はこれで!」
ローレンが立ち上がり、逃げるように走りだした。しかし、令嬢の小走りに追いつけない私ではない。
「待ってください、ローレン様」
「早っ。な、なんですか」
うん。動転して言葉遣いがおかしくなっている。走りだしたところから見ても、少なくとも生粋の令嬢ではないな。
「日本」
ぼそりと言うと、ローレンがあからさまに体を震わせた。
「な……なんとおっしゃいましたか?」
「やっぱり反応してるよね? 日本のこと知ってる? 私、八年前から日本の女子高生の記憶があるんだけど」
思いきって言ってみると、ローレンはぽかんとした後、震える指を私に向けた。
「え? 嘘。いるの? ほかにも?」
「そこでの名前は赤倉凛音って言うんだけど」
「リンネ……凛音? 嘘でしょ? 私、琉菜だよ?」
「……琉菜?」
信じられない思いで呼びかけると、ローレンは目を見張り、私の腕を掴んで物陰へと引きずっていく。
(あ、この動きに既視感あるよ。自分の話をしたいときに、強引に腕を引っ張るの、琉菜がよくやってた)
「本当に凛音なの? 悪役令嬢のリンネ様じゃなくて、赤倉凛音?」
「うん。そっちこそ、本当に琉菜? じゃあ私たち、あのときに一緒に転生しちゃったの?」
「私が琉菜の記憶を取り戻したのも八歳のときだよ。あれ、なんなんだろうね。琉菜の記憶がどーって入り込んできて、まるでそっちの人生を生きなおしちゃったみたいな。だからローレンの記憶はあるんだけど薄いっていうか……まるで琉菜がローレンを乗っ取っちゃったみたいな」
「わかる! 私もそんな感じ」
体は間違いなくリンネで、記憶もあるんだけど、頭がまるきり赤倉凛音のものなのだ。
この特異な感覚を理解してくれるのは、同じ体験をした人でしかありえない。
(この子はたしかに琉菜だ! 私だけじゃなかったんだ)
実感した途端に、体中から力が抜けた感覚があった。この八年、自分なりに起きてしまった出来事を受け止めて、なんとかやってきたけれど、誰にも相談できないのはかなりつらかった。ようやく同士に会えたという事実に、心の底から安堵する。
へなへなと座り込み、ローレンの手をギュッと握る。
「よかったぁ。ずっと心細かったんだよ。こんなこと起きてるの私だけと思って。琉菜がいてくれてよかった」
「しっ、私はもう琉菜じゃないよ。リンネは混乱しなくていいよね。まさか同じ名前の悪役令嬢に転生するなんて」
「悪役令嬢?」
さっきも独り言で琉菜が言っていたけれど、〝悪役令嬢〟というのがなにを指すのか私にはわからない。
すると、ローレンはきょとんとした顔で私を見つめ、しばらく考えた後、思いついたように手を打った。
「もしかして、リンネ、気づいてない? ここ、『情念のサクリファイス』の世界だよ」
「情念……?」
なんとも中二病満載な名前に頬を引くつかせると、ローレンは得意げに胸を張った。
「ほら、トラックにぶつかる直前に話していた小説の。いやー気づいたときは震えたよ。まさか私が主人公のローレンになってるなんて」
私はあのときの会話を思い返した。
赤毛の令嬢、私と同じ名前の悪役令嬢、かわいいモフモフ。
たしかに、同じものがこの世界にもある。だけど、小説って転生先になるの?
「物語に転生するっておかしくない? 作り物じゃん」
「ちっ、ちっ、ちっ。物語は生きてるんだよ。それが証明されたんだよ、すごくない?」
たしかにすごいとは思うけど、私には理解できない。
物語とは、最初と最後が決まっているものだ。作者でもない限り、その物語を変えることなどできない。だから、小説の登場人物は、生きているというより、決められた筋書きを演じているのではないのだろうか。
(私、普通に意思を持って暮らしているよね? 演技なんかしてないよ)
次に起こることも、正しい選択肢も知らない。自分が正しいと思う方に向かって生きているだけだ。
(それでも、小説の通りになるの?)
考えていたら頭が熱くなってきた。
(そろそろパンクしそう。無心になるために走りたい)
残念ながら私は、わからないことにいつまでも悩める頭は持っていないのだ。
「ローレン、走ってきてもいい?」
「は? いきなりなに? 駄目だよ、まだ話が終わってないでしょ?」
「くっ」
駄目出しをされたので、仕方なく、私はその場で足踏みをすることにした。ローレンが怪訝そうなまなざしを向けてくるけれど、知ったことではない。
「いまいち理解できないんだけど、その小説の中で私は悪役の令嬢ってこと?」
「そう。リンネは王妃様を騙して取り入って、レオ様の婚約者の座を手に入れるの」
騙してはいないはずだ。婚約に関してはあちらが言いだしたことだし、私は破棄するための言質もちゃんととっている。
「小説のリンネはレオ様に執着しててね。彼が小さな時からどんな令嬢が近寄ろうとしても邪魔してくるんだよ。実際、そうでしょ?」
たしかに、邪魔はしてきた。でもそれは、女性恐怖症のレオのためだったんだけど。
「私は意地悪されるのが嫌だから、リンネには近づかないようにしてたんだよね」
「どうりで様子がおかしいと思った。意地悪なんてしないのに、いつも逃げ腰なんだもん。でも、私がレオに執着してるっていうか、その……」
レオが、女よけに私をそばに置きたがるのだ。……とは、言えない。女性恐怖症を隠すのは王命だもの。うっかり口をすべらしそうになって、慌てて言葉をのみ込んだ。
「えっと、ほら、レオにも他人に知られちゃいけないことがあって……」
「わかってる。レオ様の腕の呪文のことでしょ?」
「えっ。なんで知ってるの」
私は驚いて、ローレンに掴みかかってしまった。
「ちょ、リンネ。唾かかってる、汚い!」
「あ、ごめん」
彼女の服を離して、コホンと咳ばらいをする。琉菜は、顔をハンカチで拭いた後、できの悪い生徒をたしなめる先生のように、あきれたまなざしを私に向ける。
「だーかーらー。ここは小説の世界なんだって。私は小説をラストまで読んだから、これから起こるこ
とが全部わかってるんだよ。まあ、細かいところのズレはあるみたいだけど、大筋は変わらないみたいだし。呪文を書かれた経緯も、最後に呪文が消えることも知ってる」
「消えるの?」
「消えるよ。決まってるでしょ。最後はハッピーエンドじゃなきゃ」
ローレンはさも当然、という様子で続けた。
「小説では私が消すの。腕にある呪文は、毎日レオ様の血を吸い込んで進行して、胸に魔法陣を描くものなんだよ。魔法陣が完成するのが卒業式。発動すると悪魔が呼び出され、レオ様は殺されてしまうの」
「え? 悪魔? 進行って……。あの呪文、女性恐怖症になるだけのものじゃないの?」
私が焦った。思っていたのと違いすぎて、頭がパニックになる。
「違うよ。女性恐怖症は子供のときの一時的なものでしょ?」
(あれ? なんか話が噛み合わないな)
「ローレンがいう呪文って、左腕のものだよね」
「そうだよ。リンネ、見たことないんでしょう。左腕の二の腕に入れ墨みたいに刻まれているの」
「それは知ってるけど」
詳しく聞いてみれば、やはり同じものを指しているようだ。
疑問は残るけれど、小説の筋書きを知っているのなら、ローレンの方が正しいのだろう。
「あれはね、ジェナ様が考え出した、血を吸収して成長する呪文なの。魔法の発動時期を遅らせるという特徴があって、自身がその場にいなくても、発動できるというところが新しいんだよね。ジェナ様の目的は、ハルティーリアの王族を滅ぼすことで、自分たちの反乱が失敗したとしても、召喚魔法で呼び出した悪魔によって、本懐が遂げられるよう計画していたわけ」
「なにそれ、怖すぎる!」
悪魔を呼び出すなんて、半端なく危険な呪文じゃない。ジェナ様って物騒すぎない?
「ってことは、レオの胸には魔法陣が刻まれてるってこと?」
「そのはず。発動するのは卒業式だから、もう一年ないでしょう? だいぶ進行しているんじゃないかなぁ」
私が腕の入れ墨を見たのは出会って間もない頃だ。その後も、何度か『手当て』を試したけれど、レオの意向で服の上からしていた。
あのときは、見られるのが嫌なんだろうなと思って遠慮してたけれど、進行していたのを隠していたってこと?
(知らないよ、そんなこと、レオもクロードも教えてくれなかった。なにも知らないで、のんきに『手当て』を試していたなんて、馬鹿みたいじゃない!)
「確かめなきゃ」
「は?」
「琉菜! いや、ローレン! 用事を思いついたから行くね。今度ゆっくり話しましょう。お茶会に招待するから必ず来てね」
「ちょ、リン……」
私はローレンの返事を待たずに走りだした。
レオのクラスに行ってみたら、すでに帰った後だったので、私も迎えの馬車に乗り、いったん伯爵邸へ帰った。そのまま、着替えもせず、エリーについてきてもらって、すぐに王城へと向う。完全に忘れていただけだけど、通行証を返してなくてよかった、と今さらながらに思った。




