婚約するって本当ですか・2
婚約話は、さっそくその夜に、お父様からもたらされた。
「よくやったリンネ。王太子殿下、たってのお望みだそうだ。陛下も喜んでくれて、すぐにでも婚約を整えようとおっしゃっている」
「やっぱりレオ様は本気なのですか?」
「そうだ、リンネ。なにを驚いている。当然だろう。八年間、お前は殿下と交流し愛を育んできたのではなかったのか」
育んできたのは友情だと思う。それに、私はずっとレオを弟のように思ってきた。レオを守ってあげたいという気持ちはあるけれど、どちらかといえば、恋愛よりは家族愛に近い気がする。
「私たちの間にあるのは、愛ではないと思います、お父様。レオも同じですよ」
「なにを言っているんだ。殿下がぜひにとおっしゃったらしいぞ。あれほど嫌がっておられた学園への復学も、リンネが婚約者としてそばにいてくれるならば、がんばれるとな」
「それは、ほかの令嬢を寄せつけないためですよ」
あの後、怒り狂うソロをなだめつつ、『どうして婚約?』と問いかけた私に、レオはそう言った。
城でご夫人たちに囲まれるように、学園に行けば女生徒に群がられる。レオはそれが嫌なのだそうだ。直接触ってくるほど図々しい人間はいないと信じたいが、学園という同年代が集まるカジュアルな空間であることで、令嬢たちにも甘えが生まれる。多少、距離が近くなってしまうのはやむを得ない。でも、王太子という立場上、国民を男女で差別することは許されないから、女性にばかりつれなくするわけにもいかないのだという。
それでも、婚約者が同じ校内にいれば話は別だ。レオは私を盾にして、令嬢の誘いを断ることができるし、触られたくない言い訳もできる。
『つまり、レオは女よけのために私と婚約しておきたいんだね』と確認したら、バツの悪そうな顔でうなずかれた。
たしかに、女よけとして一番適任なのは私だ。伯爵令嬢ということで、王太子の婚約者として最低レベルの身分があり、遊び相手として長年友情を育んできたという経緯もある。
「ちなみにお父様。婚約したらすぐ結婚というわけではありませんよね?」
「あたり前だろう。お前が学生のうちは無理だ。いいか? 間違っても婚約期間中に殿下を怒らせるようなことをするなよ? 粗相して婚約破棄された令嬢なんて、もう嫁のもらい手がないからな?」
鬼気迫る顔で言われて、反論も思いつかずコクコクとうなずく。
つまり、破棄自体はできる。いざとなったらわざと粗相して、レオの方から断ってもらえばいいのだ。
だとすれば、やっぱりこの婚約を受け、まずはレオに外の世界を見せてやらなきゃいけないだろう。
私は保護者のような気分で納得する。
「わかりました。婚約はお受けします」
「ああ。明日、詳しい話をすることになっているから、私と一緒に殿下に会いに行こう。お前が城に来る時間を見計らって、門のところで待っているからな」
そんなわけで翌日の昼、一度屋敷に帰ってクリームイエローの華やかなドレスに着替えてから、城でお父様と合流した。いつもの勉強部屋ではなく応接室へと招かれ、出されたお茶を飲みながら待っていると、レオが顔を出す。
レオも、今日はいつもよりも正装に近い。上質のフロックコートを着こなしていて、大人と変わらないくらいキリッとしている。
レオは笑顔でお父様と握手をし、了承を受けて今後の話をし始めた。
レオとお父様の話が終わったところで、私はレオを手招きし、お父様に聞こえないように、背伸びして口を彼の耳もとに寄せ、小声でささやいた。
「本当に婚約がまとまっちゃいそうだけど、いいのね?」
レオの頬に赤みが差す。が、彼はすぐにそっぽを向いてしまった。なぜここで照れるのか、私には訳がわからない。
「お前だって了承しただろう? それとも嫌なのか?」
「べつに? レオを守るためならいくらでもがんばるけど。でも、兄弟と結婚するみたいで変な感じ」
「そうか……」
なぜかレオが肩を落としている。いったいどうしちゃったんだろう。
「レオ、おなかすいてる?」
「どうしてお前は食べ物のことばかりなんだ」
「いや、だって。おなかがすいてたら、元気出ないでしょう」
なにを問われているのかわからない、という顔で見つめると、レオのあきれたような声が降ってくる。
「リンネ。お前は食べるのが好きなんだろ?」
「うん。おいしいものはなんでも好き」
「じゃあやっぱり、お前は俺と婚約すればいいんじゃないか。俺といれば、たいがいうまい料理が食えるだろう?」
「まあそうだね。でも……」
さすがにそれを目的として結婚するのは、いかがなものかと思うけど。
「それに言っただろ。俺は学園に行くなら、令嬢から逃げるための建前が欲しい」
それは納得してはいる。だけど。
「でも、昨日寝る前に気づいたんだけど、私と婚約したら、レオがほかの令嬢と出会う機会がなくなっちゃうよね」
学園に通うメイン目的は友情を育むことかもしれないけれど、本来、レオの年齢ならば恋愛方面だっ
て重要なはずだ。
「触れもしない女を好きになれるわけないだろう」
「それはそうだけど、もしかしたら、私以外にもレオに触ることができる女の子と出会えるかもしれないよ」
そうなったときに、私が邪魔をするんじゃ申し訳ないなとは思う。
「あり得ないことまで気にするな。それ以外に懸念事項があるならば今言え」
「もし私に、ほかに好きな人ができたらどうしよう」
レオの眉間に皺が寄った。なんか怒ってる? さすがに婚約者になる人に言うことじゃなかったのか?
「気になる奴でもいるのか?」
「ううん。全然? でも可能性はないわけじゃないでしょう?」
レオは深々とため息をつく。
「もしお前に本気で好きな奴ができたら、そのときは俺の方から解消手続きを取ってやる。これならいいか」
「うん!」
それならば、安心だ。レオに好きな子ができて、私に遠慮して婚約解消できなくなったときは、この約束を盾に解消を迫ることができる。
「ほかには?」
レオがじっとこちらを見ている。
「もうないよ」とへらりと笑って答えたら、彼は私の手をギュッと握って額を押しつけた。
「……ありがとう」
「え、ちょ、頭上げてよ」
あまりに真剣に言われて、びっくりした。
そんなに切羽つまっていたとは知らなかった。かわいそうに。婚約者のふりくらい、嫌がらず務めてあげなきゃと誓いを新たにする。
視線を感じて振り向くと、お父様が、私とレオが親密に話しているのをうれしそうに眺めている。
「いやはや、ふたりはすっかり打ち解けているのですな」
にやにやと冷やかす様子に、ぶんなぐってやりたい気持ちにはなったけれど、レオの前なのでやめておくことにする。




