流れる月日と進行する呪文・1
聖獣は、神出鬼没であるらしい。
最初の一年、ソロは私のそばから離れたがらなかった。学園に行っている間は遊んであげられないよと言っても、時々休み時間に姿を見せては抱きついて、満足するとふっと姿を消す。
二年目に入ると、慣れてきたのか時々長いお散歩に出るようになった。何日か屋敷に帰ってこないので、私は心配して探したものだけど、そのうちに平気な顔で帰ってくる。その時は必ず、お土産のように、木の実や果実を持って帰ってくるのだ。
それは、市場で見かけるような一般的なものではなく、変わったものが多かった。食べると眠気が飛んでいくカシューナッツに似た種や、頭がすっきりして、心なしか記憶力が上がる気のするラズベリーに似た果実。不思議な効果が付随するものが多かったから、コックスしか知らない聖なる場所があるんじゃないかと私は考えていた。
そして三年目である今年は、さらに変わったものを持ってきたのだ。
私は十一歳となり、今年から新しい校舎に移動した。敷地こそ一緒だが、今までとは校庭を挟んで反対側になる。物珍しさもあって、ひとりで校舎裏を散策していたときだ。突然、ソロが姿を現したのだ。
「ティン!」
ソロは今も、私のわかる言葉を話さない。母コックスは成長すれば覚えると言ったけれど、見た目も変わっていないから、まだまだ大人にはなっていないのだろう。動物だから、一年くらいで大人になると勝手に思っていたけど、全然だ。もしかすると、私が生きている間には大人にならないかもしれない。
「ソロ! 学園には来ちゃ駄目って言ったじゃない。ていうか、どこ行っていたの? 一週間も顔を見せなかったら、心配するでしょう?」
「ティン」
いつもなら、胸に飛び込んでくるソロだが、今日はどや顔で、大きな木の実を差し出してきた。外側が茶色くて、ソロの顔の大きさくらいある。
「なにこれ?」
「ティン!」
「ココナッツに似てるね」
私はソロの持ってきた大きな木の実を受け取り、振ってみる。予想通り、ジャブジャブと中で液体が動く音がした。
「この場で割るのは危険そうだから、帰ってからやろうか」
「ティン!」
木の実を渡して満足したのか、ソロは私の肩に飛びのってきた。疲れて動きたくないときの指定席のようで、尻尾を反対側の肩に上手に引っかけ、落ちないようにしている。私としては、肩が凝るのでやめてほしい体勢だ。
馬車が伯爵邸に着くと、ソロは元気を取り戻し、厨房へと駆けていった。私は一緒に乗っていたエリーと共に、ゆっくり後を追いかける。
「おっ、ソロじゃないか。どうした?」
いかつい料理長が、ソロを抱き上げ、デレデレと目尻を下げている。
「ティンティン!」
ソロは追ってきたリンネの方を振り向いた。おそらく、木の実を差し出せと言っているのだろう。
「料理長、これを割ってみてくれる? 液体が入ってそうだから、それも捨てないで取っておいて」
「これはお嬢様!」
普段、姿を見せることのない私に驚きつつ、料理長は私の言う通り、キリで穴を空けて、中の液体を取り出した。色は白で、見た目はミルクみたいだ。全部出きったら、今度は包丁で割ってみる。茶色い外側とは違い、中は白かった。液体の入っていた部分が空洞になっている。
「この白い部分は食べられるのかしら」
「削ってみましょうか」
スプーンでこすってみると、薄い破片がたくさん取れた。リンネは手を伸ばしてそれをつまんで食べた。
「あ、お嬢様。お待ちください。まだ毒見もしてないですよ」
「もう食べちゃった。おいしいよ」
私はこの味に覚えがあった。凛音時代に飲んでいたプロテインドリンクだ。ひそかな甘さに好き嫌いはわかれる味だったが、リンネは好きでよく飲んでいた。
(本当にプロテインが入っているとは思えないけど、もしそうなら、筋肉をつけるのにこれ以上のものはないわ。自分で試してみようか)
リンネは実の内側の白い部分を、削り取って、粉状にするように頼み、液体は瓶に入れてもらった。プロテインとココナッツを組み合わせ『ココテイン』と名付ける
その日の午後、私は運動時間の後に、ココテインを飲んだ。レオは不審そうに私の持っている瓶を見ている。
「なにを持ってきたんだ?」
「ココテイン。私の予想が正しければ、いい筋肉をつけることができるの。運動した後に飲むといいんだよ。失ったタイミングで補給するのが大切なんだから」
飲んでみると、走った疲れがすぐに取れた。
(筋肉がつくかどうかは、経過を見なきゃわからないけど、体力回復薬としては有能だわ)
「このドリンク、すごくいいかも。いいものを採ってきてくれてありがとう、ソロ」
「ティン!」
久しぶりに帰ってきたからか、今日は私から離れないので、ほかの人が来たときは姿を消す約束で城にもソロを連れてきていた。
ソロはちらりとレオの方を見ると、どうだとばかりに胸をそらして「ティン」と鳴いた。
「こいつ、俺に対して態度悪いよな」
「踏まれたことを根に持ってるんじゃないの」
「……お前は平和だな」
なぜかレオにあきれたような目で見られた。なぜ今の流れで私が馬鹿にされるのか、わからない。
「疲れが取れる気がするんだけど、レオも飲んでみる?」
「うーん」
レオは非常に疑心暗鬼そうだったが、「嫌ならいいよ」と引っ込めたら慌てて飲みだした。そして、すぐに効果があったのか、目を見張る。
「なんだ、これ!」
「ね、疲れが取れるでしょう?」
レオは信じられないというように左腕を触る。
「腕の痛みも取れた」
「え? 今痛かったの?」
「ああ。じっとしていれば治まるから、わざわざ言うほどの話じゃない」
「私にくらい言えばいいのに」
レオは不幸に慣れすぎだと私は思う。痛いなら痛い、つらいならつらいと言えばいいのだ。なにもできないかもしれないけれど、聞くだけならいくらでもできる。
「私の『手当て』は今のところ怪我にしか効果がないけど、繰り返していれば多少効果があるかもしれないじゃない」
今は、学園の保健委員に立候補して、ひそかに手当ての力を鍛えている。人に不審がられないように、包帯を巻いた上から、弱めに『手当て』をするのだ。光を発しない程度の力を加えると、完全には治らないけれど、痛みは取れる。こうして、人知れず癒しの力を使えば、騒がれなくてもいいし、力も鍛えられるし一石二鳥である。
「だから、レオは私の練習台になってくれればいいの」
レオの症状の全容がわからないから駄目なんじゃないかという気がするので、図書館で医学書を読んでみたけれど、あまりに小難しすぎて頭に入ってこなかった。
私は凛音のときも今も、健康優良児なので、怪我はしても、病気はほとんどしたことがない。どんなふうに苦しいのか、どんなふうにすると楽なのかが全然わからないから、癒しの力にも反映されないのだろう。
「試しにまたやってみるから、ちょっとじっとしていてね」
そう言って、私は服の上からレオの腕に手をかざす。いつものように、体の中から手のひらに熱が集まってくる。
クロードが言うには、この熱は魔力の塊らしい。魔法使いとは、体内の魔力を癒し能力や攻撃能力に変換できる人のことを言うそうだ。
だけど、今回もあまり魔力は集まらず、どれだけ願っても、力を込めても、文字を消すことはできなかった。
「やっぱり駄目かぁ。ごめん」
「謝るな。お前が悪いわけじゃない」
レオはぶっきらぼうに言うと、「これ、よかったら、これからももらえるか?」とココテインの瓶を手に取る。
「もちろん。これで痛みがとれるならいくらでも持ってくるよ。ソロが見つけてくれたんだよ、ね」
「ティン」
なぜかソロは、あまり喜んではくれない。
「ソロ。なに怒ってるの」
「ティン、ティン」
「大方、お前にやったわけじゃないって思ってんだろ、こいつは」
レオの指摘があたっていたのか、ソロはうなずくような仕草をし、フサフサの尻尾でレオの手をたたいていた。
三年たっても犬猿の仲なのに、妙に通じ合ってるからおもしろい。
それから毎年、ソロは三ヵ月に一度、ココテインを持ってきてくれるようになる。
私の検証の結果、ココテインは筋肉増強にもおおいに役立ってくれた。さらに痛み止めにもなり、疲労回復もできるなんて、素晴らしい木の実だ。ただ、採るのには日数がかかるようで、一度採りに出かけると、ソロは一週間ほど帰ってこない。
無理をさせているのではと心配になるけれど、私の『手当て』ではレオの腕の痛みを治せないので、ソロに頼むしかなかった。
「いつもありがとう、ソロ」
お礼を言うと、満面の笑顔で尻尾を振る。
「ティン!」
ソロがいてくれて、私はすごく救われているのだ。




