謎の聖獣と赤毛の令嬢・6
「だが、リンネ以外の女はまだ駄目だ。さっきの赤毛の令嬢が腕に触れた途端に、鳥肌が立った」
「なんで私は大丈夫なんだろうね」
「それは俺も知りたい。出会いが強烈すぎたせいか、お前に関してだけは平気なんだ」
結局、レオにもクロードにも、腕に刻まれた文字の意味や、その文字と女性にだけ拒絶反応が出てしまうこととの関連性はわかっていないようだ。正直、私にもさっぱりわからない。お手上げだ。
レオはむき出しになった腕の文字をそっとなでる。
「それに、この腕、まだたまに痛むんだよな」
「え?」
凛音の世界の入れ墨は消えることはないらしいけど、刺してしまえば、あとは痛まないはずだ。
「いつか消えるかと思っていたが、消えることもない。時折、脈打つように痛む。まるで、忘れるなとおば上に宣言されているようで、気が滅入る」
「嘘……」
だとすれば、レオは常に、緊張状態を保っているということだ。まだ九歳という年齢で、気を休める時間がないのはつらすぎる。
なんとか助けてあげたい。とはいえ、なにをどうすればいいかはわからない。
「ティン!」
「ソロ」
口もとにクッキーの粉をたくさんつけたソロが、私の膝に戻ってきた。
「ティン! ティン!」
なにかを訴えているような様子に、先ほど自分に宿った不思議な力を思い出す。
「ね、さっきの力で治せないかな」
私が言うと、レオもはっとしたように顔を上げた。
「さっきの話で出てきた『手当て』とかいうものかい?」
クロードが問いかけたので、うなずく。
「うん。手から熱が出て傷を癒せるの。母コックスが〝癒しの力〟って言っていたから、悪い力じゃないと思うよ。聞こえたのが私だけだから、空耳かもしれないんだけど」
そこは正直に伝えておく。
「でも、傷が消えたのは本当だ。それは俺も見ていたし、ソロも見ていた」
「ティン!」
ソロも合いの手を入れてくる。クロードはじっとソロを見て、「まるで言葉がわかるような反応をするコックスだね」といぶかしげにつぶやいた。
「まあいいや、じゃあ、やって見せてくれる?」
「うん。レオ、腕を見せて」
改めて、レオの左腕と向き合う。黒い文字の上に手をかざし、私はこれが消えるようにと願った。
(……でも、具体的な方法がわからないな)
入れ墨の消し方など、私は知らない。さっき、怪我を治したときは、具体的に想像できたし、それで治った。でも、吐き気のときはちゃんとは治せなかった。同じ原理なら、これも消せないんじゃないかな。
手のひらに、熱が集まる感覚はあったけれど、やはり今度も光らない。文字も、一文字たりとも消えなかった。
「……駄目みたい。ごめん、レオ」
「いや、いい。気分はずいぶんいい」
レオはそう言うと、半信半疑な顔でじっと見ているクロードに、ナイフを取ってきてほしいと頼んだ。
「なにをする気だい?」
「リンネの話が嘘じゃないって証拠を見せる」
クロードがメイドに頼み、すぐ持ってきてもらった果物用のナイフをレオに渡した。受け取ったレオは、それで指先を切った。まっすぐな切り目に沿って血がにじんでくる。
「ちょっと! なんで、自分で傷つけてるの?」
「実際に見せたほうが早いからだ。早く治せ」
偉そうに指を差し出され、私はあわあわしながらも、『手当て』する。今度は、ちゃんと手に熱が集まり、光を放って傷を綺麗に治した。
「本当だ」
クロードが息をのむ。
「どう? 私もびっくりしたんだけど」
「これはすごい力じゃないか。リンネ」
「うん。ねぇ、これって魔術なの?」
聞いてみると、クロードは考え込むような仕草をした。
「そうだね。でも呪文を使ってないから、魔法にあたるような気もするなぁ。……少し調べてみようか。悪い力じゃなさそうだけど、リンネの体に負担はないのかい?」
「少し疲れるかな。体からなにかが吸い取られているような感覚があって、使った後はだるくなる」
「だったら、あまり大っぴらに力があるとは言わない方がいいかもしれないね」
「わかった」
〝癒しの力〟を求めてくる人に毎日対応するのも大変だし、人に言わないというのは私も賛成だ。
「どうせ力が宿るなら、レオの入れ墨を消せる力がよかったなぁ」
「ティン」
そう言ったら、ソロが尻尾を揺らしながら私を見上げた。口もとのクッキーの粉を払ってあげたら、くすぐったそうに顔を横に振る。
「ああもう、かわいいなぁ!」
ソロにめろめろになった私が騒いていると、休憩室の扉がノックされる。
「そろそろ、授業を再開してもよろしいですかな」
テレンス先生だ。私とレオが立ち上がると、ソロは「ティン」とひと鳴きして、姿を消してしまう。
「あれ、コックスはどこに行った?」
クロードが不思議そうにきょろきょろしているけれど、私は母コックスと同様に、ソロも姿を消せるのだろうと思っている。
母コックスは自分たちのことを〝聖獣〟と呼んだ。たぶん、私たちが知らないすごい力を、コックスは持っているのだ。
いずれは、コックスのことも、ちゃんと調べなきゃならないだろう。
屋敷に帰ってから、私はお父様とお母様に、ソロを飼う許可を取った。お母様は嫌そうな顔をしたけれど、基本的に、ふたりともひとり娘である私には甘い。
「餌はどのようなものを食べるんでしょうね」
実際に世話を引き受けることになるエリーは非常に困惑していたけれど、「なんでも食べそうだよ」と適当に答えておく。実際、クッキーも食べていたし、私のお夕飯から分けてあげた鶏肉も、普通に食べていた。
食後はお風呂だが、ソロは最初、湯気の上がった湯船を嫌がって姿を消してしまった。
仕方なく私がひとりで入っていると、やがてこっそりと姿を現したので、抱きしめて一緒に入れてあげる。
「ティン」
入ってみれば、お湯の温度が気に入ったようで、耳を立ててご機嫌になった。石鹸で体を洗ってあげたから、乾かした後は、ふわふわの毛並みがとてもいい匂いになる。
「ソロ、すっごく素敵になったよ」
私が言うと、うれしそうに尻尾を揺らしていた。
そしていざ寝ようとすると、ソロは落ち着かなさげに窓から外を見始めた。
「ティーン」
「ソロ、どうしたの?」
母コックスと初めて離れて、寂しいのかもしれない。尻尾と耳が力なくたれている。
「ティン、ティン」
一生懸命教えてくれているようだけど、なにを言っているのかはわからない。
「おいで、ソロ」
手を広げると、鳴きながら飛び込んでくる。
「寂しいのかな。ソロはまだ子供だもんね」
「ティン、ティン」
甘えるように頭を擦りつけてくる。慰めるつもりで背中をなでていたら、私の膝の上で小さく丸くなった。
「ティン」
「一緒に寝る? ソロはオスだけど、獣だし子供だからいいよね」
普段、お母様から言われている、貴族令嬢のたしなみを思い出してそう言うと、ソロはうれしそうにうなずいた。
私は笑って、彼をベッドに引き入れる。
私の隣にちょこんと丸くなって、ふわわ、と大きなあくびをするソロがかわいくて、愛おしい。
「お休み、ソロ」
「ティン」
やがて体が温まってきたのか、ソロの体からやわらかな熱気が伝わってきた。私もなんだか安心して、一緒に眠りについた。




