謎の聖獣と赤毛の令嬢・5
「古代語だとすれば、魔術の一部だという可能性もあるな。……調べてみる価値はありそうだね。問題は、魔術に関する資料が少なすぎることだけど」
「魔術?」
私の疑問に、クロードはうなずく。
「リンネは魔術という言葉自体、聞いたことがないだろう。我が国では魔術という概念は失われて久しいからね。魔力を持つ人間は、呪文を使って、傷を癒したり、逆に傷つけたりできる。それが魔術で、隣国リトルウィックでは学問として魔術が発達しているそうだ」
クロードの話は初耳だ。
(待って。だったら、さっきの私の力は、魔術?)
考え込んでいるリンネを横目に、クロードは話を続けた。
「リトルウィックとハルティーリアは昔から仲が悪い。だが、交易販路を広げるため、ダンカン様の縁談を機に国交を回復しようとしたんだ。そこから数年は友好的な交流があった」
クロードが一度息を継ぎ、足を組み替える。
「けれど、ダンカン様がジェナ様の言いなりになっていることを、前陛下は危惧していたようでね。ダンカン様がリトルウィックに都合よく利用されては、交流している意味もない。王位をジュード様に譲られたのは、そのせいだと僕は父から聞いた」
魔術の国リトルウィックは、東から南にかけて海に面し、北方を険しい山で囲まれたハルティーリアの西側にある。現在の地図では、ほかの大陸諸国と交流する場合、陸路ではどうしてもリトルウィックを通らなければならないため、国交回復が求められたのだという。
「だが、あの政変で再び国交は断絶された。魔術書を入手するのも今では難しいなぁ……」
クロードが口もとを押さえながらつぶやいた。
「じゃあ、文字の解読はできないの?」
「今のところはそうだね。なんとか古代語の本を入手できないか手を尽くしてみるけど」
今の状況では、レオの腕にある文字の意味はわからないということらしい。リンネはさらに踏み込んで聞いてみた。
「この入れ墨を彫られる前と後で、違うことはあるの?」
この質問にはレオが答えた。
「それこそ女性恐怖症くらいだな。触られると吐き気がする」
「じゃあ、そういう呪文って可能性は?」
王太子が女性に触れられなければ、跡継ぎがつくれない。今は子供だから、大問題とまではいかないが、将来的には困るだろう。
「もちろんゼロじゃない。だが、リンネという例外があるしね。最近は王妃様と握手することもできるようになっている」
クロードが続けた。
「改善されているってことは不完全な魔術だったってこと?」
「呪文の効果が女性に触れなくなることなら、そういうことになるね」
現状では、これ以上のことはわかりそうにないので、リンネはとりあえず納得した。
「でも、無事に救い出されてよかったね」
私が言うと、レオは困ったように笑い、クロードは思いきり眉間に皺を刻んだ。
「あれを無事と呼べるかは怪しいね。救出には一週間もかかったんだ。居場所が特定できているのにもかかわらずだよ」
憎々しげにクロードが言う。いつも笑顔のクロードには珍しい表情だ。
「どうして?」
「ダンカン様は、現国王のジュード様が直接レオを引き取りにくることを望んだんだけど、あろうことか一部の忠臣たちによって阻まれたんだ。国王自らがレオを救出に行って、命を奪われてはならないと」
私は思わず息をのむ。人の命を前にして、そんな駆け引きが行われるなんて信じられない。
「代替わりしたばかりの王には、レオしか子供がいなかった。レオの代わりは、これから国王に励んでもらえば生まれるかもしれないが、国王がいなくなれば、王家の血筋が途絶えてしまう……とね」
王と王太子を天秤にかけ、忠臣たちは王を選んだのだ。
「ひどい」
忠臣の、国を思う気持ちに間違いはないだろうが、だからと言ってレオを犠牲にしてもいいとは思えない。
「そうだよね。僕もそう思う。だが、陛下はレオを見捨てたりはしなかった。反対する忠臣を牢に入れ、精鋭を伴って、レオを救うためにダンカン様の屋敷に乗り込んだんだ」
クロードが息をついたタイミングで、レオが会話を引き取った。
「敵の本拠地に乗り込んで、無傷でことが終わるわけがない。血が飛び散るような惨劇が行われ、敗北を受け入れたおばは俺の目の前で自決した。父上が救い出してくれるまで、俺は彼女の血を浴び続けたんだ」
レオが静かに告げるが、そんなに冷静でいられることが私にはわからなかった。
(怖すぎるでしょ? その状況。八歳なら、今の私と同じ年だ。そんな体験をしたら、平気でなんていられない)
「救い出されたとはいえ、レオは以前のようには戻れなかった。信じていた人間に裏切られたのだから、他人を信じられなくなっても仕方がない。救出された後、引きこもってしまったのは、僕は当然だと思っているよ」
クロードがレオにいたわるような視線を向ける。
「当時は男の医者も駄目だったんだ。もう誰にも触られたくなかった。……とくに女性はおば上を思い出して気持ちが悪くなる」
レオは私ともクロードとも目を合わせず、壁のあたりをじっと見つめていた。さらわれて怖い目にあって帰ってきたのに、母親にもすがりつけなかったなんてあんまりだ。
「いろいろ試した結果、男で子供だった僕がレオに近づける唯一の人間だった。それで僕は陛下に頼み込まれて、レオの世話を一手に引き受けたんだ」
「それで……」
クロードがレオの世話係になっている理由はそこにあったのか。
本人も公爵子息という身分があるにもかかわらず、使用人のように細々したところまで面倒を見ているのがずっと不思議だったけれど、謎が解けた。
そんな事情があったのなら、女性恐怖症になるのも仕方ない。
気遣うようにレオを見ると、レオは心外だというように唇を尖らせた。
「同情はいらない。これでも、事件から一年がたつ頃にはだいぶよくなったんだ。男相手なら接触には問題なくなった。それで父上は、俺が学園に戻れるようにと考え始めたんだ。それでリンネたちが城に呼ばれたってわけだな。余計なことを……と思っていたが、リンネと会えたから悪くはない」
かわいいことを言われ、私は少し気分が浮上する。




