謎の聖獣と赤毛の令嬢・2
「治ったんだね。よかった。……だけど、私が治したの?」
「ティン!」
コックスがうれしそうにうなずく。親コックスは、食い入るように私と子供コックスを交互に見ていた。
「ティン」
子供コックスがひと鳴きすると、親コックスは目を細め、敵意を消して、私の頬をぺろりとなめた。
「許してくれるの?」
ホッとしたけれど、まだ怪我人は残っている。
「レオ、大丈夫?」
「大丈夫だ。いや、痛くないとは言わないが」
レオは痛みに顔をしかめながらも、私には平気な顔をしてみせる。
(いや、やせ我慢はいらないから)
王城には医者も常駐しているので、呼べばすぐに治療してもらえる。けれど、今起きたことを説明して、信じてもらえるかわからないし、このコックスが捕まってもかわいそうだ。
(もし、さっき子供コックスにできたことが再現できれば、レオの怪我も治せるかもしれない)
私はそう考え、レオの足首に手をあてた。
(消毒して、皮膚をふさいで……)
同じように願ったのだけど、先ほどより多くなにかが手に集まってくる感覚があった。ぴかっと一瞬光ったかと思うと、レオの足についていた歯型ごと、綺麗に消えている。
「……治った」
できたのはいいけれど、どうして私にこんなことができるのかがわからない。まるで魔法でも使ったみたいだ。
ハルティーリアは異世界だけど、魔法のような不思議な力はなかったはずだ。少なくともリンネの知識にはない。
「リンネ……、今、なにをしたんだ?」
レオの声に顔を上げ、彼の表情を見て、血の気が引く。
彼は、まるで得体の知れないものを見るような瞳で、私を見ていた。
「レオ、これは」
弁明しようとして、弁明する言葉も思いつかない。私自身、なにが起こったのかわからないのだから。
「お前、いったい――」
「ティン!」
レオの言葉に重ねるように、割って入ってきたのは子供コックスだ。リンネをかばうように前に立ち、レオの頬を、フサフサの尻尾でぺちんとたたく。
「このっ!」
レオが怒りをあらわにしたので、私は子供コックスをギュッと抱きしめた。
「やめてレオ。小さい子なんだよ!」
そのとき、私自身もなにかに包まれた。見ると、親コックスが子供ごと私を守ろうとしたのだ。
「コックス?」
『人の子よ』
頭の中に、声が響いてくる。私は驚いてあたりを見回した。
『私ですよ。コックスです』
どうやら、話しているのは親のコックスだ。人語が話せるなんて、いよいよ珍獣めいてきた。
「え? 言葉を話せるの?」
私が問いかけると、親コックスは首を振る。
『あなたにしか聞こえてはいないようですよ。少し変わった魂を持っているようですね』
「私だけ……?」
呆気に取られて私たちを見ているレオには、たしかに言葉を理解している様子はない。
『私たちは聖獣・コックス。この子は私の息子で、名をソロといいます。コックスは巫女の使い。私はこの子が仕える新たな巫女様を探しているのです』
「巫女?」
『ええ。この子はあなたの〝癒しの力〟が気に入ったようです。ですから私は、あなたにこの子を託しましょう』
そう言うと、親コックスはすうと空気に溶けてしまった。
まさかそんな消え方をされるとは思わず、私は叫んだ。
「ちょっと待って。どういうこと? この子、あなたみたいにしゃべれないの? もうちょっと説明してくれないと訳がわからないんだけど!」
必死に訴えると、消えたはずの親コックスが、なにもない空間から再び現れる。
『その子はまだ子供なのです。成長するにつれ、人の言葉を覚えるでしょう。巫女、ソロをどうかよろしくお願いします』
再び、親コックスは陽炎のように消えてしまう。子供コックス――ソロは、「ティイン」と大きく鳴くと、私の胸にすり寄ってきた。私はソロを抱きしめつつ、親コックスの消えた空間にもう一度叫んだ。
「待って。これって育児放棄じゃない? ねぇっ」
しかし今度こそ、消えたコックスは戻ってこなかった。
(いやいや待って。凛音の記憶が戻ったとき以上の衝撃ですけど)
全然状況が把握できない。
助けを求めて、レオを見たけど、彼は私よりももっと困った顔をしていた。
「お前は、さっきからなんでひとりで叫んでいるんだ。それに、コックスはどうして消えた? お前に話しかけているようだったが、理解できたのか?」
レオは頭を抱え、絞り出すように苦悩の声を出した。
「うん。信じてもらえないかもしれないけど、さっき、コックスと話ができたの」
「話?」
「頭に、理解できる言葉で響いてきたの。でも、一方的に話されただけで、私にもなにがなんだかわからないんだけど。わかったのは、この子をよろしくってことくらい」
ソロを持ち上げて見せる。
「フー!」
ソロは、蹴られた恨みを忘れていないのか、レオに敵意を向けている。私はソロが飛びかかっていかないように、両手でしっかり押さえた。
「なんだ、それ……。お前、そのコックスを飼う気か?」
「だって託されたし」
ここで放置したら、私の方が育児放棄だ。
「ソロ、よろしくね」
「ティン!」
改めてソロにそう言うと、耳と尻尾をピンと立てて喜んだ。母コックスが、大きくなれば人間の言葉が話せるはずだと言っていたから、ソロの方はきっと人間の言葉がわかっているのだろう。
「かわいい! めちゃくちゃかわいい!」
私としても白いモフモフは大歓迎だ。とっても癒される。
だが、喜び合う私とソロを横目に、レオは神妙な顔をしていた。
「なぁ。リンネ、さっき俺の怪我を治したよな」
懐疑的なまなざしに、心は委縮しそうになるけれど、よく考えれば悪いことをしたわけじゃない。ここは開き直ることにしよう。
「うん。私もびっくりした。なんかね? 想像したらできちゃったんだよ」
「想像しただけで傷を治せる人間なんて聞いたことないぞ!」
「私だって、こんなことできたの初めてだもん」
凛音の頃はよく怪我をしていたから、応急処置の仕方はよく知っている。気のコントロールみたいなことも、気休めで学んだことはある。だけど、本当に怪我を消してしまうのは初めてだ。
「母コックスは、癒しの力って言ってた。たしかに体の中でなにかが手のひらに集まった感覚はあったから、そうだね、『手当て』とでも名付けようかな」
私の説明に、レオは唇を真一文字にし、少し考え込んでから言った。
「お前はなにが起きても平気な顔で受け入れるな。ある意味尊敬するよ」
だって、凛音の記憶が目覚めてからこっち、自分では予想もつかないことの連続だもん。いい加減、黙って受け入れることにも慣れてきた。
「とにかく、クロードに話してみるか」
「え、でも大丈夫かな? 私、研究材料にされたりしない?」
「癒しの力だから、悪いようにはされないと思うが。……言いたくないのか?」
自分でもこの力についてわかっているわけじゃない。どんなことができるのか調べるつもりなら、私やレオよりも物知りのクロードの方が適任だろうとも思う。
ただ、自分がどんどんこの世界の普通の人とはかけ離れていくのが、少し怖かった。
「クロードはリンネを傷つけたりはしないと思う。俺も……なにかあれば守るから」
ぼそりと言うから、独り言なのかなとも思ったけれど、うれしかったので返事をする。
「わかった。話してみようか。……ついでに、ソロのことも守ってくれるとうれしいな」
私はソロをきゅっと抱きしめながら、お願いしてみる。レオは微妙に渋い顔をしたけれど、「わかった」と請け負ってくれた。




