謎の聖獣と赤毛の令嬢・1
半年もすると、毎日の筋トレとランニングの効果が出てきた。
足にはいい筋肉がつき、長く走ってもバテなくなってきたのだ。
(一〇〇メートルのタイムを計ってみたいな。ここにストップウォッチがないのが残念すぎる)
ランニングに付き合わせてきたからか、レオはこの半年で見る見るうちに成長した。私より細かった腕や足にはがっちりと筋肉がつき、背も今ではレオの方が高い。
(半年でこれだとすると先が恐ろしいな。ずるいな、これだから男は嫌よ)
本気になった男子の底力を見せつけられているようで、恐ろしい。体力的な面では、やはり男性の方が長けているのだ。
「はい、じゃあ行くよー。用意スタート!」
いつも通り、私の号令でランニングが始まる。王城の敷地は広く、外壁の内側に、王城、騎士団棟、賓客などが泊まる宿泊棟など、様々な建物があり、宿泊棟と王城の間に庭園がある。私たちのランニングは外壁に沿って、すべての建物を右手に見ながら走るコースだ。
やがて、宿泊棟を過ぎ、庭園が見えてきたあたりで、なにかが目の前を横切り、私より少し先を走っていたレオが、足を引っかけて転んでしまった。
「大丈夫? レオ」
慌てて駆け寄った私は、転んだレオの足もとに、真っ白の毛玉を見つけた。
「ティン……」
情けない声を出し、震えている。よくよく見ると、毛玉ではなく、丸まっている動物だ。ふわふわの尻尾を両手足で握りしめている。その尻尾からは、血が出ていた。
「もしかして、コックス?」
ここ半年ほど、声は聞けども姿は見えなかったコックスだ。
私は獣を持ち上げた。抵抗する気がないらしく、狐のようなその生き物は、手足をだらんと伸ばしている。下にたれた尻尾がかわいらしい。
「ティン、ティン」
どうやら、レオに蹴られたときに、尻尾を花壇のレンガの角で切ってしまったらしい。悲しそうな声で、私に向かって必死に痛みを訴えてくる。
「危ないじゃないか、いきなり飛び出してきて」
レオが起き上がり、コックスへと不満をぶつけた。動きの俊敏さを見れば、彼自身は大きな怪我はしていないようだ。
「ティン!」
コックスは毛を逆立てて威嚇してくる。まるで話が通じているみたいな反応だ。
「なんだよ、やる気か?」
「ティン、ティン!」
コックスがレオに飛びかかろうとするので、抱きしめて押さえた。
そのとき、体の中で、なにかが弾けた感覚があった。水風船がパンと割れて、体中に水がいきわたるようなそんな感覚だ。
「きゃっ」
思わず手を離してしまい、コックスが放り出される。さすがは獣というべきか、見事な身のこなしで、コックスは地面に着地した。
「どうかしたのか」
「ちょっとね。……でも大丈夫」
一瞬だけだったので、今はなんともない。いったいなんだったんだろうと思っていると、コックスが私の足もとにやって来て、靴の上に前足を上げた。つぶらな瞳が見上げてくる。
「ティン?」
「ごめんね、落としちゃって。怪我していたんでしょう?」
レオはここで初めてコックスの怪我に気づいたらしく、バツの悪そうな顔をした。
「俺のせいかな」
「そうかもね。とにかくお医者さんに診せて……」
そこで言葉を途切れさせてしまったのは、突然自分たちの上に影が差したからだ。
「ティン!」
コックスがぱあっと顔を晴れ渡らせ、ぴょんと飛びついていった。
そこには、大きなコックスがいた。クロードくらいの大きさで、尻尾が二本ある。小さなコックスが首のあたりに抱きついて喜んでいるので、おそらく、このコックスの親なのだろう。
「うわっ」
驚いたレオが後ずさる。
「ティン! ティン!」
子供のコックスが必死に訴えると、親コックスはもともと細い目をさらに細め、レオに向けて二本の尻尾を振り回した。
レオは最初の一撃をしゃがんで避けたが、少し遅れてきた二本目の尻尾にたたき飛ばされて、地面に転がる。
「レオ!」
「こいつっ」
レオは果敢に立ち上がり、親コックス目がけ、拳を振るった。
だが、親コックスはレオの手をあっさりとよけ、彼の足に噛みついた。
「痛っ」
「レオ!」
親コックスは、噛みついたまま、しばらく離れなかった。レオがわめきながら足を振り回し、ようやく放してくれたときには、右足首に歯型の痕がついて、血が出ていた。私はレオをかばうように親コックスとの間に入る。
「やめて。わざと怪我をさせたんじゃないの。それに、この子の怪我はそんなに深いものじゃないわ」
リンネが視線を向けると、子供コックスは、なぜか素直に腕の中に飛び込んできた。
一度ギュッと抱きしめてから、尻尾に手をあてる。ふわふわの毛並みに、一ヵ所だけ毛がむしれて血が出ているところがある。
リンネは自分が怪我をしたときを思い出して、そこをなでた。
(汚れを取り除いて、消毒しておけば、傷はいつかちゃんとふさがる。このくらいの怪我なら大丈夫……!)
日本での治療のイメージを頭に描いてそう願ったとき、不思議なことが起こった。
体の中から、なにかが手に集まってくるような感覚があったのだ。それは、手のひらで熱となって、今度はコックスの患部に吸い込まれる。一瞬光を放ち、消えたときには、怪我が跡形もなく消えていた。
「え? なにこれ」
私は自分の手を見る。だが、見た目はなんの変哲もない子供の手だ。一瞬集まった熱も、完全に消えている。
「ティン!」
子供コックスは喜んで、リンネの胸にスリスリと体を寄せてくる。尻尾がご機嫌に揺れているので、痛みは取れたのかもしれない。




