第一話 目覚め
ここはどこだ
暗い
完全なる闇
あ、そうか
僕は死んだんだ
目を開いても深淵の闇。
これが死後の世界なのだろうか。
え?
ちょっと待って
死んだんだよね?
目を開く?
おかしいぞ
改めて感覚を確かめる。
ある。
手も足も身体中に感覚がある。
どうやらなにか狭い空間に閉じ込められているような。
「なんだこれは」
すぐ目の前に壁がある。
というか動かせるんじゃないかこれ。
暗闇で確認する手立てはないが確かな手応えを感じる。
「うっく」
力を込めると突如として眩い光に目が眩んだ。
思わず目を瞑る。
そしてゆっくりと開けると快晴とも言える空が広がっていた。
「え?え?なにこれ」
僕は石棺のようなものに入れられていたようで、壁だと思っていたのは蓋だった。
体を起こし辺りを見回す。
人影はなく視界に入ってくるのは空、森、そして遺跡のような建造物の中に僕はいた。
「おおう?」
とりあえず出てみた。
立ち上がり体を確認する。
制服のシャツにはナイフで貫かれた穴はあるものの、僕を死に至らしめたはずの傷や血は綺麗さっぱり消えていた。
脈もある。
とりあえず生きている。
それだけは確かだった。
「どういうことだってばよ」
全く見覚えがない景色に戸惑いつつも、情報を集めるため付近を探索する。
遺跡のような建造物は石棺を中心に広がっており、そのすぐ後ろに碑が立っていた。
「これは読めない」
中央に羽の生えた女性が書かれた碑には見たこともない文字で夥しい数の文字が刻まれていた。
みみずが這ったような感じのそれは、正直文字であるのかも僕には判断できないレベルだった。
「なにか他に・・・これは英語か?」
先程の石棺の蓋にも同じように文字が刻まれていた。
石碑のものよりも比較的新しいように見えるそれは見覚えのある言語で、一部読めない単語もあるがなんとか理解できる。
そこにはこう書かれていた。
ー私の後に来る者へ
私はかつて一度死んだ
そしてこの地ーーーーへと蘇った
この文を読める者が良き心の持ち主であることを願う
ーーーーは我々の知る地球ではない
アナザーワールドだ
電気も機械も人々の言葉も我々の知る文明はここにはない
この地にあるのは剣と魔法
ファンタジーだが夢ではない
これは真実だ
この世界は弱いものはすぐに消える
闘え!生き残れ!
おそらく君にも何か役に立つーーーが与えられているはずだ
幸運を祈る
リチャード アストレイ
PS.
石棺の中に私が残したはアイテムは好きに使うといいー
「いやいや」
ジャパニーズ受験英語でも意外となんとか読めるもんだと感心しつつも、
書いてあったのは理解はできても納得はしかねる内容だった。
五百歩譲って生き返ったことは認めよう。
記憶のなかにねっとりと残る死の感覚というのはすぐに拭えるものではない。
問題はその後だ。
アナザーワールドとそのまま読んだが、つまりは異世界ということだろうか。
異世界転移、一度死んでいるしこの場合は転生なのか。
「ありえないだろ!」
咄嗟に頬をつねるが鈍い痛みと、
どう見ても日本ではない目に映る景色、
未知の言語が刻まれた建造物、
そして先達からのメッセージ。
その全てがそれが事実だと訴えていた。
「漫画かよ・・・」
まあ。
仕方がない。
そういうことなら受け入れよう。
一度死んだからな、もう大概のことはなんでも受け入れられる気がしている。
「アイテムって書いてあったな」
石棺の中には革製のポーチとなんだかよく分からない白い棒状の物体があった。
ポーチの中には巾着袋に収められた数枚の金色のコインと長方形の石のような結晶状の物体が2つ入っていた。
コインはこの世界の通過だろうか。
結晶の方は赤と緑で掌大の大きさで、不可思議な紋様が表面に刻まれている。
「ちょうど腰に巻けそうだな」
かなりしっかりとしたしなやかな革製のベルトで身に着けても動きやすそうだ。
初めて触れるこの世界の物体だがそんなに悪い気はしない。
そして白い棒の方は全長20cmほどで全体的にやや平く、両端は縦長の六角形のような形状をしている。
二つの六角形を繋ぐ棒状の一段細い部分は持ち手だろうか。
握ると妙にしっくりくる。
無機質な陶器のような質感で振ったり叩いたりしても何が起こるわけでもなく得体が知れない。
ただ、革ポーチのベルト部分にすっぽり収まるホルダーのようなものが誂えてあるのでおそらく何か意味がある物に違いない。
「え、これだけ?」
グーー
「とりあえず飯だな」
盛大な腹の虫にやはり生きているということを再認識する。
ここがどこだが知らないがどんな世界でも人の三大欲求は変わらないようだ。
「あれは・・・街か?」
鬱蒼とした森に囲まれたこの遺跡はやや拓けた山の中腹にあるようで、結構遠くまで見渡すことができた。
広大な平原に川と壁に囲まれ建物がそこだけ密集している場所が見えた。
この世界の勝手は知らないが周囲の自然との対比から感じる異質さからそこそこ大きな集落なのではないだろうか。
「よし、とりあえずあそこだな」
これも一度死んだ影響だろうか。
普通だったら発狂してもおかしくない状況の中で、頭は至って冷静で何より前向きだった。
未知の世界に僕は歩き出した。
「いや、マジで腹減った」
かれこれ5時間ほど歩いてきたが全く街に着く気がしない。
森の中に入ったため先が見通せないこともあり、空腹感も既に限界を超え、精神的にも結構応えてきた。
異世界人との遭遇もないし、実はこここそが死後の世界なんじゃないかとさえ思う。
「ー・・・っきゃああああああああああああっ・・・」
その時だった。
微かにだがしっかりと鬼気迫る悲鳴が聞こえた。
「っくっ」
悲鳴は異世界でも同じなんだなーなんて考えた刹那。
何かに胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
前にもこんなことがあったような気がするが思い出せない。
けれど確かな使命感が僕の中に芽生えたのだった。
「いかなきゃ」
声の元に走る。
不思議だ。
いつもより身体が軽い。
少しすると森が途切れ、土が剥き出しになった幅の広い道のような場所に行き当たった。
道と呼ぶには少々お粗末だが明らかに人の手によるものだと思う。
「なんだあれ」
その道にいたのは明らかに僕の知る世界には存在しない「もの」だった。
上部が甲殻のようなものに覆われた体、刺に似た突起のある極端に発達した前肢、そこから伸びる鈍く光る太く鋭い爪。
全体の印象を簡単に言うとでかい熊だが、その節々から溢れんばかりの獰猛な雰囲気はもはや物の怪の類だ。
「グゥオオオォオォッ」
それは後ろ足で立ち上がり前肢を広げ怒号のような咆哮を上げた。
「あっ!」
異様な生物に気を取られて気がつかなかった。
人だ。
人が襲われている。
横倒しになった馬車の傍らに白い服を着た第一異世界人がそこにいた。
「やばいだろッ!うおおおおぉおッ!!」
木陰から飛び出しながら、こちらに注意を向けるように叫ぶ。
狙い通りそいつは一瞬戸惑い、挙げた前肢を地についた。
その隙に第一異世界人とそいつの間に入る。
「大丈夫ですか!?」
そこに居たのは青の意匠をちりばめた白い装束に身を包み灰色に近い銀の髪をした若い女性だった。
少女と言っても良いかも知れない。
座り込んだ彼女の膝下には無残にも背中が切り裂かれた別の女性が横たわっており、彼女の髪や装束は所々が紅に染まっていた。
「אתה?」
あ、だめだ
これ何言ってるか分かんねぇな
異世界語と思しき言語だったが、さっぱり理解できなかった。
「あー、えっと任せて!」
とりあえず渾身のサムズアップをして獣と向き合う。
今は四つん這いの状態だがその巨躯は明らかに僕よりも大きい。
改めて対峙すると丸腰の人間がどうこうできる代物じゃない。
何も考えずに飛び出してしまったことを若干後悔しつつ、リチャードの残した言葉を思い出した。
ー君にも何か役に立つーーーが与えられているはずだー
肝心なところは読めなかったがきっと「スキル」とかそういう感じのはずだ。
そうじゃないと、とても困る。
やや腰を落とし、掌を獣に向ける。
「ファイアボルトッ!!」
うん
コレ違うな
最近読んでいた漫画の主人公が使っていた魔法を真似てみたものの全く何も起こらず時間が止まったかと思った。
かなり威勢よく大声を出しただけにめっちゃきまりが悪い。
「ガオゥ?」
獣まで「え?なにいまの?」とでも言いたそうに首をもたげた。
聞きたいのは僕だ。どうしてこうなった。
ああ、詠唱が必要なのでは?
昨今のファンタジーでは無詠唱マンセーの展開ばかりだから失念していた。
よし、ここは僕が知るかぎり最も有名な奴を披露しようじゃないか。
「黄昏よりも昏きもの
血の流れより紅きもの
時の流れに埋もれし
偉大なる汝の名において
我ここに闇に誓わん
我等が前に立ち塞がりし
すべての愚かなるものに
我と汝が力もて等しく滅びを与えんことを! 」
唱えるにつれ身体中に力が漲ってきたかも知れない。
改めて渾身の力を込め獣を指差し叫ぶ。
「竜破斬!!」
気のせいだったわ
「האם זה קסם עכשיו?」
依然として何を言ってるかは分からないが後ろの彼女にも心配されている気がする。
そもそもこの世界に魔法はあるのだろうか。
恥ずかしながら転生ハイになっていたようでそこまで深く考えていなかったんですよね。はい。
「グォオオオオッ!!」
再び獣が起き上がり咆哮をあげた。
どうしようもない茶番に付き合わせたからだろうか、心なしかさっきより怒っている気がする。
死ぬほど漫画は読んできたはずなのに役に立たなかった。
こんな時にまで漫画で学んだ知識しか頼るものがないのも如何なものかと思うが、
そもそもこの状況が漫画みたいなものだから仕方がないのである。
「ガァアアアッ!」
巨大な右前肢を振りかぶりながら獣が突進してくる。
もうだめだ。
頭の中を考え巡らしても、雨の日に無能な某大佐しか出てこない。
「もう空気読んで消えてくれよ!」
パチンッ
ヤケクソになりながら指を鳴らした。
次の瞬間。
腕を振り上げていた獣の姿が一瞬大きく乱れた後、光の粒のような状態に変化した。
獣の形をしていた光の粒は弾けるように霧散していった。
「お?え?」
「איזה דבר!」
異世界語を発した少女の方を振り返る。
何を言っているのかはもちろん分からないが彼女の安堵の表情から察するに危機はさったのだろう。
全く実感は湧かないがどうやら僕はあの馬鹿みたいにでかい獣を退けることに成功したようだ。
とりあえず再び渾身のサムズアップをしてお茶を濁そうと思う。