背中をぬるぬる
「ねぇ、背中マッサージして」
「いつもながらいきなりだよな。まぁ、別にいいけどさ」
「はい」
目の前にドンと置かれたのは保湿クリームの入ったボトルだ。
「あ~、そういうことね……」
「そういうこと」
全てを納得したヨーイチはボトルを受け取る。私は背中をくるりと向けてゴロンと横になった。
「うつぶせ、しんどくない?」
「うん、まだ大丈夫」
「そう、んじゃあ」
ヨーイチの方も何度かやっているので慣れたものだ。ボトルのポンプをプッシュすると白いクリームが練り出される。手の平に山盛りだ。それをヨーイチは両手を合わせてムニュムニュと広げていく。これで準備は完了だ。
ヨーイチは両手にたっぷりとクリームをのせたまま、私の背中に手の平を当てる。クリームの塗られた手の平は一部の隙間なく背中にピタリと触れる。そこからヨーイチは背筋をなぞるように、ずい~っと撫でつけた。
ぬり、ぬりぃ~~ぃ
最初は馴染ませるために、じっくり、ゆっくりとだ。
背の上を滑らかに掌が進む。その滑る感触が心地よい。
腰から、背中から、首の付け根まで、下から上へ掌圧が一方向に通り過ぎていく。そのたびにクリームが薄い膜となって背中を覆っていく。最初は空気に触れてひんやりとした背中の感覚が温かいものへと変わっていった。これで背中の準備は万端だ。それをヨーイチも理解したのか、もひとつおまけにクリームを追加して、私に宣言した。
「じゃあ、力入れていこうか」
――ぐっ、
返事を待つこともなく、宣言と同時に押し当てた手から圧が加えられた。すると手の平は、ぬぅっと動く。
その掌底はしっかりと筋肉を捉えていた。油膜の張った背中は滑りが良すぎるため、上手く捉えないと加わる力が弱くなる。上から加えた圧を上手に狙った方向へと逃がす。その術理を理解した動きだった。
「う~~~ぅ」
掌圧が背部を下から上へと撫でつける。
圧し当てられた手に空気を搾り出されたかのように息が漏れた。
「う~ん、いい感じに擽ったい」
「じゃあ、もうちょっと力入れてくぞ」
「は~い」
声とともに背中に加わる圧が強くなる。手の平というか、その付け根の部分。掌が、ぐぅ~っと背中の筋肉の盛り上がった部分を圧していく。
「くぅ~ぅ、効くわぁ~」
まるで塗りつけたクリームに疲労が溶けだして、圧と一緒に流されていくみたいだ。
硬くなった部分にしっかりと圧力がかかる。きっと疲れの溜まっている部分だ。そこが解されて溜まっていた疲れと、悪い血が、押し出すように流されていくのが分かる。
「んじゃあ、もうちょい強めな」
――ぐに……っと明らかに先ほどよりも鋭角的な刺激が背に奔った。
肘だ。
背骨の際のきわどいライン。そこに肘を当てて滑らせているのだ。
骨の際だけあって、もしも少しでもずれれば激痛ものだろう。だがここ最近でマッサージさせまくったヨーイチの腕は、私を相手に限れば達人級だ。誤ることなく的確に筋肉のラインをなぞることで、ビリビリトした刺激を背中から脳へと奔らせていく。
「くぅ~、これも効く~ぅ」
先ほどまでの掌の柔らかい手つきとは違う、肘による鋭い刺激。背骨の際をなぞったかと思うと、肩甲骨の内側をえぐり、最終的には肩と首の間を通って抜けていく。
ぐりぃ~、ぐにぃ~、ぐりりぃ~~ぃ
1度、2度、3度と、続けて肘での圧擦が肩の筋肉を刺激する。普段から重さを感じる部分なのだが、そこの塊が肘でグリグリと潰れていくのが分かった。
「ふぅ~、極楽、極楽」
肩から背中の筋肉が柔らかくなり、全身がリラックスしていく。
あ~あ、たまらん。
このまま身体全体が泥のように溶けてべちゃっとなっちゃいそうだ。そんな蕩け始めた身体と脳みそで、ふとこれからの生活のことに思いを馳せた。
「ねぇ、ヨーイチ」
「ん、首回りは、もう少し肩をやってから――」
「ああ、それもあるんだけどさ」
「ああ?」
「猫飼わない」
「前も言ってたけど、そんなに猫好きだっけ?」
「ちょっと前に好きになったのよ。虎猫がいいわね」
「虎猫って、アメリカンショートヘアとか、スコティッシュフォールド……だっけ? あの耳の折れたヤツ」
「ううん、そういうのじゃなくて。もっと普通のヤツ。公園とかにいそうな、こげ茶に黒いシマシマの」
「ああ、いるな。公園とかにいる、アレ」
「そう、アレ。しっぽの長い子がいいかな」
「いいけど、ああいうのって逆にどこで売ってるんだろ? 雑種になるのかな?」
「保護猫とかでもらった方がいそうよね」
「ああ、確かに」
「折角だしね。長いこと飼ってあげたいわ。しっぽが2本になって化け猫になるくらい」
「いや、それは怖いだろ」
「そうかな~、可愛いと思うけど――」
<了>