――愛すべき苦難である
腕が疲れた。
その原因となる大きな紙袋を部屋の隅に置くと、疲労に反して小さな感動が胸の中に生まれていた。
「ついに、買ってしまったか」
梅田駅前のヨ○バシで買ってきたスタンドマイク、外付けHD8TB、画像動画編集ソフト。
合計、約4万円の機材である。……外付けHDが一番高かった。でもついつい調子に乗って買ってしまったのだから仕方がない。
実は今日、買うつもりはなかった。今まで本当にやるのかどうか、いま一歩踏み出せなかったのだ。
が、ついつい周りに乗せられて買ってしまったのだ。
それと言うのも、地元チームの彼らに「実は実況動画とか考えてまして」などと口が滑ってしまったからだ。そのまま持て囃されるように連れていかれ……ついコロッと購入してしまったのだ。
だって仕方がないじゃあないか。
あれだけ「ゼタ君なら応援するよ」とか「間違いなく有名になれるって」とか「毎回動画見るよ」とか言われちゃったら、吾輩もその気になっちゃうって。どころかこりゃもう天狗になるのを期待されてるよね。だったらやる事は一つだ。
『やる前から悩むな。やってから考えろ』の精神を発揮してしまった。まったく、自分の溢れんばかりの行動力が恐ろしいぜ。……いや、十分悩んでたからこんなタイミングになったんだけどね。
「……お蔭で今度こそ資金がカラッポになっちゃったな」
とりあえず、今日の収穫はこんな感じだ。我ながら早まったかなと思わざるを得ないが、後悔なんかしたところで面白くなんか何も無い。明日から編集とか録画方法とか調べようかな。
「……ふむ。他の事は時間が掛かるかもしれんが、マイクだけでも接続してみるかなぁ」
ソフトをインストールするんなら時間とか掛かるだろうけど、ドライバ増やすだけならそれ程でもなかろう。
インストールしつつ、ついでに夕飯なんかも済ませてからログインすると、スノーが宿屋のベッドの上で膝を抱えて待っていた。
寝息はしていないので、寝ているわけではないだろう。すると――
「遅い。遅い。遅い。遅い。遅い……」
――なんだか呪詛でも唱えているみたいな小声が聞こえてきた。誰かを待っているようだけど……。十中八九、俺か。
少し、放置しすぎただろうか?
そういえば今まで寝ている時間以外に六時間以上、間を置くことはなかった。携帯のアプリがあるからね。連絡とか指示なんかは普通にできるし、学校行ってる時でも休み時間に話したりしていたし。
しかしよくよく考えると、スノーの側からはコンタクトを取る手段がないといのは問題だな。あっちで何かあっても、呼び出しができないのだから。
「……いつになったら来るのでしょうか」
待たせ過ぎているようなので、とりあえず急いで話しかけることにしよう。
新品マイクのスイッチをオンにして帰ってきたことを知らせる。
「もしもーし?」
『あれ……ゼンタロウ、ですか?』
「何故に疑問?」
『いえ、いつもより声が澄んでいるので、少しビックリしました』
あぁ、マイク換えたからか。そういうのでもスノーは驚いたり反応したりするんだな。ちょっと楽しい。……今度ボイスチェンジャーで女の子の声とかでやってみたら面白い反応しそうだな。
『それより、聞いてください。大変なんです』
「……大変、そうには見えないんだけど」
普通に部屋で休んでるだけに見える。
とにかく事情を説明された。
小田が戻ってきたところから、シターニア大森林の連中から援軍を頼まれて、王都では自分が持て囃されていて居心地が悪かった、との事だった。
とりあえず俺がまず気にしたのは、小田の奴が帰ってきてたことだ。
連絡入れろよ。お前が居なくなってから俺は気が狂ったように毎日を過ごしてたんだぜ。今度あったら「東京は楽しかったか?」と皮肉たっぷりに言ってやる。……くらいだったな。
ただ、スノーの思うところは俺の思う所とは全く違ったモノだった。
『あの、どうすればいいでしょうか?』
「え、なに、その漠然とした疑問……」
『えぇと、シターニア大森林の件をどうすべきか、それから居心地が悪いのはどうすればいいのか……』
「お、おう?」
なんか、様子が変だな。
でもその原因がよくわからないな。
「ちょっとスノー。何が問題なのか、一つ一つ丁寧に切り崩していこう。一度に複数の問題は解決しないぞ?」
『いえ、どちらも繋がっているのです』
「そうなの?」
『はい。……どちらも、勝手なのです。私は私のやりたいようにやってきただけなのに、彼等は私の思惑とは違う私を見ています。私ではない、別の“ユキノ”という虚像を生み出して、無遠慮に私を決め付けてくるのです。私は、それが嫌なのです』
なんだ、その女子高生アイドルがアイドル辞めたい時に言いそうな台詞。
『誰も本当の私を見てくれない!』みたいな悩みだな。スノーの事は大事だけど、流石にその話はちょっと面倒くさいと思った。
『……私も、勝手をし過ぎたのかも知れないです。でも、だったら、どうすればそんな風にならないように、生きられますか?』
「……えぇ……えええ?」
なんという無茶振り。逆に俺が困惑だよ。
いや、ご自身も勝手だと自覚しておられるのに、どうにかそれを回避したいって、拗らせ方が俺の想像の遥か上をいっているんですけど。
生きていく上で勝手が許されないとかそれどこの修道士さん?
どうしよう。そこまで俺も道徳が優れてるわけじゃあないし、どうぞご自身で勝手に決めてくださいと言いたいのだけれど。
……どうしよう。そこまで言わないとダメなのだろうか。
ちょっと、様子見してみよう。
「いや、あのね。スノーさん?」
『はい』
「そりゃいくらなんでも無理ってもんだよ……」
『そ、そうなんですか?』
そりゃそうだよ。だって、他人と関わっていく限り、煩わしいなんて感情は切っても切れない存在だ。誰かに評価されたり頼られたり、そんなのも当たり前のように向こうからやってくる。
そんな当たり前のことで、スノーは参ってるみたいだった。
膝に顔を埋めて貝のように閉じてしまった。
思った以上に落胆されてしまった。俺も一様に頭が重くなったぞ。どう説明するんだ、これ……。
そもそも、俺個人の考えで言えば、人とは最初から勝手な生き物だ。
……言い方が悪いな。言い直して、人は自分で何でも決めて進まなくちゃいけない生き物だ……とでも説明するか。
とにかく、スノーだって他の人だって、それは同じだし、不確かなモノを決めていくというのは生きていく上で人が当たり前にしていく活動だ。
それは不義理ではない。だから答えが間違っていようが、その行い自体は間違いではない。
そりゃあ、何でもかんでも決め付けが許される訳ではないけれどさ、スノーはその限度は超えていない。
……ああ、違う。この説得の仕方は何かが違う。これでは単なる許容だ。悩みの解決とは違う。
そもそもの問題。
なんでそれだけの事で気を落とさなくてはならないのか。他人に自己を決め付けられるのがそれ程まで嫌なのだろうか。この場合の他人とは“顔も知らない他人”か。
でもそれはスノーが勝ち取った信頼とか人気な訳で、それまで否定したいとなると、もはやそれでは世間と向き合えない、ただの人見知りなのではないだろうか。厭人の一歩手前だ。
それを解決しようとしたら、田舎に帰って一人ひっそりと誰にも会わずに暮らしていくしかないではないか。そんなの俺が許さないぞ。
大体、そんな他人の評価なんぞ気にしても仕方がないだろうに。スノーのは気にし過ぎだぜ。
でも、その考えを押し付けてしまうのも、スノーの為にならない。だって気にし過ぎているから忘れろと言うのは一種の逃避だ。それだと、スノーの精神が成長しない。
だからこれもダメだ。
やれやれだぜ。
なんとも、もどかしい。押し付けたい考えが湯水の如く湧いてくるではないか。そのどれもが現状のスノーには適していないというジレンマ。
チクショウ、楽しませてくれるじゃあないか、スノー。俺をココまで困らせておいて、ニヤニヤさせるのはお前くらいだ。
いいぜ、興が乗ってきた。ココまできたら、俺のとっておきを使うしかあるまい。
「スノー」
『……はい』
「この件は俺の手に余る事態だ」
俺の秘策、とっておきとは――
『そ、そうなんですか』
「ああ……。何せこれはな……」
――土壇場のアドリブさ。
「スノー自身が乗り越えるべき試練だからさ!」
『試練?』
「そうだ。スノー、お前は強くなりたいと俺と誓ったな」
『! はい……ハイ、そうです』
「だったら、これがそうだ! これは神がお前に与えた、乗り越えるべき試練なのだ! 神ってヤツはその人にとって乗り越えられる試練しか与えないとかナントカいう教えがあるらしいし? まあ、きっと、たぶん、乗り越えられるんじゃない!?」
『なんで後半が雑なのですか!?』
俺に神の意志なんてわかる訳ないだろ? まあ、そんな事はどうでもいい。
「スノーは煩わしさから解放されたいといったな。なら俺がお前に提示できる道は二つある』
『二つ、だけですか』
「そうだ。一つはここで全てを投げ出してヒュードラ山脈に帰り、一人で何も無い静かで平穏な日々を過ごすか」
『それは……嫌です』
「じゃあもう一つだ。このまま外の世界で誰かと関わりながらに生きて、今感じてる煩わしさと、その他諸々を楽しむかだ」
『煩わしさを、楽しむんですか?』
「そうだ。何でもかんでも楽しんでみろ。それは今のスノーでしか味わえない感情だぞ。成長したらきっとそんな感情も忘れちまう。この瞬間にある“今しかない”を楽しめ。そうすりゃあ、自然と試練なんぞ乗り越えてるもんだ」
苦しいのが楽しいなんて、マゾみたいだけどね。俺はお断りだな。
うん、自分で言っておいてなんだけど、とんでもなく酷いオススメをしてる気がしてきた。自分が嫌な事を他人に勧めるなんて全く、最低だぜ。
「まあ、誰かに頼られるのも悪くないって思えるようになれたら、いいんじゃないのか?」
『なるほど。……ですが、どうにも今の話でも納得がいかないですね』
そりゃそうだろ。自分でも知らない誰かに、勝手に助けてくれるだなんて思われてたら俺だって納得しないし、助けたいとも思わない。
そもそも、この場合は一方通行なのがこの場合問題なのかもしれないな。
シターニア大森林の援軍然り、王都の警備隊についても然り。
スノーは今、周囲の都合に利用されつつある。これが問題だ。
それを逆転させる必要がある。
……あれ、もしかしてこれってチャンスじゃない?
「スノー、一ついいか?」
『なんでしょうか?』
「他人に利用されるか、それとも利用するのか、どっちがいい?」




