お前なんか善太郎じゃない、悪太郎だよ
あれ? 流れ変わった?
「くそ、なぜだ! どうして増えないッ!」
目の前の数字を見て、思わず床を叩いていてしまう。
その数字とは、自分が乗った体重計の数字だ。
俺は今、肉体改造の真っ最中だ。そのために俺は食生活を変え、GWには引き篭もり生活を送り、このお腹に脂肪を蓄えて丸々しいお腹を手に入れようとしていたのに。
「体重は増えているのは確かだ。だが、ウェストが全く増えていない……」
四月前までの体重は60ちょっと。最近では65kgを超え始めていて、目標の75kgまでそれほど難しくないと思っていたのに……。
それがGWを過ぎてから、徐々にしか増えなくなってしまったのである。食生活は米多め、ジャガイモをなるべく使うべし、ちょっと小腹が空けばカロリーメイツを食う悪食生活。飲料水はコーラと缶コーヒー。俺も立派なピザデブにジョブチェンジするのだと夢見ていたのに。
それが、増えない! 圧倒的、停滞! 針が66kgから先に全く進まなくなってしまったのだ!
いったいなぜだ。一時期は順調に増えていたのに、ココ最近で増えなくなったのはおかしいではないか。何か仕掛けがあるはずだ。
「兄貴、うるさい。今度は何を企んでんの?」
「き、貴様はベルセルク!?」
「誰が狂戦士じゃ、アホ」
いや、だって、怖いし。我が妹様は口調が完全にチンピラなんだよ。いったいどこから影響を受けたんだといいたい。
顔を合わせなければ付き合いやすいんだけど、面と向かうのがやっぱり怖い。俺のことを見ると爆発寸前のポップコーンみたいな音がするんだ。冗談だと思うかもしれないがマジだ。いつ爆発するかわからない時限爆弾みたいな奴なんだよ。
「俺もいるよー」
「お、小田!? な、なんでお前がここに……今日は用事があるとか言ってただろ!」
「おう、これがその用事だ。聖ちゃんのお手伝いだ」
なにそれ。なんで小田が妹の手伝いとかしているんだ。嫌な予感しかしねえ。
というか馴れ馴れしいぞ。俺の小田となに仲良くなってんだ! お前だって自分の友達と俺が仲良くしたら怒るくせに!
しかし、しかしだ。落ち着け俺。
ここは俺にとって、なにやらピンチな場面だという第六感(経験則)が働く。ここは真摯な対応をして妹の怒りを沈ませなければなるまい。
「まあ、落ち着け。いったいなんの用だ? 人の部屋に無断で入ってくるんだ、それ相応の意味を教えてもらおう」
「白々しい。年貢の納め時って奴よ。兄貴の計画はココで終わり、さっさと白状して我が家の食卓テロを止めなさい」
「え、なにそれ?」
テロ? 何のことだ。
「惚けんな! アニキのせいで私の体重がどんだけ増えたと思ってんじゃアホ!」
「……お前太ってたの? 全然わかんなかったわ」
「わかってたまるか! 毎日毎日、高カロリーに高糖質・高脂質のやりたい放題のオンパレード……私がどれだけ陰で努力してるか……どころかダイエットで殺す気かっつの!?」
ああ、やっぱり爆発した。無理ゲーじゃん。どうしろっていうのさ。
ちなみに我が家の独自ルールの一つに『夕食は作りたい者が作る』というのがある。
自分が食べたい物をいち早く誰よりも先に料理して、それを家族分用意する。作った分の材料費と手間賃はその都度もらえる。
例外として誰も作らない場合は、外食とかレトルトとか、そっちを頼る事になっている。
これは母親の提案でもあった。毎日飯作るのに飽きたから誰か作ってくれという要望に、俺と妹のお小遣い救済システムとして現在は確立されている。現在は俺と妹が隙あらば自分の食べたい物を作って小遣いを頂いている。
で、俺は自分が太りたいが為に最近のメニューをチャーハン、ピザ、カレーライス、カツ丼、ラーメンと笑いが出るほど太る料理を作り続けてきた。
そう思えば、家族の体重が相対的に増えるなぁと、今更ながらに思ってしまったわけだが、でもそんなに増えた見た目もしてなかったし、別にいいじゃないか。
「今、兄貴は見た目わかんないから別にいいって思ったでしょ」
「ゼタっちなら間違いなくそう思うね」
お前等、人の心を遠慮なく読むんじゃない。
「体重を維持するのに、人がどれだけ大変か理解しようとすらしない。兄貴なんて善太郎じゃない、悪太郎よ!」
「それ言うんならお前なんて聖じゃなくて恐だろ絶対」
「ア゛?」
ほら、そういう所だよ。その一音だけで相手を威圧できちゃう声音とか眼光とか態度そのものだよ。マジで怖いんだからやめなさいって。
「でも、私たちは兄貴の思惑に全ての答えを得てしまっている。観念しなさい!」
「おっと、今日はキュア・プリのネタか? 毎週欠かさず見てるもんな。でも悪いが俺は女児アニメアレルギー持ちだ。他の人と遊んできなさい」
「ゼタっちは魔法少女みたいな『夢も希望もあるんだよ』ってメルヘンアニメが苦手だもんねぇ」
「茶化すな雰囲気壊れる! それにコッチは推理探偵のつもりじゃアホ共!」
……そりゃ無理があるぜ、妹よ。キャラじゃない。よしんば、お前が推理モノに出てくるんなら、相手を恐喝して恨まれ、刺し殺される死体側だよ。あと中指を立てるんじゃあない。
「ゼタっち……。いや、善太郎くん。今日はちょっと真面目な話をしようと思うんだ。心して聞くように」
「!?」
な、なんだ小田の奴。突然雰囲気を豹変しやがった。流れが、変わった。
「善太郎。キミは今年、受験を控えている身だ。それに親父殿から借金をして、受験する高校を定められている。決して油断してはならないはずだ。だというのにキミは毎日ゲームをし続け、更に妙な事を企んでいる」
「妙な事? おいおい、藪から棒に何を言ってるだ?」
「何をビビっているんだい、善太郎。声が震えているよ?」
俺は動揺しかねない心臓を、極めて聞こえないように息を殺して答えたハズだった。
なのに、コイツ……明らかに普段とは違う。飄々として緩々とした雰囲気はまったくない。油断ならない、今の小田からは凄味を感じる。
「では善太郎。昨日の中間テストの結果。見せてくれないかな?」
「……悪いがそんなものは捨てた」
「だろうね。キミが昨日、ゴミ箱に捨てたのを見ていたからね」
「なんで知っててわざわざ確認したんだよ!」
「論理的な逃げ道が存在しないと心理的に追い詰めるためさ」
おいおい、冗談だろ。
俺は今、友達である小田から、精神的な心理攻撃を受けているだと!?
「まあ全部酷いものだったけど、こんな点数で本当に受験合格できると思っているのかい? いや、狡知に長けた善太郎ならきっとわかっているはずだ。そんな事は無理だってことくらいね」
「……何が言いたい?」
「不正をしようとしているんだろう? これを使って――」
俺はそれを見せられた瞬間、焦った。なぜそこにそれがあるのだと。
その手には、俺がネットで購入した“プロの手品教本”が持たれていた。
だが、馬鹿にするんじゃあないぜ。小田が今持っている本は、確かに俺の購入した本と同じだ。だが俺の持っていた本だからと言って、それは俺の所有物ではない。奴が個別で購入したのだろう。そうでなければ有り得ない。何故なら俺は証拠品を既に、この世から葬り去っている。学校のゴミ焼却炉の中にな!
「これに見覚えがあるはずだ。キミはこの本の『360度、何処から見られてもわからないマジック』という奴を参考に、受験を乗り越えようとしているのだ。そう、この第三の手というマジックを使ってね」
それは左腕を服の下に隠し、模造した腕を服から出しておくという、準備を除けば簡単な手品だ。左腕は腹の中に隠し、それを使ってモノを移動したり隠したりする技だ。
「キミはこのマジックを完成させるために、あえて太ろうとした。高校受験の一か月前まで10㎏から20㎏太り、そして受験前に、贅肉の全てをそぎ落とし、空いた腹に自分の腕を隠す。そういう計画だったんだろう。きっと言い訳は受験勉強のストレスで、と言ってのける心算だったんだろう」
大当たりだ、馬鹿野郎。
でも、まだまだだな。
「くっくっく、甘い。魔法少女のように甘い推理だぜ。確かにお前の言う事は全部、真実かもしれない。だが俺の計画をいくら先読みしたところで、名探偵にはなれないぜ、小田真雄。なぜならお前の推理には決定的に足りないものがある。それは、証拠だ。俺が本当にそれを実行するのかっていう話だよ。俺が今もその本を後生大事に持っているとでも思っていたのか? 証拠が無ければ誰に言ったところでお前の妄想でしかないんだよ!」
「善太郎。俺は別に、お前の悪事を明るみに出すのが目的ではない。だから証拠なんていらないんだ」
なんだと。それはどういう……。
「だってこれ以上、善太郎が太れなくなるように細工をさせてもらったからね」
その瞬間、俺がつい先ほどまで悩んでいた贅肉が増えない事に対する不安が怒りへと変わっていた。
「――――き、貴様ぁあああッ!?」
思わず怒気を孕んで叫んでしまった。
「お、俺の体になにをしたああああッ!」
「確かに悪事を事前に防ぐのは名探偵のすることではないね。だけど、不正を止める方法ならある。特に、友達ならね」
ば、馬鹿な……俺の計画が、まさか、唯一の親友といっても差支えない小田の手によって封じられてしまったのか。
「キミが小腹を空かせていた時に食べていたカロリーメイツに、何が入っているか知らなかったかな? ダイエットプロテイン剤だよ。味が変わっていた事にも気づかなかったかい?」
言われてみたら、なんか違った気もする。でもしばらくしたら慣れてしまって……。それにカロリーメイツ……て、そりゃあオマエ……妹作の完全食の事を言っているのか? ならば、まさか――
「ひ、ヒジリィィィッ‼ き、貴様‼ なんて事をしてくれたんだ‼」
「いや、デブった兄貴がいるとか友達に知られたらクラス内ヒエラルキー保てないし。ぶっちゃけ迷惑」
「NOOOOOOOOOッ‼」
この野郎! 兄貴に一言も無く、一服どころかとんでもない毒を常に盛っていやがったッ!
お、俺の完全なる計画が、こんな形で終わってしまうとは。
誰にも気づかれないように、今回はガチで用意周到にしてきたのに。作り物の左腕は目下製作中で、塗料の臭い消しの時間も考えて既に製作材料さえ揃えていたのに。
俺は、全身の力が抜けてしまい、その場にうち崩れてしまった。
「まあ、善太郎が毎日一時間のジム通いをやめたら太ると思うけどね」
「そんなことしたら体力が落ちるだろ‼ ゲーマー舐めんな! ゲームの実力を支えるのは長時間集中力が維持できるかどうかの体力勝負なんだぞ! このド素人が、二度とそんな口を出すんじゃねえッ‼」
「……ゼタっちのそれは普通のゲーマーじゃなくて“プロゲーマー”の考え方だよねぇ」
結局のところ、破滅したのは自分の生活習慣によるミスだった、という事か。因果なモノだな。日課って奴はよぉ……。
「……悪かった……もう足は洗う事にするよ。今度から、真面目に勉強する事にしよう、もうこんなバカな事はしないと神にも誓おう」
「平気で嘘言うからね、この兄貴。こんなゲロ以下の臭いがプンプンする奴には出会った事がねえって程に」
「やっぱりダメか」
しかしどうするべきか。太る事ができないんなら、この作戦は破綻している。……別の手を考えるか。
例えば紙を飲み込んでカンニングペーパーを用意、処理する方法とか? また他に手がないか調べるか……。
「……真面目に勉強をするって発想がなんで無いんだろ」
「ゼタっちは真面目に勉強すれば学力とか余裕だと思うんだけど」
「いや、俺は思うんだよ。試験の時って皆一夜漬けとかして必死で頭ン中に知識やら方程式とか突っ込むけどよぉ。それって結局一カ月も経てば忘れるよな? そんな頭から抜けちまうようなどうでもいい知識よりも、俺が努力して勝ち得た手品の技術の方がよっぽど価値があると思わないか? つまり人間の価値としては奴等よりも俺の方が高いという事になるわけさ」
「……兄貴がサイコパスだ」
「さすがゼタっち……。クズに磨きが掛かってる」
そんな事をしていると、唐突に部屋の扉の向こう側から足音が聞こえてきた。しかもその足音は大きく、怒りの表れなのか、ドス、ドスと背中に恐怖を覚える足音をしていた。
「なんの騒ぎをしているのかと言えば……善太郎。お前という奴は……」
「お、親父……ごめん、なさい」
今日の父は全然楽しそうな表情ではなく、むしろ不機嫌を絵に描いたような顔をしていた。部屋にこもって仕事に専念している時の父を邪魔するとこうなる。やっちまった感が否めない。この場にいる全員が緊張して口を一文字していた。
「大体な……お前は受験勉強だとか言っていたが、別にそんな事必要ないだろ」
「え、なんでよ?」
「伝えるのを忘れていたが、お前が受けるのは『宮戸芸術高等学校』だぞ」
……進学校じゃねえのかよ。箸にも棒にも掛からぬ、爆発オチより酷い結末だった。
指定する学校に受験しろとしか言ってない。勝手に勘違いしてたねウッカリ君。




