見え透いた茶番
愚弟が剣を、取らなかった。
ただ怯えた表情で声を引きつらせている。そんな必要もないのに。
「何を戸惑っている。早く剣を取れ」
お前に残された道はそれだけだ。武を見せよ。その価値如何では、ユリアスを残してやっても構わないとも考えた。だが――
「ま、まってください姉上! これには事情が――」
「まだ囀るか? 言葉は要らん」
徐々に近づくにつれて愚弟は尻込みし、後退していく。本当にどうしようもない男だ。こんなのに自分と同じ、王の血が流れているとは……信じたくないものだ。
他者を圧倒する力もなく、人を使いこなす知もなく、恐怖に奮い立つ勇もなければ、人を魅了する優さえない。こんなモノは汚物でしかない。汚物は処理しなくてはならぬ。
もう待つのも面倒だ。火と聖の属性の混合魔法『陽光閃』で、焼却してしまおうと魔法を行使しようとした。
だというのに――
『待って待って! 相手が剣を取るまで待って!』
精霊ブラック・ラックが体を乗っ取った。その所為で魔法の行使が途中で止まってしまった。
舌打ちしたくなるのを抑え、極めて穏やかな口調で精霊に対しては対応する。
「どうしてだろうか?」
『ゼタ君との――というよりスノーちゃんとの約束! 剣を抜いていない無抵抗の相手なんか殺しちゃ絶対に心証が悪くなるからダメ!』
「殺さねば愚弟はまた同じことをする。一度悪に手を染めれば再び使ってしまうのが人の性だ。それとも私は甘んじて奴の謀略を許せと?」
『僕も王子殺害には同意するけど、せめて体裁は保って!』
面倒だ。全くもって面倒だ。精霊という奴はコレだから気に食わない。
私の体を使っているくせに、私の命を使っているくせに、私の意思を無視しようとする。
精霊達の権利は強い。一度奴等が体を乗っ取ると、こちらから反抗する事はほぼ不可能だ。
精霊には命が無い。だから我々を使って世界に干渉してくる。世界をかき乱そうとしている。奴等はここではない命なき世界で、我々を浪費して遊戯をしているのだ。私はそう考えている。
だけれど、精霊付きによる恩恵は計り知れない。剣技の未熟だった私が、魔力の乏しかった才が、百戦錬磨の傭兵たちと渡り合えるようになったのは、精霊ブラック・ラックが居たからに他ならない。
手放すには惜しいと思ってしまう程に、その効力は不利益を大きく上回っていた。
本当に忌々しい。
「な、何をしている! 奴の動きが止まっているうちに早く――!」
愚弟が何かを言っていたか。慌てて周囲の兵士三人が私を囲もうとしていた。いい傾向だ。これで奴等が武器を引き抜いた瞬間にそれを合図に全員を殺せばいい。ラックもそれで文句は言うまい。今度はそういう流れを期待していたのだが、唐突に投げ込まれた氷の短剣が二人の兵士の足を同時に突き刺した。兵士達は同時にその場で倒れこみ、残り一人は恐ろしい物でも見たような表情で私の背後を見つめていた。
「スノーか。勝手なマネを……」
「助けてあげようと思いまして」
「それは私か? それとも愚弟の部下二人か?」
「アリッサに助けが必要とは思えません」
しれっとした態度でスノーは言い捨てると、傍観するように茂みの中で待機した。
スノー。コイツはまだいい。私と同じで精霊に、自分の運命を弄ばれているだけの哀れな存在だ。だから許容する。
それだけではない。もっと、別のところで私はスノーを気に入っている。しかし今はそれに関係する事でスノーの存在が邪魔で仕方が無かった。
厄介な自主性を身につけたものだ。敵対者の排除など常識のはずなのに、スノーは“殺し”そのものを否定してくる。
まさか精霊達の被害者として同盟者と成るべき相手から、こうも私に反抗の意志を持たれるとは思わなかった。だが切り捨てるには惜しい才能を奴は持っている。
それは私にとっても、希望のような物。失いたくない駒だ。
“精霊を逆に従わせる”その才能がある限り、私はスノーを始末したくない。
本当に、ままならないモノだ。
「……全く、この後どうするつもりだ? 私は愚弟の処罰を取り消すつもりは毛頭ないぞ」
「やるならお好きに。邪魔は勝手にしますので」
良い性格するようになったものだ。以前は慎ましやかで大人しくて、不満があっても溜め込むような、手先として扱うには都合の良い存在であったのに……。もしかしたら、人を殺した所為で、奴の中で何かが吹っ切れてしまったのかもしれない。
『すみません、ラックさん。ウチのスノーが勝手なこと言って……』
『いやいや、こっちこそゴメンね。ウチのアリッサがまさかココまで頑固だったとは』
『そこ、なに保護者同士のやり取りやってンスか。というか俺とアゲイル、マジで空気なんですけど。もう先に帰ってていい?』
やかましい連中だ。少しでもイライラしている時に他人が面白おかしく話していると余計に怒りが増す。コイツ等は理解しているのだろうか。
いい加減、我慢のし過ぎで私とて、良い顔を保てなくなってきた。
その時、ラックがやっと話を前進させる一言を解いた。
『スノーちゃん、せめてあの悪たれ小僧を討ち果たす事だけは容認してほしいんだけど』
「……精霊ゼタはどう思いますか?」
『うーん。正直、抜け策王子って俺としてはあんまり関心がないからなぁ。でもラックさんが頼んでるからさ?』
顔を立てて上げろと口では言わなかったが、スノーにもそれは伝わっていた。
スノーはしばらく、周囲の者達から視線も無視して考えを凝らしていると、記憶を引き出しているように呟いた。
「……納得」
何故かその言葉は、スノー本人にとって、とても大事だとさえ思える一言だった。
「納得させてほしい。それさえあれば、大抵の事は受け入れられる……らしいから」
『そんなのたくさんあるよ! 隣国で疫病が流行ったと知ったら、彼はいち早く国境まで行き、疫病から逃れる為にやってきた人々を捕まえて奴隷として売り払ったとか。さらにその時に拾った疫病持ちの犬を辺境の村に放して、家畜を全部ダメにした後、自分の子飼いを使って質の悪い牛や羊を売りつけたとか。手に入れたはした金で辺境村の貴族のご息女を無理やり買って、酷い暴力をして弄んだ後に兵士達に遊ばせて共犯意識を作り出して洗脳集団を作り上げたとか! 更にそいつ等は今現在もユリアス派として強固な一派を築いてて奴等の腐敗が広がっているとか!! あと――』
「長い。もうちょっと短くていい」
『えっと、生きていると他の人を不幸にしていくクズの中のクズ』
「……王族ってまともな人いないの?」
『アリッサは大分良い方だと思うよ』
「……まあ、まだ、何とか、納得できそう」
そんな幼児に言い聞かせるような説明だけでスノーは殺人を肯定できるのか。わからん奴だ。私の常識では奴がわからない。
しかし、今は構わない。精霊ラックもやっとユリアスを処分する事を許可した。
時間は掛かったが、これで問題はなくなった。
「待たせたな。健気に逃げ出さずにいた事だけは感謝しよう」
「ひッ」
いつの間にか、奴は部下の一人……リィンとかいう兵士の背中に隠れている。奴も殺していいのだろうか。
今、体を動かしているのは私ではなくラックだ。適当に回り込んで心の臓を一突きか、胴を人薙ぎにでもするだろう。
「な、なんとかしろよリィン!」
愚弟は相変わらず情けない声で喚き、黙っている部下にすがり付いていた。哀れを通り越して、もはや見るに耐えない思いになる。
一歩、また一歩と進むにつれ、ユリアスの顔は面白いほどに歪んでいく。
そして、その顔面に鉄の拳が叩き込まれた。
「は?」
その拳を叩き付けたのは、奴の部下であるリィン・ディーナだった。
その瞬間を見た全員が、口をあけて、呆けていた事だろう。意味がわからないと。
「全く……なんとかして、ですか。では、何とかしてあげましょうか。王子……いや、傀儡の王子様!」
リィンはいきなり、この場に居る全員に聞こえるような大声を上げた。
「な、なに、なにを? ナニヲしたんだおま、お前は!?」
「いい加減、アンタにはウンザリしてたんですよ! 少しは甘い汁でも飲めるかと思っていたのに、やっぱり貴方は本当に役に立たなかった。全部、私がお膳立てして差し上げたのに、とんだ無駄骨だ!」
「ふざ、ふざけるな! おう、王族に対してそんなこと――」
「そう。貴方が王族で、次期王子筆頭だったから全て利用させてもらっていたんですよ。全部、何もかも、貴方の悪評は全て、私が利用した事。そうでしょう?」
何を言っているんだ、この男。
何を、言い出していやがるんだ、この男は!
早く殺せ。殺してしまえ。そうしないとチャンスを逃してしまう。そう感じているのに、私の体は一向に前に進まなかった。
リィンは王子の胸倉を掴むと、尻餅をついた状態から立たせて、今度はユリアスに対して静かに言い含め始めた。
「もっと人を見るべきだった。もっと知識を得るべきだった。もっと経験するべきだったのです。弱者は他人に利用され、使い潰される。そして最後はこうやってもがく事も足掻く事もできずに、一人で蹲って見下ろされるのです」
「なにを、言って……」
「知見を広め、強く生きてください。一介の木っ端貴族であった私に言える助言など、所詮この程度です」
再び、リィンはユリアスの頬に左拳をたたきつけ、地面へ寝かしつけた。もうこれ以上は喋らせまいとするために。
「……貴様、お前はいったい、ナニをしてくれたのか理解しているのか?」
自分でも自分の声ではないと思えるほどに声が怒り震えていた。
「私は王族を私欲のために利用した不敬罪で、貴方の手によりこの場で殺される。違いますか?」
「……そいつはユリアスの偽者だ。本物は城にいる」
「それはアリッサ王女、貴方の理屈だ。それに、今のを聞いた後ろの方々はどう思われますかな?」
「……ふざけた茶番だ」
スノーを見る。
彼女は冷めた目で状況を傍観し続けていた。どうなるのか、どうすれば奴は満足するのか、そんな事は本人にも知った事ではないのだろう。
だが確実に、今の作り話の所為で、ユリアスを殺す理由が難しくなった。
歯軋りが鳴り止まない。
何もかもがふざけている。
こんなものはあってはならない。とんだ三文芝居だ。
誰が見ても嘘だとわかるような台本で、私は受け入れなければいけないのか。
『アリッサ。考え方を変えよう。ユリアスの有力な手足を潰せるんだ。またいつか、別の機会もあるだろう』
「…………もういい。何でも良い。何でもいいから――」
はやく殺させてくれ。
あのふざけた男を、一刻も早くぶっ壊したい。
ラックはやっと前進を再開した。
そして互いにとっての死線の一歩手前に入り込むと――
剣を握る拳から血が流れるほどに、怒りを溜め込んだ力を解放した。
「シ――――ッ!!!!」
奴の抜き身の剣を弾き飛ばし、同時に手首を丸ごと斬り落とす。反応する合間も無いまま返す手で顔面に向けて斬り上げ顎の骨を砕き斬る。最後に剣を逆手に持ち替え、押し倒しながら鎧の上から剣の切っ先を貫かせ、背中と地面を縫い合わせてやった。
まだだ。まだ足りない。この程度では全然、足りない。
(次は顔面を引きつかんで地面に叩きつけてやる。何度も何度も殴打して、その低俗な脳ミソをぶちまけろッ!)
そんな風に頭の中ではイメージするのに……やっぱり体は思うままに動かせず、私は貫かれた兵士の上に跨って、奴が死んでいく様を自由の利かない体で、ただ怒りを目で伝えるしか、できなかった。
「忠臣を気取ったつもりか? このクズが……」
「……あなたには、きっと弱者の心など、わからないでしょうな」
死に際の最後、奴はそう言い残して、勝ち誇った顔で死んでいった。




