精霊の呼名
することがないので、日課の筋トレをして時間を潰した。
やがてそれも終わってしまい、今度は学院の周辺をランニングをはじめる。
それすらも終えて休憩をしていると、やっと精霊が帰ってきた。
『おまたせ。いや、急いで帰ってきたけど、待った?』
「いえ、それほど」
『そっか。とりあえず今すぐはじめよう! 今から下級詐欺の魔法を説明するからな!』
「詐欺、ですか?」
また何か変な事をたくらんでいるらしい。
『今考えてるのは“アイスダガー”って魔法なんだけどな。できるか、できないかは試してから決めよう。それとネビルズって人に魔法を使ってもいいか許可を貰えないか?』
「わかった。――ネビルズさん。精霊が来たから始めるって。それからここで魔法を使っていいか聞いてる」
「ああ、大丈夫だよ。この実習室は頑丈に作られているからね。研究生たちが度々実験に使うくらいだ。耐久度は保証する」
精霊は『じゃあ早速説明する』と言いながら、私の体を操作して魔撃の溜めを使用した。
この状態で魔撃の溜めの画面を確認しながら作るのだとか。
『状態は剣型。重さは300gくらいに、大きさは……これは後で設定するか。威力を最大にしたいから強度を上げて――』
そうして精霊が設定して出来上がったのは、氷で作り上げたナイフ一本だった。
薄くて、丈夫で、軽い、でも握る柄がほとんどない短剣のようなナニか。
私の個人的な意見だが、明らかに失敗作のナイフだった。それに本来の魔法であるならば射出して飛ばす必要があるのだが、精霊はそれを用意しなかった。
『消費MP15に抑えるって結構しんどいな』
「どういう事ですか?」
一応、魔撃を変質させたり強化したりするのに、魔力を注ぎ込む量を増やすのは知っている。それを一定の量で押さえる理由とはなんなのだろうか。
『いや、下級魔法の括りでな。昼間に色々と魔法分野の開拓者に聞いたんだ。そしたらMP15以下が下級魔法として扱われる範囲で、下級しか扱えない場合はそれ以下じゃないと習得できないんだと。あ、ちなみに中級はMP50以下、それ以上が上級になるらしい。あと超級が存在するかもしれないって話もあるんだ――が、それは今どうでもいいか』
精霊は自分で話を切って、作った下級魔法の説明を始めた。
『とりあえず、これが威力特化で作ったアイスダガーだ』
「これで切りかかるのですか?」
『それも可能だけど、それなら魔力剣で十分だろう。だからこれは、投擲に使うんだ』
「投擲……投げるのですか」
それで射出設定をしなかったのか。それらに使う分の魔力を威力に回して、下級の領域を超えた破壊力を生み出す、というのが今回の試みらしい。
『ステータスを見る限り、スノーは器用だし、筋力も伸ばしてきた。短剣術にはナイフの投擲技術も含まれるらしいからピッタリだ。その場で適当な的とかあるか?』
「少々お待ちを――ネビルズさん、試しに魔法を使いたいのですが、標的などはありますか?」
「もう調整はいいのかな? それならそこの黒板で大丈夫だよ。下級魔法くらいじゃあ、ビクともしない結界が張ってあるからね」
それでは遠慮なく、という事で、黒板のど真ん中を狙って投げることにした。
氷の短剣を手に取ると、自分でも不思議なくらい手に馴染んだ。柄の部分をつまむように持ち、縦に回転を加えて軽く投げる。
緊張は無かった。むしろ、こうすると標的に刺さると直感で理解していた。
氷刃は思った場所からやや左にずれて、黒板を易々と突き刺し、貫通した周囲を凍結させた。
「なんと……下級魔法で、中級の結界を貫き破りましたか」
ネビルズさんは驚いているが、私はそれほど満足しなかった。
思ったよりも地味だな、という事くらいだった。威力があるとは言っても、この程度なのか、と。
精霊は驚きも落胆もなく、出来上がった魔法に少々修正を加えると告げて、もう何度か同じことを繰り返した。主に重さと刃の長さ、それと投げた時の指の掛かり具合なども気にしていた。
ちなみに私の現在の魔力量は110らしい。その中で消費魔力15のアイスダガーは初めこそ疲れはしなかったが、二度三度繰り返す度に倦怠感が増してきた。
5回目だと、もうそろそろ疲れてきたと思っていると、精霊から完成したと告げた。
『スノー。最後に調整したアイスダガーをオリジナル魔法として習得してくれ』
「わかりました」
疲れてはいたが、この疲れは肉体疲労のモノではない。魔力が体の中から抜けた虚脱感からくるものだ。しばらく深呼吸していればすぐに元に戻る。
用意されたスクロールに字を走らせながら、黙々と魔法の設定を書いていく。
魔法陣などは必要ではなく、最後に血判をして、書いた文字全てに魔力を通せば完成する。
『よし、スノー。成功だ。“アイスダガー”、消費MP15。Lv1だ。レベルを上げる毎に強化項目を選択できるから、ナイフの出現数を増やして、そのうち百本同時投げとかするぞ!』
「……どうやってそれだけの数を投げるんですか」
『……後々射出の分野でも解放するか?』
「ただの思い付きなのですね」
とりあえずこれでオリジナル魔法の習得は完了だ。精霊の願う所を一つ無事に叶えた事で、ちょっとした安堵を得られた。
すると精霊から骨を小気味よく鳴らす音が聞こえてきた。
『よし、練習は終わりだ。もう一個作るぞ!』
「……え?」
スノー 魔法習得状態
魔撃《属性:氷・魔》
下級魔法《属性:氷・魔》
アイスダガー 《氷》Lv1 new
アイシクルタワー《氷》Lv1 new
結局、あれからもう一つ、オリジナル魔法を創った。自分の目の前に自分と同じ背丈の氷柱を一本だけ出現させる魔法だ。攻撃も防御もこなせる設置技、らしい。これも消費MP15だ。私の魔力保有量の成長が高いので問題ないらしいが、少し心配でもある。
それに、覚えたはずのアイスニードルを「枠の邪魔だから忘れてくれ」と言われた。ちなみに魔法を失う方法はちゃんとあって、失伝書という紙を使って、魔法破棄の承諾を受けると実行できた。
『おお、もうすっかり遅くなったな……』
精霊が何の感慨もなく、呟いていた。
実習室の窓はすでに真っ暗で、学院の廊下も人気はなく、静かなモノだった。
ネビルズさんも最後まで付き合ってくれて、出口まで案内してくれているところだ。
「今日はありがとうございます」
「いえいえ、私も勉強させていただきました。魔法使いにも体力が必要だという事例が増えましたしね」
多分、休憩中の筋トレとランニングの事を言っているんだろう。まあ、あった方が良いとは思うけど、たぶん必須ではない。
「スノーさんなら、きっと中級魔法などすぐに到達される事でしょう」
「はぁ……。そうでしょうか?」
「次回、魔法学院にお越しの際も私をお呼びください。すぐに取り計らいますので」
ネビルズさんは微笑んだ後、握手を求めるように手を伸ばしてきた。
なんとなく、その手を握り返すのが億劫だった。たぶん、午前中の一件の所為だ。
普通のエルフではないと悟られたことが、自分の中で尾を引いているのだろう。
でも、色々と良くしてもらったのに変な態度を取るのも失礼だ。内心を悟られないように、なんとも思っていないと心に念じながら、手を握り返した。
「……どうぞ、よろしくお願いします」
そうして、魔法学院を後にした。
妙な気分だ。今日はどうも気分が落ち着かない。
浮かんだり、沈んだり、焦ったり。
これは、何が原因なのだろう。
『スノー? スノーさん?』
精霊が先程とは態度を変えて、何か戸惑うような声をしていた。
「はい、はい。なんでしょう?」
名前を呼ばれた分だけ返事をする。特に意味はない。
『あのー、昨日からなんですが、なんか、こう……悩み、とか? こう、思ってることがあるんじゃないかと?』
返事をする事ができなかった。
悩みと言われても、悩む事なんかないはずだと思うのに、完全に否定しきれない邪魔な物が、ずっと脳裏を占拠している。
これを表現するならば、この感情は――
「不愉快です」
『う、うん? えっと、俺が?』
「いえ、いいえ。違います。ただ、何かがうまくいかない。かみ合わない。釈然としないんです」
『理由とかわかるか?』
「……わかりません」
どうして、こうも疎ましく思うのだろう。何がイラついてしまうのか。
「精霊さんは、理由もわからずに、ただ腹の立つ経験ってありますか?」
『…………俺、男の子だからちょっとそっちの話は同性同士でお願いします』
「そっちの話ではありません」
『ああ、まだきてない?』
「……二度と口、利きませんよ」
今のは不愉快というか、単純にむかっ腹に来た。それが効いたのか、精霊は溜息を一つ吐くと、いつもと違って真面目な声をしていた。
『悪かった。えっとな、悪いが俺はカウンセラーやお助けコールセンターの人間じゃあないから、スノーのそういう葛藤とか、苛々する感情の正体は、残念ながらわからない』
「……また、私の知らない言葉」
『ああ、すまん。……えっと、どの辺り?』
「かうんせらー、こーるせんたー。なにそれ?」
『……もしかして、こういう事にイラついてる?』
「……そう、かも?」
自分でもわからない。言葉の意味がわからない事への怒りなのか、それとも、私の精霊が他の誰かと何かを共有しているのが、悔しいからなのか……。
「……。くやしい、から」
『なにが?』
何が、だろう。
「……名前……。アゲイルも、アリッサも、自分の精霊の事を、名前で呼んでた」
アゲイルは“マダオ”と。
アリッサは“ラック”と。
なのに、自分だけまだ“精霊”と呼んでいる。
彼等が自分達よりも仲が良さそうなのが、悔しい。
自分が、今一番親しいと思っていた存在が、他の誰かと話している時の方が、より楽しそうだったのが悔しい。
私には、この精霊ゼタしか、頼れる存在も、心を打ち明ける存在も、いないのに。
『……嫉妬?』
「うるさいです」
『あー、うん。あれか。嫉妬って美味しいよな』
「美味しいんですか?」
『そうそう、海苔を巻いて醤油つけて食べると美味いんだ――て、そりゃ焼餅だろうが! ……はい、すんません、つい空気に耐えられず……』
「そもそもヤキモチという存在がわかりません」
まったく意味がわからない。わからない話で盛り上がられるのは、つらかった。
『……というか、呼びたかったら呼んでいいよ。ただ、ゼタって名前、昔のスノーの名前だから嫌かもしれないけど』
「嫌ではないですが、確かに違和感はありますね」
『だよなあ。……じゃあ、あれだ。特別に善太郎って呼んでいいよ』
「ぜんたろう?」
『俺の本当の名前。ゼタってのは偽名みたいなものでな、ネット――そっちの世界で名前晒すと不味いからさ、だから人前で善太郎って呼ぶのはやめてね』
「……ぜんたろう……なるほど、理解しました。では人前の時はいつも通り“精霊ゼタ”、二人っきりの時は“ゼンタロウ”で」
『ほいほい。くれぐれも気をつけてね。あと、あれだ。精神的に拗れてきたと思ったら誰かに相談しろよ。特に同性がいい』
「なぜですか?」
『男と女で精神構造が違うから。男女で分かり合えない部分がある』
まるで精霊にも男女がいるかのようだ。もともとゼンタロウは男みたいなところはあったけど。
しかし、相談か。同性。……心当たりはアリッサしかいないが、正直、私はあの人が苦手だ。
……怖そうだから。