なくなる前にもう一度見たかった、なんてよくある話
夕暮れ時の帰路の途中、電動自転車で坂道を難なく駆け上がっていくのは気分がいい。
既にコンビニで例の物は購入済。どうやら今夜は無事にお楽しみを期待できそうだ。
本当に今日は色々あった。朝は最悪の気分だったが、終わってしまえばなんてことない、気楽なもんさ。我ながら、よくもまあ連中を許せる気になれたものだ。
そのお陰だろうが、精霊であるプレイヤーの体にも身体能力の向上が見られる新発見もした。
既に自分が魔力を保有していることから魔法が使えるかもしれないとは考えていたが、まさか腕力の方面でも手に入れていたとはな。
だが多くの疑問が残っている。
俺が魔銃を使った時に魔属性の反応が現れたのは、スノーのプレイヤーだからだと考えられる。同じく、ダイスが魔銃を暴発させた時に出たのが雷だったのもティンの最も得意な魔法属性が雷だからだ。
きっとダイスの身体能力の向上も同じ理屈だと思われる。奴が本当に格闘技未経験者なら、ティンの得意技である近接格闘技から影響を受けたのだと。
ならば俺の怪力化した指も同じくスノーの影響なのか、と予想するのは非常に疑問だ。
スノーはパワータイプではない。スピードと小技、そして魔法を駆使して戦うタイプだ。怪力というワードには程遠い。
何か判断材料を間違えているのか、それとも足りないのか。予想される候補がいくつかあるので、今はまだ確信が得られない。
でも、俺が今一番疑っているのが『レベルアップ』の概念だ。
あまり思い出すのはいい気分ではないが……俺は異世界の男を一人、殺した。
サモルドではプレイヤーキルをした場合、相手の保有するスコアを入手できる。同様に、オートマタ以外の種族であれば経験値もいくらか貰える。
今回、俺達が殺したあの男は大よそレベル50以上、60未満。トドメを刺したのは自分ではなくスノーだけれど、十二分に加担したのだから配分はあってしかるべきだろう。
ちなみにプレイヤーキルなんてアンダーグラウンドな連中でもない限り、誰もやりたがらないしメリットも少ない。むしろデメリットが目立つ。
普通に考えればわかるが、プレイヤーからもヘイトを稼ぐのでネット側で指名手配されるから誰も進んでやらない。そもそも弱いヤツなんかPKしても割に合う数字じゃあない。狙われるのはそれ相応に強くて育っているキャラくらいだ。
まあ細かい話はともかく、少なくとも俺はあの一件で『経験値』を得たことになっているはずだ。そうすると、もしかしたら自分が気付いていないだけでレベルアップを果たしていたのかもしれない。
その結果、パッシブスキルとして怪力を得たのだとしたら納得もいく。
それを調べるには、俺も異世界へ行って魔物を討伐すればいい。スノーにパワーレベリングしてもらえばすぐに結果は知れる。
……しばらくはサモルドの研究は自己強化の可能性について調査してみるか。無論、スノーにも協力してもらうつもりだ。
それに一人で戦わせるより、今度から二人で戦った方が色々といいハズだ。戦力的には俺が足手まといになってしまいそうだが、一緒に前線にいる方がまだフェアだ。
さてと、まじめな思考もそろそろ終わりにしよう。今宵は大事な夜が待っているのだからな。
婆様の屋敷の門を抜けるといつもの女中さんがやってくる。それを軽く挨拶するだけで倉へと向かう。
いつもと変わらない行為だが、心の中では既に湯気を立てて熱いパトスがほとばしっていた。
電動自転車を押す手がちょっとだけ熱を持っている気さえしてくる。この熱い手が今宵、スノーとムフフな夜へと誘ってくれるのであろう。なんでもいうことを聞いてくれるという約束は「今夜のことは全て忘れろ」で何もかも帳消しさ。
しかも大チャンスとして、スノーが性欲に目覚めてしまえば今後ともよろしくな展開もありうる。なぁに、人は忘れろと言われると、むしろ積極的に意識してしまうものさ。なにせ忘れようとする為に強く認知してしまうのだからな。忘却したい対称の存在が大きければ大きいほど、記憶は更に強く刻まれる。
いやはや、我ながら楽しみでたまらんなぁ。
随分と姑息な手を使っていると自覚はあるが、性欲の為なら使える手札は存分に使わんとな。そればっかりは俺は鬼にでも悪魔にでもなるぜ。なんなら豚のようになっても構わん。プライドなどどこへやら、だ。
とりあえず身支度を済ませるために自分の住処である倉の二階へと目指す。何をするにしてもまずはそこからだ。
倉に入ってみると二階の方からパソコンが動いている音が聞こえてきた。スノーにネットサーフィンを教えたのが切っ掛けで、以前にも増してパソコンに触れる機会が多くなった。別に教えても問題ないと軽く思っていたが、まあ、その、なんだ。この時ばかりは迂闊なことをするもんじゃあないと考え改めた。
電動自転車を片隅に置くと、すぐさまハシゴを使って二階に上がる。スノーがパソコンの椅子にちょこんと座っている光景が見えた時までは、俺の股座のジョニーは元気なものだった。
ただし、二階の床に足が着いた途端に、元気なジョニーは元気さを失った。
周囲を見渡すと映画のディスクケースなどが散乱しており、なんだったら秘蔵の『フルハ○ス・コンプリートDVDBOX』まで棚から出されていた。スノーであろうとも、まさか一日で全てのDVDを視聴できるわけがない。だとしたらこの有様はどういうわけだ。
しかしその疑問も時期に解ける。コレが、俺のパスワード解析に使われたのだということを……。
「おい、スノー。どうしたんだ。こんなに散らかして」
スノーに返事はない。寝ているのかと一瞬疑ったが、寝ている風には見えない。常に痙攣しているというか、震えている。ワナワナと、溢れんばかりの力拳を作っているのを髣髴とさせるような、そんな背中に見えた。
その時になって、ようやく俺は自分のパソコンに電源が入っていることに気がついた。
「……スノー? なんで俺のパソコンで――」
そして二度目の呼びかけの最中だ。スノーが静かに振り返りながら、こちらに顔を向けた。その表情は、きっと今夜の夢にでも出そうなほどに、肝を圧迫してくるような強烈な作り笑いをしていた。
そして振り返り様に、スノーの体でよく見えていなかった、とある画像フォルダが見えてしまったのだ。
秘蔵中の秘蔵。決してスノーがいる前では触れることすらなかった、一年間スノーを勝手に撮り続けていた思い出の数々。上二つのアレが見えてるものから下が見えてる物まで、俺だけのお宝達。
そうしてやっと、俺はパスワードが破られたのだと気がついた。
「スノー……さぁん?」
「はぁい、ゼンタロウさん。おやおや、どうしたのでしょうか? そんな、今にも吐きそうな顔をして」
ゆっくりと、スノーは満面の笑みを見せ付けて椅子から立ち上がる。目の端を痙攣させて……口角を引きつらせながらニッコリと。
まずい。非常に不味い。俺の股間のジョニーがギロチンにでも落とされる幻覚を覚えるくらいに、今のスノーは危険だった。下手を打てば、俺はきっと、今夜を生きては越えられまい。
もはやピンク色の気分など当に消え失せた。ついでに言うなら股の間でスタンディング状態だったジョニーは一目散に逃げ帰った。今は皮を被っていた幼い頃と同じ大きさにまで逆行し、今にも『タスケテーママー』なんて叫びながら小便と言う名の涙を流しそうでいる。漏れたら一大事だ。
考えろ、考えるんだ俺。どうにかしてこのピンチを脱する方法を、スノーを落ち着かせて円満に解決する方法を導き出さなければ――俺の人生はココで終わる!
スノーが音もなく、たった一歩だけだったが俺に向かって歩を進めた。無意識に暗殺術の歩方を出しているのだから、秒後には頭と胴体が離れ離れになってしまうかもしれない……なんて想像してしまった。
「スノー、とりあえず対話の席を設けよう」
咄嗟だが、まずは場所を変えて一度仕切りなおす作戦だ。悪い流れを一度切ってやらねば本当に勢いで殺されかねない。しかし――
「結構です」
「……なに?」
「善太郎の口車には乗りません。そもそも対話する必要がありますか?」
ダメだった。
そもそも対話するという選択肢がなかった。
いや、わかっている。スノーの頭の中では悪いのは俺だ。俺の言葉にいちいち耳を傾けたくもなかろう。
「さあ、善太郎。わかってますよね? 今ならまだ傷は浅いままで済みますよ?」
「……な、何の話だ?」
「コレを消せ」
それは要望でも要求でもでもない、ただの命令だった。
あまりにも強い言葉だった。スノーの言葉とは思えないほどの乱暴さに息が詰まっちまった。
反論も弁解もさせないという態度に、俺は何もできないのだと諦めるしかなかった。
俺は抵抗する手段もなく、銃を突きつけられ誘導される人質のように自分のパソコンの椅子に座らされた。
ボールマウスに触れる手が、今日ほど嫌だと思ったことはない。
このままでは本当に、スノーと共に(一方的に)築き上げてきた宝の山を、無に返さなくてはならなくなる。それだけは嫌だ。この身がたとえ百本の刃に貫かれようと、これだけは守り通したい。たとえ、スノーにウソを吐いてでもな!
……そうだ。いいじゃあないか。逆に考えよう、言う通りにしてやればいいってさ。
「どうしましたか? さあ、はやくしてください」
「お前に俺の気持ちがわかるか? 人が長い月日、苦労して集めてきたお宝を、自分の手で捨てるというこの悲しみが!?」
「わかりません、わかりたくありません」
少しくらいは抵抗しておかないとウソ臭くなるから演技で見せかけているが、本当は何も問題はない。
スノーはまだ知らないだろう。俺専用機のデータは全て、バックアップデータとして外付けハードディスクに収まっている。目の前のコレがなくなったところで、また閲覧は可能、だ!
次の瞬間、さながら断腸の思いでデリートをするように、恐怖を覚えながら一思いに消してみせた。なんだったら歯を食い縛り、その後欠伸をするように口を少し開く。そうやって涙腺を意図的に刺激して、涙まで出してやった。ここまですればウソだとは思うまい。
そして最後に、敗北宣言をしてみせる。
「ひでぇ、あんまりだ……コレが人のすることかよ」
我ながら実に完璧な演技だった。
「……善太郎。嘘泣きが上手いですね」
が、耳を疑う言葉が聞こえてきた。気のせいだったと信じたい。
振り返って確かめてみると、そこには合いも変わらず、ゴミ虫でも見下ろすスノーの顔があった。
「私の眼……『真の心眼』でしたか。戦闘以外で使うことはなかったのですが、善太郎からは何か企んでいる時の色をしていますよ。まるで、嘘をついているみたいに」
心の防波堤が一瞬にして崩壊した。咄嗟に誤魔化さなくてはいけないのに言葉が思いつかない。冷たい汗が一向に止まらない。
「そして、意識がそちらの小さな箱に向いていますね」
小さな箱、と指差したそれは、今もっともスノーに存在を知られたくない機器……お宝の避難場所だった。
その時の動揺がスノーにはお見通しだったのか、そこからは止める隙もなかった。
ハードディスクに、透き通るような氷の刃が飛んで来た。その瞬間、気が狂った。
「Noooooooo!!!」
「どうやら、アタリですね」
「う、うそっだああああッ!? ああぁッ……ああああ、あ、あああッ……あっはぁあああッ」
うそだ嘘だウソだ、嘘だといってよバ○ニー。こんな、こんな残酷なことってあるかい。だって、もう、この世にはあの夢のようなお宝達が存在しないんだよ? 俺しか持っていない、俺だけの、一生モノの御宝だったんですよ。それを……。それを……。
「い、いやだ……う、うそだぁ……こ、こんな……」
ハードディスクが幾らしたとか、バックアップをしなおさなきゃとか、今はそんなことはどうだっていい。
ただただ、この無念だけが復讐に塗り換わっていくだけだ。
「……許せん」
この小娘、どうやって裸にひん剝いて土下座させてやろうかってなもんだ。