一日の休息を得る
松葉宅での一件の後、何事もなかったように裏口から出て行った。警察官がパトカーに乗ってが巡回していたが、そこはスノーの感知能力に頼って遭遇は回避したので、たぶん誰にも見つかってはいないだろう。
松葉家の遺体に関しては、いずれ何らかの形で誰かが不審に思って調べにくるだろう。申し訳程度に合掌だけして、一切触れることなく去ることにした。当然、自宅にも顔を出すこともなく、誰とも会うことすらなく、電車に乗って真っ直ぐに祖母の屋敷に向かい、帰ってくることができた。
あとは用意されていた飯でも食って、風呂に入って、毛布にでも包まって……寝付きも悪いまま朝を迎えた。
その日はなんだか前日の倦怠感が抜け切れず、ただダラダラとスノーと一緒に過ごし、昼まで無為を繰り返していたら急に聖が部屋にやってきて色々と説明を求められた。そういえば終わったらちゃんと説明すると説得したのをその時になって思い出した。それがその日、初めてまともに頭を動かした事柄だった。
今は丁寧に説明するような気分ではなかった。だから信じてもらえないことを前提で、大筋を大雑把に説明して済ませてしまった。
正直、この判断は失敗だと後から思えた。何せ聖のことだ。きっと何時ものようにぶっきらぼうな顔で怒りあらわにするだろう。だがどうしてなのか、その時の聖は俺の態度とは裏腹にすごく真摯に話を聞いていた。
「じゃあ、その異世界ってのに連れて行ってくれたら信じる」
などと言い出したので、話の流れで連れて行くことが決まってしまった。だが今日中はさすがに嫌だったので、準備に一日欲しいと言ってその場から逃げた。
とにかく、その日は一日無駄に過ごした。そうやって、心の整理を付けるって手もあるだろう。
そんなダラダラと過ごした次の日になったのだが、今日も今日とて一向にやる気が出なかった。さすがに自分の心が腐り始めていると考えたので自分の心に鞭打つつもりで動き出すことにした。
気分が乗らないからと何時までもウダウダしていても仕方がない。それに警察が小田の遺体を預かっておくのも長くても二日。明日にはきっと葬儀も始まるだろう。そうなると、自由な時間も取れなくなる。
今日は聖を異世界に連れて行くという約束もあるし、なんだったら今回の事案で最後まで残っている、この非常に重たい問題を解決せねばなるまい。
机の上に置きっぱなしの自分のではない携帯を手に取った。
本来なら、これは小田の遺品であるのだから、母親にでも渡すべきものだろうが、勝手な判断ではあるけれど、これはそういう簡単な話ではないはずだ。
「スノー、準備してくれ。アゲイルと会いたい」
「わかりました」
小田から渡されたアゲイルのデータ。
俺が扱うのはあまりにも気が進まないのだが……頼むと言われたのだからどうにかしなくてはならない。でも、まずはアゲイルの意志を確認するのが先だと思う。
ちなみに、小田の仇討ちに関しては俺とスノーで片付けると先にアゲイルには断っておいた。アゲイルには悪いが、この件は自分の手で決着をつけたかった、という希望があったからだ。まあ、それは多くの事情を知らないアゲイルも同じだったかもしれないが……。
ただ感情的な理屈以外にも、アゲイルが今回の件には関われない理由はあった。それはアゲイルが地球という世界に慣れていなかったことだ。
スノーでも約一ヶ月近くの時間を要して、日本の生活に順応できるようになったのだ。それなのに突然アゲイルを連れて行っても、きっと余計な手間が増えたはずだ。
だからアゲイルの同行は遠慮してもらい、結果を必ず伝えると約束を取り付けた。
一日休んだのだ。そろそろアゲイルも気になっているだろう。先に報告をして、それが終わったら、これからのことを話し合うべきか。……これだと、聖の方がついでみたいだな。まあ仕方がないか。
携帯のアプリを利用してアゲイルと連絡を取り、ヒュードラ山脈の隠れ村に来てもらえるように頼んでおいた。すると『すぐに向かう』と即答してくれた。こうなると一日待たせてしまったのが余計に申し訳なく思えてくる。
気が緩んでいる自分に対して『心に贅肉が付いた』などという言葉が浮かんだが、俺はいったいどこの軍人なのだ。……だがそれくらいの気構えがないと、今後はまずいのかもしれないという危機感もある。
心の贅肉といえば……小田の言うとおり、パスワードは携帯ケースの内側に小さなメモが張られていた。ただしそこには他のゲームのアカウントIDと引継ぎパスコードも同じく書かれていた。まるで『死んだ友人のアカウントを使って遊べるのではないか?』という自分でも嫌になる考えが過ぎり、試されているような気持ちになった。
まったく、とんでもない罠だ。悪魔の誘いにしか思えなかった。気持ちに余裕が生まれた今だから思いつくことだけどさ。
あと、これはどうでもいい話なのだが、そのパスワードのメモと一緒に古いプリクラだろうか。何度か剥がしたり付け直したりしたような、とても古くて色あせた写真が紛れていた。
そこには子供の頃の小田と思わしき子供と、小田の肩を掴んで笑う同い年くらいの女の子が写っていた。こういうのを大事に仕舞っておくのは初恋の相手とか邪推してしまうのだけれど。
「……たく、よ。これの存在を忘れてたんじゃあないのか、あいつ。恥かしいヤツだな」
だけどこんな女の子、小田の知り合いに居たかな? などと疑問も湧いたが……詮索はやめておこう。どうせ考えても仕方のないことだ。