撤退の後始末にて……
松葉の携帯を消失させると同時に、奴の紋章陣が消えていった。
単なる思い付きというか、もしかしたら――という根拠のない推測だったのだが……。
これがどういったことを意味するのかと言われれば、それは後々考えよう。一つだけハッキリしたことは、もしかしたらパソコンよりも、今後は携帯電話の重要性が高いかもしれないってことだ。
それから奴の紋章陣についてだか、特に特筆するようなデザインではなかった。俺の使っている雪月花の紋章とは全く違っていて、サモンズワールドのロゴにも似た紋章だった。……単なる五芒星のアレンジ版みたいなチープな奴だ。
これ等の差はどんな理由があるのかは依然として不明だが、そういった考察は後にしよう。もうココでするべきことは全てやったと思いたいところだ。いい加減、頭が重い。
正直、これでよかったのかどうか……胸の内のざわつきが収まることはない。それでも、今は「良し」と思うしかない。俺はどっちも選んだのだ。許しも罰も、奴には両方与えた。
だからどっちも背負った気になって、それで納得していくしか有るまい。
それが今の自分の限界だ。……アイツの葬式でそれを愚痴に黙祷してやる。今決めた。
「お疲れ様です、ゼン太郎」
「……いや、疲れてはないよ。どころか、そりゃあこっちの台詞だ。俺の厄介事に手を貸してくれてありがとうな」
「それは構いません。私が頼って欲しかったのですから」
そう言うと、彼女の表情がこの場には不相応ではあったが、少しだけ綻んだ。でも不思議と、その顔に見惚れて安心してしまう自分もいた。
まあ、なんだ。これで終わった、というコトでいいんだろう。ま、終わったと思った後が一番油断するのだから、むしろ気を張らなければならないのだけれど……。
慣れないことして疲れたんだ。今回ばかりは少しくらい大目に見ることにした。
「さ、早く後始末をしていきましょう。この場の空気は長居したくありません」
「全くだ。臭いし、雰囲気も悪いし、さっさと御家に帰りたいな」
「それで美味しいごはんでも食べましょう」
「そりゃあ名案だ。温かいシチューでも作って、一緒にお風呂でも入って、同じベットで朝陽を浴びたいもんだ」
「……しれっと何を言ってるんですか。しませんよ、絶対に」
などと至極どうでもいい会話でもしつつ、棚に置かれていた香炉の形をした小さなツボを手に取った。
ずっと気にはなっていたのだが、やっとこれに触れられる。紫色の煙を発して、ドライアイスのように下方に煙を下に向かって発していた。
「スノー。魔力の発生源はこれか?」
「ええ、間違いありません」
蓋を取って中を覗いてみると、怪しく輝く宝石があった。その下には熱を発しているかの様に見える燈色の魔法陣と文字が描かれている。メロンソーダもよく使っていた「魔香炉」という奴だろう。
ただしこの魔香炉。滅多に確認されないアイテムのクセに一定空間の魔素濃度を上げるだけの効果で、消耗には魔石だとか魔宝石だとかを使う、割とコスパの悪い品でもある。個人的にはただの世界感を深める為のフレーバーアイテム程度の存在としか捉えていなかった。だがマナだとか魔素のない地球で使われると、十分に効果的でもあるらしい。その辺の考え方は改めねばならないだろう。
「……一応、異世界の品は回収しておくか」
とりあえず、こちらにストックとして運び込んだであろう魔宝石だとか武器の類は回収した。ジェノバの死体もスノーに頼んで骨も残さず消し去ってもらった。ひとまずはこれで大丈夫だろう。
それで部屋を出る時になって、再び目の前の魔物の死体を見つけて、思い出した。
「コイツはどうするか……」
「処理しますか?」
「……どうするか。放置してもいいんだが、ゾンビ化して再び暴れまわったら……なんてことになったら俺も責任を感じるし」
色々と想像してみる。放置して、その内に誰かを遣って発見させ、異世界の存在を徐々に世間に認知させて、大勢に危機を感じてもらうとか。
だがそれだと、自分が思った以上の大事になり、今度は情勢のコントロールが利かなくなってしまうかもしれない。その内、俺が逮捕されちゃう……なんてことにもなるかもしれない。
無論、今回の件で逮捕されるとか捕まるとか、そういう可能性があるとは自分でもわかってる。
人一人をこの世から消したのだ。当然ありえることだ。
それに人間の遺伝子情報は簡単にそこに残ってしまう。例えば指紋、それに髪の毛なんて簡単に抜け落ちる。靴裏の土がどこの地域の土なのかも、その気になればヒントはいくらでも残してしまうだろう。
警察から本気で疑われたら、この部屋にあった事柄に関して、辻風善太郎という人間は間違いなく問われることになるだろう。
もっとも、俺には前科もないし、簡単にデータとして検索される恐れもないだろうけど。
しかしこの状況、他人が見たらどう思うのだろうか。
戯言程度に、第三者である何某かがこの部屋を訪れた時の事を予測してみる。
例えば親が帰ってきた後、警察を呼ぶとする。魔物を発見して、この部屋にいたとされる松葉真吾は消え、外側から襲ってきた魔物に食い殺された、とか? この魔物はなんなのだ、という記事が明日の朝刊に載ったりでもするのだろうか。「日本にUMA現る!」とか、三流オカルト雑誌でしか見ない記事が見られそうだな。
「……うん? いや、ちょっと待てよ」
なにか、変だ。
部屋に戻ってあたりを見渡してみた。次に部屋の扉のあった場所を眺めてみる。
すると、どうにも違和感があった。
「どうかしましたか?」
「なあ、スノー。この魔物、どこから出てきたと思う?」
「……そういえば確か、地球には魔物はいないのでしたね。先ほどの紋章陣から転移してきたのではないでしょうか?」
「……その転移する紋章陣はこの部屋にあった。でもこの魔物は部屋の外から訪れたように見えるんだが、不自然じゃあないか?」
まるでこの部屋ではない別の場所から訪れたようではないか。
いや、考えが足りなかった。
部屋を出て、階段を注意してみると、階段の角の部分に魔物の死体と同じ緑色の色素が残っていた。下から来たのだろうことは簡単にわかった。それを追って下へと行くと、玄関の方角ではなく、どうやら居間の方へと繋がっていた。
その先の扉は開きっぱなしで、少しばかり不気味だった。
別に他人の家の習慣に口出しするつもりもないが、普通は閉めておくだろう。
途端に、松葉を相手にしていた時とは全く別の次元の嫌な予感を感じながら、居間の方角へと歩を進めて居間に侵入した。すると、不快感を催す臭いが強まってきた。昨日は晴れていた。まだ春先とはいえ、日中の気温もそこそこ上がったことだろう。部屋が密室ならば、そこで発生した匂いはきっと充満しているはずだ。
床には血溜りと損傷の激しそうな死体が……一人か、たぶん二人分があった。バラバラで食い荒らされた具合で残っていた。現実にこんなのを見るなんて冗談だと思いたかった。
「これは、魔物の仕業……みたいですね。上のアレが犯人でしょうか」
「ああ、それは間違いないだろう」
だけど、問題はそこじゃあない。この死体が何者だとか、何人だとか、そこはたぶん重要じゃあない。
居間の隣りに、和室に介護用のベットがあった。誰かここにいたのだろうと思うけれど、そこには何も残っていなかった。死体も、血の痕も、どちらもない。まるで独りでにそのベットから這い出たみたいに、布団も捲れて、いなくなっていたのだ。
そこまでわかると、もう誰かが帰ってくるとかそういう心配も気にしなくなり、今度は玄関に向かって靴を調べた。
玄関に残った靴は一般男性が使うような革靴に、女性の穿きそうな赤いパンプス。それから男子学生が穿いていそうなスポーツシューズ。ほかにスリッパだとかサンダルだとか色々あるが、さらに靴箱を調べると、古くてカビ臭い色合いのローファーなどを見つけた。
性格やこだわり、色んな傾向を考える限りだと、この家にはどうやら4人いたはずなのだ。
父親と思われる男。母親と思われる女。引き篭もりで年頃の子供。――それから、自宅介護を受けていたであろう老婆。
そしたら、後はもうそれを調べるしかなくなった。
再び二階へ上がって、スノーと一緒になって魔物の死体をひっくり返した。
「っ……。この、顔はいったい……」
「おいおい。なんなんだ」
表皮は緑色で、肢体はひも状のような見た目のモンスターで、骨など存在していないかのような印象を受ける。顔に当たる部分だって、まるで木彫りの仮面みたいだし、トレントなどの植物系の魔物とでも言えば納得がいく造形であった。
だけど、その口には人の歯がある。目元の形までわかる二つの穴に、その人間の鼻の形だってわかる。
オマケに頭部には髪留めのような物体が膨れ上がった肉体の一部に埋まったようにそこに隠れていた。
「どういうことですか。これは……?」
「俺にもわからん……」
わからないけど、何かやばそうなことが起きたことだけは理解できた。単なる状況証拠から勝手に想像した、あるいは妄想でしかないのかもしれない。そんなバカなと思うほかない。
だが、どうやっても俺には、この魔物が元は人間だったのではないかと予想してしまう。
それを考えると、腸の辺りがキュッと締まる感覚が更に強まった。
「……この死体――いや、遺体を放置しておくのはやばそうだ。スノー。コイツは……異世界に送ろう」
遺体を調べるにしろ、埋葬するにしても、地球ではやめた方がいいだろう。そうしないと駄目な予感がしたのだ。
外れてたら外れてたでいい。むしろ、そっちの方がいい。
なにが切っ掛けで“人間”が“魔物”になっただなんて、全く見当も付かないんだからな。