決断③
この場にいたスノー以外の全員が呼吸を忘れて声を出せなかった。
ジェノバは悲鳴を上げることはなく、どころかこの世のモノとも知れない存在でも見たような表情を浮かべながら後方へ跳ねた。
それを追撃とばかりにスノーが喰らい付くと、間髪いれずにジェノバの最後の得物を消し飛ばそうとフォール・ヘイズを発動した左手を突き出した。
ジェノバが体を捻じることで大げさに回避すると、体勢を完全に崩しながら横へと転がって壁に背中を付け、スノーを忌々しい目で見上げていた。
まるで命懸けの鬼ごっこでも見ているみたいだった。
当然、ジェノバが子で、スノーが鬼だ。
それでもジェノバは未だに戦意は喪失していないのか、残った右手で得物を強く握り、命乞いだけは口にしなかった。
『……降参は、しないのですね』
『誰がテメエみてえな子ザルに乞うかよ。それなら、死んだ方がマシだぜ』
『――……よく、理解しました。馬鹿は死んでも治らない、というワケですね』
スノーが強く噛み締める様子で怒りを見せた。その一瞬の感情変化の隙間に滑り込ませるように、ジェノバが魔法を行使した。影の槍を三本、左右と上からの三方向からスノーに襲い掛かる。
それに対してスノーは迷うことなく、一直線上、最短距離を走りぬけた。このままでは間違いなくスノーが奴の懐に入り込み、必殺の攻撃を繰り出すことになるだろう。それは見ている側である俺でも理解できることで、恐らくジェノバ本人もわかっていることだろう。
これではジェノバが単なる犬死をするだけだと思われた。
だがこの局面で、ジェノバは絶体絶命の危機に歯を食い縛る様子もなく、むしろ目には生気を宿らせて、戦う男の目をしていた。
その瞬間に気が付いた。
「さがれ、罠だッ!」
『ッ――!?』
スノーは既に前傾姿勢になっており、今すぐに止まれる状態ではなかった。むしろあと一歩でジェノバの首に迫れるという位置にいた。
そんな場にあったスノーの姿が、どこかへ掻き消されるように消えてしまった。
その足元には、本だとか服が散らかっており、しかしほんの僅かに、紋章陣が放つ光りのサークルらしきものが見えていた。
やられた。ここが相手のフィールドだということを理解できていなかった。これだけモノが散らかっていて、足元の魔法陣の位置など、把握できているわけがなかった。足元が留守になっていた。
それにスノーが珍しく頭に血を上らせていたのも一つの原因だろう。
だが待て、と考える。
これでスノーを異世界に送ったとしても、ジェノバの危機が去るわけではない。転移で飛んだとしても、スノーのMPならばすぐに帰ってこれる。死ぬのがほんの少し遅れる程度の、そんな焼け石に水のような策でしかない。
ジェノバは右手で握ったナイフを得意げに振り、まるで高級グルメのご馳走でも目の前にしている様な顔で俺を捉えていた。
そうしてやっと、奴の狙いがわかった。
「俺かよ」
ああ、全く。なんだそりゃ、だ。
ジェノバはスノーではなく、何度か俺の方を狙っていた。きっと奴は自分ではスノーに敵わないと理解していたのだ。だから、敵わない相手ではなく、碌な戦闘経験もないであろう普通の人間を殺そうと、既に目標を決めていたのだ。とんだピエロを演じてくれたもんだ。
男が異世界の言葉で嬉しそうに喋っていた。
スノーがこの場にいないから、翻訳した言葉が聞き取れない。でも大方の予想はできる。どうせ、勝ち誇った様子で、自分が死ぬことを受け入れた上で、俺を殺してやれば十分だとでも言っているのだろう。
いい性格をしてる。口は悪いが、死を決して覚悟した者が成せる業というか、そういう前向きな狂気を感じた。こういう奴は覚悟の質が違う。……良くも悪くも、な。
奴が俺を見て笑っている。対して俺は、奴を前にどうすれば良いのかわからない顔をしていた。
後ろには壁、外への扉はすぐそこなのに、とても遠く感じる。何も持っていないし、床には汚いゴミくらいしかない。時間が経てばスノーが帰ってくる。間違いなく、奴は非力で抵抗のできない俺をその手に握ったナイフで命を奪いに来る。
その予想通りに、奴は飛び掛ってきた。腰を落として、ビクビク震えて死を待つしかないこの俺に、真っ直ぐに襲い掛かってくる。そう予測して、本当にその通りになって――――すごく安心した。
魔力を胸に隠したそれに注ぎ込む。その瞬間、自分の胸から直剣の刃が突き出た。
その出来事を理解する前に、ジェノバは自ら剣に貫かれ、なにが起きたのか未だに理解できない様子で、その場に立ち止まっていた。
「返すよ、お前の剣だろ――」
剣がジェノバに吸い寄せられたのか、それとも逆に、ジェノバが剣に吸い寄せられたのか。
胸から、スノー専用の雪月花の紋章陣を描いた紙を見せて、ネタ晴らしをした。
己の身は自分で守る。最初からそのつもりはしていた。
何度か紋章陣から出したり入れたりして、丁度突き出すように調節して収納しておいたのだ。自衛の手段くらい確保してなきゃあここまで大胆に自分の姿を出すわけがない。
「悪いが、俺はスノーみたいに優しくないんでな」
肉の殻に突き刺さった剣の柄を握ると、自分の意志で剣を男に刺したのかと今更ながらに実感したが、なんてことはない。手を血で汚す覚悟なら既に決めてきた。むしろ殺す気でココまで乗り込んできて、手に掛ける寸前になって恐怖するなど、ナンセンスだ。
そのまま、奴に止めを刺そうと剣を動かそうとすると、驚愕する光景が目の前にあった。
ジェノバは……胸を剣が貫通している状態であるのにも関わらず、剣の刃を掴んで抵抗してきた。どころか、そのまま更に歩を進めてきた。
予想外だった。どころか、なんて奴だ。その執念に圧されてゾクリと体のどこかが震えた。
この程度で精霊付きが死ぬと考えるなんて甘いのだと、今になって悟った。
『舐めたこと、しやがって……!! き、さまぁ、だけは、絶対に――ぶっ殺してやる――』
そう聞こえた時、ジェノバの胸から新に、黒い角の様な刃が肉を裂いて生えてきた。それも一瞬で、すぐに引き抜かれると、ジェノバの体が不自然に力を弱めて、床に崩れるように倒れた。
『殺す殺すと付き合いきれません。死ぬのは貴方だけで十分です』




