決断①
相手の精霊付きはこちらに気がついていたようだ。気配察知能力が優れているのだろう。何せ姿を隠す相手だ。隠密スキルなどを所持しているのだろう。……スノーはともかく、俺は心得もなにもないからな。
「バレちまったならしょうがないよな」
スノーには待機するように肩に手を乗せて、自分だけが前に出た。
大丈夫。ほんの数メートルの距離だ。それくらいならばスノーの援護には何の問題もない。それにどうやら相手の精霊付きは自律動作ではない様子だ。すぐに襲われることもないだろう。むしろ相手の精霊付きに同情さえ覚える。
壊れかけの扉を土足で蹴破って中の視界を確保すると、第一に思ったのが臭いだった。
クサい。なんと言うか気に入らない他人の体臭を閉じ込めたって感じの気に入らなさだった。それから匂いが視覚化でもされているのか、紫色の煙が漂っていた。その正体を確認すると『魔香炉』と思われるマジックアイテムが見えた。それがなんなのかは一先ず置いておこう。
それから部屋の面積を確認する。一人部屋にしてはそれなりに広いけれど、足の踏み場の見当たらなかった。ペットボトルの空ゴミだとか携帯ゲーム機だとかマンガだとかが散乱してて、腐ったような臭いもする。
唯一の安心できるスペースといえば、サモンズワールドの画面が見えるパソコン周辺の空間と、ベットの上くらいだろうか。ちなみに松葉本人だと思われる人物がいるのは、ベットの上だ。
そして今、奴は妖怪にでも遭遇したみたいな形相をして、奇声を上げながら手元に有った枕を投げてきたのだから「なんだコイツ」と思う他はなかった。反射的に腕で枕は打ち払ったが、本当に投げてきただけで危険性もなく、その行動の意図が全くわからなかった。
「……何のつもりだ?」
「――つ、つじかぜ? な、なんでキミがココに!?」
「会話ができないのか、お前」
きょとんとした様子の声に、俺の方が調子を崩されそうだった。
一度舌打ちをしてから松葉本人がどんな状態かと目を向けて……一瞥して眉を歪めた。
如何にも肥え太った家畜みたいな汚れっ面をしていた。学校で見た白黒写真とは面影は残っているが、丸みが全然違った。汚い髭に皮膚の汚れまみれの肌、しわくちゃの万年布団みてえな服を着て、首や腕、腹も贅肉だらけ。見るに耐えないって状態だった。
長く他人と会うことをやめてしまえばここまで醜くなれるものなのかと、反吐がでそうだ。
それからもう一人。
黒いローブに顔だけ出した青年ほどの見た目の男。ちゃんと顔を拝んだのはこれが初めてか。妙に見覚えがあるのだが、思い出せないのならばきっと他人の空似だろう。なに、どこにでもいそうな欧米人風の異世界の平均的な顔に見える。
それから体格は長身で筋肉質、戦士職向きだった。ロングソードを持っていたので、おそらくは隠密系戦士という按配で育てたのかもしれない。……闇魔法も使っていたから、本人的には闇の魔法剣士とか暗黒騎士なんかを目指していたのかもな。……などと想像したら、松葉とやらは性格まで臭い奴なのだと鼻で笑えた。
「な、なんだよ……いま、僕のことで笑ったのか?」
「ああ、気を悪くしたのなら悪かった。……あんまりにも気色が悪いんでな。ついつい態度にでちまった」
「……つ、じぃ、かぜぇ!!! そうやって、また僕を笑い者にするつもりかぁ!!?」
「だから謝ってんだろ」
「そんな態度で許すわけねえだろうが!!!」
松葉の言う“また”と言うのは知らないが、今のは悪いとは思う。別に俺はお前を怒らせようだなんて本気で思ってなかったんだからな。……だけど、こんな絵に描いたようなどうしようもねえ野郎が、小田を殺したとか思うとさ……本気で頭が痛くなるんだよ。我慢が利かなくなってくる。
そもそも『許す・許さない』の話をするのであれば、俺だってお前のことなんて許すつもりなんてない。そしたら、今度は歯軋りがなった。
このままではダメだ。納得もないまま、奴を殺しかねない。それは今回の趣旨から外れる。俺が無駄にここまで出張った意味が、本当の意味で無意味になる。だから今は目を閉じて、堪えようと努力した。
「マジでなんなんだよ、お前。もう少しまともな口は聞けねぇのかよ。お前、いったい幾つだよ。まるで五歳児みてえに叫んでばかりで――」
「うるさい! お前が――お前が全部悪いんだ! 全部お前のせいで僕は――!!!」
「人が喋ってる時に口開いてんじゃあねぇぞ!」
その辺に置いてあったゴミ箱を蹴飛ばしてやった。中のゴミが散乱して部屋を汚したが、そんなのこの場の誰も気にしていなかった。
いい加減、俺も我慢も限界だ。こんな下らない奴のせいで小田が死んだのかと思うと、正気が保てなくなる。人に優劣をつけるとしたら、目の前のクズなんかよりも小田の方が数十倍も生きている価値があった。
だのにこの野郎は、何でもかんでも人の所為とばかりに全部『お前が』と同じことを抜かしやがる。
また馬鹿なことをされる前に、処分しなくてはなるまい。……――そんな風に、本気で考えた。
「じゃあその全部って奴を言ってみろよ」
「な、なに?」
これが最後の情けだと思って、会話を捻り出した。
「いいから言えよ。キッチリ丁寧に、俺が納得できるように、その全部って奴を教えてくれよ。そうすりゃあ俺は快くお前に対して土下座でも慰謝料でもなんでもやってやらぁな。理由を言え」
「だ、だから、ぜ、全部は、全部であって……お、お前が! その……わかれよ!」
「わからねえよ。ハッキリ言葉にして言え。俺はエスパーでもなんでもねえぞ? それとも緊張して言葉を忘れたか? だったら仕方がねえ。俺が懇切丁寧に聞いてやるよ。どうして小田を殺したんだ? どういう経緯を経たらそうなるんだ? 俺には全く理解できねえ。どうして俺じゃない他の連中を三人も殺したんだ? お前がこんなところでうずくまって、汚ねえ泥まみれのブタみたいに転がってよぉ。それで自分の精霊付きにウンザリだって言われてる理由も、俺が悪いんだろ? ホラ、さっさと答えろ。全部なんだろ? 全部俺とまで豪語するなら一つくらい即答してくれよ。黙ってんじゃあわからねぇだろ? それともまともに口聞けないのも俺が悪いのか?」
「う、うるせええええ!!! だまれえええええッ!!」
もう四の五の考えるのは面倒くさいって感じで、奴はパソコンの傍にいくと床に落ちていたコントローラーを握った。奴はコントローラーを握った瞬間に自分の方が優位だと思ったのか、汚らしくも恍惚な笑みを浮かべていた。本当にどうしようもない奴だ。
するとローブの男が、別の意図を持っていそうな笑みを作りながら、背中腰から二本の大振りのナイフを抜き出した。
結局、なんだ。
怒鳴り散らして、癇癪起して、最後はこれか。……無駄だったな。
「もうお前なんか、死んじまえよッ!!!」
「スノー!」
ローブの男がナイフを大振りに振るおうとすると同時に、目の前に氷柱が床を貫いて現れた。後ろを目配せすると、スノーの小さい体が俺の背後に隠れていた。いつの間に張り付いていたんだか、まったく気付かなかった。
氷柱が盾になったのか、鉄が氷塊に弾かれる音がした。
それ自体は、予測していたことだった。だが、ローブの男は次の瞬間には、明らかに不自然な挙動をした。
氷の向こう側は透けて見えているのだけど、ローブの男は弾かれることを前提とした動きであり、そのままクルリと回ると、持っていた二本のナイフをそれぞれに投擲した。
一本はパソコン本体へと向かい、もう一本は松葉の胸に突き刺さる軌道だった。このままでは確実に刃が奴の心臓を刺すだろうというところで、別の角度から氷の刃が松葉に向かう刃を弾き落とした。
鉄を弾く音、パソコンがショートを起してバリバリとスピーカーを鳴らす音、それから――
「え――」
――松葉の素っ頓狂で間抜けな声が、この場を支配していた。