いつもの予定調和
ンッン~? 久しぶりにアホみてぇな空気の味がする。
スノーはこれから住むことになる離れ屋について、一通りの説明を受けていた。
男である俺が説明するには難儀するモノも中にはあったが、まあ概ね何とか終わった。というのも、お手伝いさんの一人に楓さんという人がいるのだけど、大体はその人のお陰だ。
三十路過ぎたくらいの落ち着きある雰囲気の女性で『この屋敷へはただ仕事をしに来ているだけ』というスタンスの人なので、この屋敷内に限って言えば俺からの好感度はかなり高い。他の使用人さんやお手伝いさんは、どこか祖母に仕えていることを誇りに思っている節が見えて、その辺が気に入らないからだ。
楓さんには、スノーは「外国の親戚の子で、突然やってきた女の子」であると説明しておいた。ベタだが鉄板だろう。
楓さんは期待通り、特に不思議がる様子もなく、ただ淡淡と道具や設備の使い方などを身振り手振り含めて、ちゃんと説明してくれた。細かい所は俺もアプリを使って翻訳したけれど。
そして夕方過ぎ頃になると楓さんは何事もなかったように帰っていく。俺にとっては数少ない、敵でも味方でもない人物だ。
一方のスノーはと言うと、水道だとかクーラーだとか、便利な現代道具に対して『そういう魔道具なのか』という理解をしていて、解釈の仕方が魔法ありきで固まってるのがなんとも微妙な気持ちになった。まあ、それも仕方がないかもしれないけどさ。
色々と思うところはあるけれども、今日はやめて明日にしよう。
大体さぁ、信じられるか?
俺ちゃんってば昨日今日で、どれだけ真剣に行動してきたのか。もう一年分の気力は使い果たした気分だよ。本日は閉店だ、閉店。いい加減、疲れちゃったよ。
「スノー、今度からはこの離れの部屋で生活してくれたらいいからな」
『え? でも、先ほどココはゼンタロウの部屋だと言ってませんでしたか?』
「俺は倉の方がいいの。それに向こうの方が落ち着く。あ、用事があったら倉に来てくれていいから。とりあえず今日はもう休もう」
『……はい、わかりました』
いつも通りの返事に聞こえたのだけれど、どこかいつもと違った気がした。まあ、いいか。お風呂は既に用意してくれてたみたいだし、なんだったらさっそく入ってもらってゆっくりして貰うと言うのも……。
「……ふむ、そういうのもあったか」
いや、うん。いいんじゃないかな? ちょうどそういうのが欲しいと思ってたんだよ。心のオアシスというか、癒しがさ。うん、そうだ。思い立ったら今すぐやろう。なんだか良心の呵責が訴えてきている気もするが……残念ながら一度やって味を占めていると、こういうのはなかなか治らないのだよ。だからさ、今後も別にいいよね?
大丈夫、大丈夫。ばれなきゃ犯罪じゃあないんだよ? とお隣りさん家のオジサンとオバサンもパツキンのニィちゃんも言ってましたとさ。うん、怪しい。
脳内決議で決まったことを遂行する為、無表情を顔に刻み込み、この場を颯爽と去ることにした。
焦ることなく、ただ真っ直ぐに最短ルートで倉へと戻る。目指すはもちろん二階のパソコン。梯子を駆け上り、冷蔵庫の中から「魔物の力・混沌」を一本用意。個人的には混沌はオレンジジュースだと思っている。つまり、エナジードリンクとは名ばかりの嗜好品だ。
さあ楽しくなってきたぞ。
デスクトップ画面に入ってくると、何も考えずにゲームへ直行する。
その後で音声がスノーへ伝わるのを警戒し、ヘッドセットのUSBは抜き、机の上のマイクも電源を切っておく。そういえば携帯のゲームも起動したままではないかと今更気がついた。長いこと通訳し続けてきたので、バッテリー残量も相当に減っていた。残り15%になると警告するのだが、もうそろそろ間近だった。
あと、ゲーム中に着信やらメッセージなど鳴られると鬱陶しいので、通知の設定も切っていた。
「……そういえば長い間チェックしてなかったな」
まあ、別にスノーの観察をしながらでもチェックなんて簡単にできるから、アプリをスワイプしてホームに戻ってくると、グループアプリの方に連絡が入っていた。
はて、コッチのアプリを使うのは久しぶりだな。スノーが精霊騎士団に在籍していた頃はよくチームの連絡手段として使っていたのだが、今は脱退してるし、色々と気まずいからなぁ。
エルタニアの一件は傍から見たら電撃引退。
しかも事情を詳しく知らない連中からは王子暗殺なんかドデカ地雷をジャンプして踏んづけた馬鹿な奴。同じ騎士団メンバーからは同情よりも先に『そりゃダメでしょ』なんて言われている始末。まあ、誰に言われたのかは伏せておこう。
まあ確かに自分で派手な演出をして王子を殺害したのだから、タネは自分で蒔いたみたいなものだけれどさ。
とにかく、ちょっとやらかした雰囲気が気まずかったのでグループ自体は抜けたのだ。なので、その後の彼等の活動については詳しく知らない。そもそも、王子を連れて帰れば後はどうとでも、と思ってるし。
ウダウダと考えながら通信アプリを開くと、連絡してきた相手の名前に多少驚いた。
「えーと……あれ、ラックさんからだ。しかも電話か……。もう大丈夫なのかな……」
こっちに引っ越してきてからも、ラックさんとは少しだけ連絡は取っていた。のだが……。
着信不在の文字が残っている上の、二週間ほど前のメッセージから読み直してみる。
海外出張を終えた後も仕事が忙しいとか、なんだか裏で怪しい糸が引かれてるとか、そういうのが少し前のコメントで流れてきていた。その後、自分で送ったコメントの「落ち着いたら詳しく話したい事があります」というのもあるのだが……。
最近になるにつれて、ラックさんは徐々にナーバスになっていき、最後には『もうむり。本社異動の話、流された』と明らかに落ち込んでいた。
まあ、うん。
現状、アリッサに対する陳情はまだ言ってない。まだ詳しい話をする前の足踏み段階だった。
俺だって鬼じゃあないんだよ。何がどうしてなのかは詳しく知らないけど、死にそうな声で慰めてくれと俺なんかに頼ってくるような精神状態の人に、どうやって「御宅のキャラに虐められたんですけど?」みたいな話ができるんだよ。ゲームの話なんかできる状態じゃあないって誰だってわかるだろ。
……いや、今はゲームではないとわかってはいるけれど、その時はゲームだと思ってたんだよ。
まあ、タイミング的にそろそろ落ち着いたのかな。ラックさんのことだ。嫌な現実はゲームで発散させるであろう。……そう考えるとアリッサについての文句もまた言いにくいな。
いや、いつまでもそんな風に思ってもいられないか。気を使いすぎてもラックさんにからすれば迷惑かもしれないし。
そろそろ腹を決める時でもあるのかな。
ちょっと緊張しつつも、ラックさんにアプリ内通話を試みる。
しかしながら、コール音はするものの、いつまで経っても応答する様子はなかった。
「……うーん。タイミングが悪いのか? いや、メッセージでも残しておくか」
とりあえず枕詞は『もう大丈夫ですか?』から初めて、アリッサについて申したいお話がありまして……と打ち込もうとすると、このままではストレート過ぎるかと思って一度消して、どういえばいいかを検討してみる。
まあ、最終的には『良かったら以前から話したかった事があるんですが』とダメだった場合を加味して内容をぼかして打ち込み、送信しておく。これで大丈夫だろう。
とかなんとかしていると、携帯のバッテリーが残り3%だとかうるさく報告してくる。
ホラホラ、これが欲しいんだろぉ? オネダリしてみろよぉ。……と充電端子を振って一人で阿呆な遊びをしていると、パソコンのスピーカーから――
『何してるんですか?』
ゆったりとした淡い桜色の浴衣を着たスノーが、お風呂上りの湯気の立った状態で、音も無く俺の背後に立っていた。
……まーたこのパターンだよ。もういい加減飽きたよ。なんで毎回毎回、何かにつけてこう、大切なシーンを見逃してしまうのか。そういう呪いでもかかっているだろうか。いやいや、そんな話ないだろ。だって普通に拝ませてもらっている時もあるし。
そんな事はどうでもいいか。
気を取り直し、丁度ゲームもついていることだし、マイクに電源を入れる
「気にしないでくれ。下ネタに興じた一人遊びさ。それよりその浴衣、よく着方わかったな」
『ええ、まあ……。シノビの服と似ているので要領はわかりましたが、どこかおかしな点などはありますか?』
「いや、別にないと思う。むしろ、うん。いい」
『本当ですか?』
「ああ、でもあと胸元とか開けて、ヒモとかもっとゆるい方が――いえ、なんでもないです。アイスダガー作らないでくださいお願いします」
そんな軽いノリで威嚇しないでほしい。単なる下心じゃあないか。それ投げられると普通に死んじゃうと思うぞ。当たり所が悪ければある程度のレベルのキャラでも一発で死ぬんだから……。
「それはそうと、何か用事でもあったか?」
『いえ、まあ、ちょっと御話でもと思ったのです――が』
といいつつ、アイスダガーを一本が俺の足元に突き刺さった。カチコチと空気が凍る音を放ちながら、冷気が足の指先に伝わってきた。いきなり何をするんだと思っていると、スノーの人差し指が俺の後、パソコンの画面に向かっていた。
『今後はそう言う、覗きはご遠慮していただけますでしょうか?』
「はは、俺が何をしてきたって言うんだい?」
二本目のアイスダガーが知らない内に投げられており、机の上に突き刺さった。狙ったのか、そこには何も置いてなかった。
『……ゼンタロウ。今までのは私も気にしてこなかったのでアレですが、今後は辞めてくださいね』
「あ、ハイ。気をつけます」
そう言ってスノーは二階から飛び降りて自室へ帰っていった。
「…………そんなの無理だよぉ」
と漏らしたら三本目のアイスダガーが下から放物線を描いてくるのが見えた。いやな予感がして咄嗟に逃げ出すと、クルクルと回る氷の刃が俺の座っていた椅子に突き刺さった。下手したら殺されてたよ。
誰だよ、あんな死角からでも投擲できる技術を習得させた奴はよぉ……。あ、俺か。
ちなみに、先ほどラックさんへ送ったメッセージに既読が付くことは決してなかった。