こんな異世界転移は胃が痛い
菓子の袋は向こう側へと辿り着いた。
どうやら異世界への通行は許されているらしい。
そして、面白いのは消費MPが351という点だ。半端なのはこの際置いておくとして、菓子の袋だけを送ったにしては明らかに過剰な量を持っていかれている。スノーが昨日通った時の消費量はハッキリしないが、きっとそれなりに消費していたはずだ。それに朝にも一度、紋章陣に触れた際にも同量と思わしき消費をしたハズだ。
「もしかしたら、質量に関係なくて、個数か回数による消費なのか?」
仮に異世界転移に必要なMPがわかり易く300として考える。
個数制であるならば、何が転移しても、一つにつき300。ゴミだろうが人間だろうが300必要となる。
この仮説なら、俺とスノーが同時に通った場合は二人なので倍の600は掛かってしまう、とか。
もう一つの可能性、回数制は一度に渡る際に必要な消費量が固定という考え方。異世界の門を開けるのにMP300が必要というイメージだろうか。その場間だと、最初に300のMPを支払うだけで、俺とスノーが同時に通ってもMPの消費量は同じとなる。その後、どこかのタイミングで門が閉まる。
どっちなのだろうか。それとも、もっとややこしい理屈なんだろうか。
まだ思考を巡らせようと思っていると、ふと……ゲーム画面のMPゲージに変化があった。
スノーのMPが1だけ、回復したのだ。
「うん? 自然回復したのか? ……スノー、いま瞑想したか?」
『え? まあ、はい。軽くしたかもしれません』
ゲーム的な考え方でするならば、この状況でそれはおかしい。
もともとMPの回復は食事をしたり、睡眠をとったり、瞑想しなければ回復しない。
ちなみにサモルドというゲームにおける瞑想とは『決して動かず、深い呼吸をして空気中の魔力を練ってMPに変換する』という行為である。
サモルドは詠唱による硬直がないので、そういった所で魔法職へのバッドシステムを兼ねているのだと俺は考えていた。
ちなみにスノーの場合は接近戦闘をしながらでもMPを回収できるようにと、無意識でも瞑想を維持する訓練を施した。激しい近接戦闘中でも回復した方が有利に決まってる。ニンジャマスターを目指すならそれくらいはしないと。
ただ、ここで疑問も浮かび上がる。
世界感の解釈を持ってくると「そもそも“瞑想”とは、空気中のマナ、あるいは魔素と呼ばれる目に見えないエネルギーを吸収して、自分の力として体内に循環・納めている」行為らしい。
ならば必然的に、こっち側の世界にはマナか魔素があるという事になる。
(……いや、ないな。その発想は恥かしいものがある。ないない、別の可能性を考えてみようか)
もしかしたら、この紋章陣を通してこっち側とあっち側……『地球』と『異世界』に通り道ができた際に、異世界の空気がこちらへ流れ込んできた、とか。そういった理屈で考えた場合の方が実に自然だ。
それに自分が紋章陣を踏んだだけで発動(?)したって理由も、それで一応の理屈にも説明ができそうだ。
「今ならMP枯渇の問題は無さそうだな……。スノー、しばらく瞑想してMPを溜めておいてくれ」
『わかりました』
さて、それではスノーのMP回復が終わるまでに、次に何をするのかを考えるか。
『なあ、ゼタっち。どういうコトなんよ?』
「うん? ああ、そうだな。ちょっと待ってくれ。今考えてる」
『うーん?』
いっそ、俺とスノー、両方が異世界側へ飛んでみるのもいいだろう。スノーだけでも、およそ二人分以上の消費MPは確保できているのだし。それで異世界への通行が回数なのか個数なのか、ハッキリする。
そして、俺が直接向こうへいけば、小田に対しても、事態の理解を急速に行なえるだろう。
何度か画面のMPゲージを確認して、ついに限界一杯まで溜め込むと、小田にはそのままでいるようにと伝えて、二台のパソコンの電源を切った。再び携帯のゲームアプリに切り替えて、スノーに話しかける。
「さてと、早速だけど、今度は一緒に行くか」
『大丈夫なのですか?』
「うーん。まあダメだったら後から何とかするさ」
『相変わらず後先を考えてませんね……いえ、今に始まった事でもないですけど』
個人的には、こういう思いきりの必要な場面では、気楽に考えるのが一番だと考えている。難しく考えすぎても何もできなくなっちまうからさ。
……ふと、スノーの方を見てみた。口を尖らせて、少しだけだが嫌だなぁという感情が見て取れた。手でも繋いでやればいいかと、年下の子にでも接するような考えを抱いたのだが、何かをする前に先にスノーが足を踏み出していた。
それを追いかける形で、スノーと一緒に紋章陣に足を踏み入れた。
すると、また白い闇に飲み込まれるような感覚を覚えた。ただし、一度目に飛び込んだ時とはまるで違う。今度はスノーの背後に引っ張られるような感じだった。漂うって感じではなく、確実に突き進んでいるイメージが今はあった。そう思うと、白い闇の中は、まるで宇宙のような、あるいは海中を進んでいるようだとも考えた。
口で何かを言おうと思ったが、声が出なかった。音が伝わらないのだろうか、まさに海みたいだ。
気がつけば、白い海中から吐き出されたみたいに、自分が踏み込んだ事のない空間に投げ出された。でも、やはり知っている場所でもある。
ヒュードラ山脈の教会。
人も居ないのに、長椅子が数席並んでいて、妙に厳かでいて、蝋燭の明かりもなく、外から照らされる寂しい太陽光が差すだけの教会の中。違和感があるとすれば、教台に置かれた黄金の杯だろうか。
そして、少し寒さも感じる。鼻先が冷えてくる感じだ。ついでに匂いは殆んどしなかった。でも微かに感じる埃っぽさのある匂いは、間違いなく現実感のある感覚だった。
自分は今、サモンズワールドをプレイした時に見える光景を内側から見て、感じていた。もしもVRゲームなんかがあるとすれば、きっとこんな感じだろうなどと、未だにゲーム感覚の脳ミソが言っていた。
「スノー殿、と……貴方は、誰だ?」
ふと、いつも画面越しに音声を聞いていた男の声が聞こえてきた。出入り口側に立っている人物を見て、その異様な身長の高さに、若干言葉を失ってしまった。
小田のキャラメイクを見ていたので身長190cmを超しているとは知っていたが……。恥ずかしながら、実物を見ると自分よりも遥かに体格の大きい鎧の人物が槍と盾を持っていると、言葉を失う。性格はもちろん知ってたし、いつも頼れる旦那だと俺でも評価しているけれど、実物を見てビビッてしまった。
「まって、アゲイル。この人は――」
とスノーが全て説明する前に、アゲイルがなにかを聴いたように言葉を漏らしていた。
「彼が、精霊ゼタなのか?」
「え?」
どういう、事かと思っていると、携帯の方で声が聞こえてきたのを耳で捕らえた。
『なんでゼタっちがそっちにいるの!? なにそれ、どういう理屈!? え、意味がわかんないんだけど!?』
案の定、かなりパニックになっていた。
いや、それよりも……。
「スノー、マダオの声って聞こえてる?」
『はい。いつも言っている“オープンチャンネル”とやらを使っているのでしょう。ゼンタロ……ゼタは聞こえないのですか?』
「アプリからじゃないと、プレイヤー同士の声は聞き取れないみたいだな……」
なかなか不便だ。というか今さらなんだが、ワイヤレスのヘッドホンでも買うか。小型のヤツ。ハンズフリーとかいう名前だったか? 今まで必要性とか感じなかったけど、今はとても必要に思える。毎回携帯を耳に当てて会話し続けるとか、面倒だし。そうでないと現実世界でのスノーとの会話が……――あれ?
「今更だけど、こっちの世界だと、やっぱり携帯とか無しで会話ができるみたいだな」
「そういえばそうですね。気がつくのが遅れました」
「……。お二人は何を言っているんだ?」
『だからさ! 何!? なにがどうなってんのさ!? いったい今度は何したのさ!?』
まるでいつも何かしでかしているような口ぶりはやめて欲しい。俺はそんなに悪さしてないぞ。……あんまり覚えてないけど。
しかしこりゃまた、全員が喋り出そうもんなら収集つけるのが大変だな。みんなが全然違う疑問を持っている。
だけど……これはいずれ、やらなきゃいけない事だ。小田は……小田だけは、ちゃんと知るべきだ。
小田は他の連中とは同じではいけない。同じであって欲しくない。コレは俺のエゴかも知れないけど、小田ならちゃんと受け入れられるだろうと、俺は信じている。だから、悪いとは思うが、今回の問題には巻き込ませてもらう。
でもその前にだ。
「……まあ、無難に自己紹介から頼もうかな。始めまして、アゲイル。ずっと『精霊ゼタ』とか呼んで貰ってたんだから妙な出会い方だけど……。……“辻風善太郎”です。スノーの精霊のゼタって言えばわかりやすいと思う。まあ見ての通り、ただの人間です。よろしく」
普段はこんな丁寧ではないのだけれど、一応、彼なら挨拶は握手を求めるだろうな、と感じたので手を差し出してみた。
これが今の自分にできる、精一杯の誠意だ。それに、普段はラックさんや尊敬する人にしか使わない敬語まで使った。
今更だけれど、アゲイルにはフレンドリーな気分でいつも接していた。それは、ゲーム内では友達のキャラのAIとしか見ていなかったからだ。今は一人の人間として、また、年上の相手として、正しく見るべきだと思えたからだ。そうしなければならない。
アゲイルは鎧兜のままなので、表情はまでは読み取れなかった……。しかし、彼はヘルムを左手で持つと、右手でその握手に答えてくれた。
「……確かに妙な出会い方だ。だが、そうだな。何事にも、例え親しい間柄であろうとも礼儀は必要だ。竜田アゲイルだ。真名を明かしてもらえて光栄だ、ゼンタロ」
彼の手は、黒い籠手のグローブ越しでも、暖かかった。
その時になって、またしても、俺は実感した。
やっと実感が持てた。ゲームの彼等は生きてたんだな、と。
いままで数多くのキャラクターを見て、AIだと思っていた連中が、スノーとはまた違った比較対象を得たお陰で、確信めいたモノへと変わっていった。いや、もう既にNPCと蔑んでいた連中も、そうだったに違いないとさえ気付いている。
「……じゃあ、次はマダオ……。いや小田。俺の声はそっちに聞こえるか?」
『……ああ。うん。聞こえてるよ』
「つまりだな、信じられない話かも知れないんだが――このゲーム。異世界に繋がってたんだよ」
消費MPが幾つかだったかについてはしっかりと覚えてますよ。でも今すぐ会話か思考を入れるとテンポが変になりましたので、別の機会にします。