わがままだけど、これが私の正直だ
言葉が通じた。
たぶん、私たちは今、同じ気持ちでいると感じた。
知らない場所、何もわからない状況で、色んなことをいままで教えてくれたゼンタロウが目の前にいた。
それを事実として受け入れると、不安だった心がスッと消えていくと一緒に、安心の吐息を漏らしていた。すると、彼も同じように息を吐いていた。
そんな、とてつもなく小さなことが……意思とか、言葉とかもそうだけれども……もっと根本的な何かで、ゼンタロウと通じ合えた気がして、胸の中がほんのりと暖かくなった。
『とりあえず飯を……いや、どうするかな。アッチに行くのは嫌だしなぁ。スノーはなんでもいいか?』
「はい。大丈夫です」
『じゃあ、下で済ませようか』
あっち……というのもわからないが、ゼンタロウは外を見てそんな事を言っていた。
この奇妙な家に居たい、という事なのだろうか。するとゼンタロウは二階から飛び降りて、灰色の床に着地していた。沼か泥のような色をしているのに、思ったよりも硬いらしい。
『……あれ、降りてこないのか?』
「あ、いえ、すみません」
しばらく観察していたのを不思議がられてしまった。実はその灰色の床が不気味でそちらに行けない、とは言いにくかった。とりあえず梯子を使ってゆっくりと降りてみて、片足のつま先から静かに下ろしてみた。
初めての感慨は削った岩みたいだと思えたけれど、良く見ると練りこんだような地面にも思えた。
なんとか大丈夫そうだと思っていると、ゼンタロウが真面目な顔を止めて、目と口をニヤニヤさせて私を見ていた。
「なにか?」
『いや、借りて来た猫みたいだなぁと思って』
「……バカにしてますか?」
『とんでもございません』
その後、一言だけ翻訳せずに「△∇○○◇ー□、*・×※#×&」と言っていた。改めて面と向かってみると「ああ、やっぱりゼンタロウだなぁ」と思えた。……性格が悪いという意味で。
とりあえず今の一言は頭の隅にでも記憶しておく。いずれ何とかして解読(?)して意味を明かしてやろう。
……今更だけれど、言葉が頭に響き、耳に聞き慣れない言葉がやってくるというのは、何とも奇妙だ。ゼンタロウはそういう魔法が使えるのだろうか。見た目が人間族と変わらないのに、精霊という種は不思議なものだ。それとも、あの手に持っている光る板のような物が特別なのだろうか。
それからしばらく、私は硬い木の椅子に座って、ゼンタロウの調理工程を見守っていた。それほど時間も掛かっていなかったが、見れば見るほどに奇妙な光景だった。
冷たい空気の入った銀色の大きな棚(?)から透明な袋や食材と思わしき物体を取り出し、ボタン一つで火が点く場所を使って何かを焼き始めた。その後、変な形の銀のポットの入れ物に、銀色の水出し機(魔道具だろう?)から真水を入れて、他には白くて四角い食べ物(?)を赤く光る箱に入れたりと……。
色々と見ていたが、殆んどの工程が……私にはゼンタロウが何をしているのかわからなかった。
『はい、お待たせ。あー……スプーンとフォークは向こうと同じだよな?』
「ええ、まあ……」
出された皿は、新感覚とでも言えばいいだろうか? ヒュードラ山脈を出て初めて村に訪れた時にも似た感想を得た事があった。
一枚目の皿には、元は白くて四角い、でも今は茶色に焼けた……たぶんパンだと思う。匂いからしてそう判断した。冷めていたパンを再び焼いて温めたという見た目をしている。
エルタニアに居た頃に食べたパンは、丸くて焼き立てのか、長旅用の固くて食べにくい物のどちらかだった。真っ黒なパンも売ってはいたが、アレはムリだ。食べられないマズさだった。
でもコレはそのどれとも違う発想で、一度冷めた物を再び加熱する事で、作り立てのパンの味を再現しているようにも思える。
それに卵。妙に黄色い。いや、色が濃いのか。ただのタマゴを焼いただけの物でも、私の知っているモノとは少し違っている。
それに、どこから出したのか、湯気を立てるスープのお椀を出してきていた。『チャワンムシ』という料理で使っているのに似た器だったが、それよりも口が広がった形をしている。
『あ、それインスタントのスープだから、不味かったら残してくれ。俺が飲むから』
「いんすたんと……?」
『あー、えっと。ドライフードって言えばいいのか? まあ、追々説明するか。早く食べないと冷めるだろうし。……あ、わるいお椀だった……。ごめん、えっとスープ皿あったかなぁ』
この器の大きさでは、手元の大きなスプーンでは取り辛い。それを察してくれたのか、白磁器のスープ皿を取り出してくれた。
なんとも月並みな感想だけれど「ココには何でもあるな……」という感慨がした。
誰かが言っていた。精霊郷は誰も訪れたことのない天国のような場所だと。それ自体は神の教示でもなければ、単なる世迷い事の類だ。どこで聞いたのだったか、どうでもいい面識の無い他人だったかもしれない。……でも今の状況だと、あながち違うとも言い切れない気がしてきた。
何でもあるし、色々とできる。ゼンタロウは三つの料理を三分で全て用意した。本人だってそれほど疲れてなさそうだし。
しばらくゼンタロウが動き回っている姿を見ていると彼は私とは対面で座り、自分と同じモノを食べ始めた。ただし、彼は二本の細い棒を使っていたけれど。妙に器用だ。
気にしすぎると何もできなくなってしまいそうだったので、とりあえず先に出された物を食べてみる。
まず、パンは卑怯だと思った。これは美味しい。サクサクしてて中がフワっとしている。香りだっていい。それに口に入れやすい大きさなのもいい。
タマゴは、まあ想像通りの焼いただけの卵だった。でも塩も胡椒も付いてたし、ちょっと贅沢だ。暗殺ギルドの依頼報酬に、精霊騎士団の手当てでお金も一杯あったので、一般家庭なら入手も困難かと思われる調味料も沢山知っていた。だからそれくらいはわかっているつもりだった。
でもこの“いんすたんとスープ”という飲み物。これは知らない。それになかなか面白い味だった。何かが欠けているような、でも不味いとかそういう事もなく、ちょっと違った普通という、非常に表現の難しい物だった。ドライフード……。これは覚えておこう。
本当に、違う場所にいるみたいだった。いや、みたい、ではなく違て事実違う場所にいるのだろう。どうにも自分がまだ状況に慣れていない感じがする。
「……ココは、どこなのですか?」
ホンの少しのつぶやきに、ゼンタロウが食事の手を止めてしまった。
『……一応、まあ、俺もどう説明すれば良いのかちゃんとわかってないんだけど。スノーからすれば異世界って事になるんだろうな』
異世界。
異世界というのは、魔界や精霊郷、神が住まう天国とか、死者の彷徨う地とか、そういう場所の事だろうか。
何かを聞こうとは思ったが、ゼンタロウは知らない内に笑うのをやめていて、難しい顔をして黙っていた。
「ゼンタロウ?」
『……これ、難しいなぁ』
突然頭を搔きだして、そのまま何もない壁を見つめ始めていた。でも直に顔を向きなおして、私を見つめた。
『……まず先に、必要最低限の話をしなきゃいけないんだけど。でも、やっぱり上手く説明できない。……だからスノー。率直な感想を聞かせて欲しい』
「何のですか?」
『……スノーはさ、俺を……というより、精霊を恨んでいるか?』
初めは、質問の意味がわからなかった。
でも、後から徐々に、その意味がわかってきた。
精霊を恨んでいるか、という質問が、どれ程の意味を持っていたのかを、再確認するように頭の中で思い出していた。
出会ってすぐ体を乗っ取られた時のことを。あの頃は、別に死んでも良いいと思っていたから、好きにしても構わないと自暴自棄にでもなっていた。でも、今は違う。死んでもいいだなんてどうかしていた。
でもだからこそ、改めて考えると、そこからが難しかった。
『ごめん。というか、一言で済ませられる話じゃあないよな……。でも、俺も他になんて言えばいいのかわからないんだ。でもさ、多少はわかってるつもりはしてる。
身体を勝手に使われて、気持ち悪かっただろ? 鬱陶しかっただろう? 色々と面倒だっただろう? スノーが実際に生活しているとか、生きてるとか……想像はしても、俺はそれを楽しんでたんだよ。いや、もうこれ……酷いな……。性質悪いって自分でもわかるわ……。
知らなかったとか言っても、それはスノーからすれば関係なかったし、許せないと思う。言ってみれば、自分の生活の自由を脅かす、侵略者だもんな。
それを加害者……やってきた側がいきなりゴメンとか、悪かったとか、一方的に謝罪なんてしても……。たぶん、スノーからすれば簡単に受け入れられることではないと思う。でもまずは聞いて欲しかった』
独白だった。でも、ゼンタロウなりに考えて、悩んで、私にもわかるように選んだ言葉だった。
確かに、精霊全体を見て通せば、その干渉は不幸なものしか思い浮かばない。
言えなかった。色々と思う節もあった。
初めの頃は、不安で一杯だった。他の精霊付きが悪さをしてみんなを困らせたこともあった。精霊達が主導で行なわれた戦争なんてのも起きた。
悪いことを上げれば、きっと他にも沢山ある。私の知らない出来事も含めれば、もっと多いだろう。
『そのうえで、答えて欲しい』
「なにをですか?」
『俺達、精霊をどうしたい?』
凄く、漠然とした……でも、とてつもなく大きな質問だった。
そんなことを言われても、わからない。何を、どうしたいとか、そんなの、急にはわからない。
『俺は、自分が殺されても仕方がないとも考えたよ』
「それは――」
『ゴメン、スノーは人を殺すのは嫌だったんだよな。今のは卑怯だった。忘れてくれ』
言葉を失った。
どうするべきか、どうしたいか、私には決められなかった。
決めなければいけないのに、わからないから答えを誰かに、頼れる人に、託したくなってしまう。
「ぜ、ゼンタロウは……どうすべきだと思いますか?」
託す相手が、目の前のゼンタロウしか居ないという事に気がつき、自分でも惨めさを感じてしまった。でもゼンタロウはそんな事も言わずに、ただ難しい顔で考えてくれた。
『わからない。でも、そうだな……』
彼は目を伏せた。言うのをためらうように。でも、目を開けて、言った。
『何もかもを忘れて、ただの他人として、別れるって、手もあるかもしれない』
他人として? 別れる?
理解するのに、ホンの数秒、時間が掛かった。その言葉の意味を理解した瞬間だけは、あまり考える事ができなかった思考の中、いきなり突き抜けてきた言葉があった。
「――イヤです」
それだけは、絶対に嫌だ。
そんな風に思えた。思えてしまった。ハッキリと思ったことで、心の中でくぐもっていた感情が、全部晴れた気がした。
凄く個人的な事だけれど、きっと他の精霊付き達には、とても悪いとは思うけれど、でも、私は……。
これは、わがままかもしれない。
ただ、一人になりたくないだけのいいワケかもしれない。
でも……それでも、放したくなかった。
「いまさら、そんな他人みたいに言わないでください。突き放すように、捨てないでください。
私は……精霊がなんで私達の体を使って、操って、何を目的としていたのか、全くわかってません。ただ、それは神様が定めたことで、それ自体がもうどうしようもないことだと納得しようと思っても居ました。
でも、それとは関係なく、私は今まで一緒に居てくれた……氷獄の村を出て、エルタニアで色んなことをして、様々な考え方を教えてくれたゼンタロウだから……」
あぁ、そうか。
言葉の最後を言わずして、何かがわかった。
これは、人恋しいではないな。
でも、恋をしているとか、そんな月の女神様みたいな突拍子のない事でもない。
これは、信頼しているのだ。
私はゼンタロウを絶対的に信頼しているんだ。
いい加減で、失敗症を患っていて、でも一緒に居ると自分まで勇気が湧いてくるようで。
今まで色んなことを教えてくれたこの人を、私は裏切りたくはない。それを今、自分の胸の中にはっきりとした答えがある事を知った。
精霊だからとか、そんなのは全く関係ない、私だけの価値観だ。
「……答えは、どうもしません。むしろ、これからもよろしくお願いします」
『……いいのか?』
「ええ。むしろ、慣れました」
『逞しいなぁ』
「それに、ルナイラの弓を壊したときの約束、まだ果たしてませんよね?」
『そういえば、そういうのもあるのか。こりゃあウッカリしてたわ』
ゼンタロウの口から乾いた笑いが出ていた。そんな事、私は今まで聞いた事があったのだろうか。彼も、こうして真面目になる時はあるのだ。
と、そこまではよかった。しかし、ゼンタロウは再び難しい顔に戻って言葉を繋げた。
『わかった。とりあえず、スノーの意見を聞いて、確認できてよかった……と思う所なんだが……。問題がある』
「聞きましょう」
『そもそも、スノーが向こうへ帰る方法がわからない』




