朝になっても困惑の連続
夢を見るのが嫌だった。
その内容はいつだって同じで、私を怖がらせる。
色んな人が消えてゆく。家族、知り合い、友達、仲間……信頼を寄せてきた人々。
増えれば増えた分だけ、私の前から背中を向けて去ってゆく。
さみしくなって、
むなしくなって、
みんなが消えて、
一人でこごえてしまう思いをする。
夢はいつも私を嫌な気分にさせてしまう。
だから夢なんて見たくなかった。
怖かった。
……でも、今日はいつもとは違った夢をみた。
それがどんな夢だったのか、もう思い出せないけれど。
どうしてなのか。私は誰かの手を掴もうとしていた。
掴もうと手を伸ばして、引き寄せて、それから――……。
「うぅん?」
夢の内容がわからないまま、目が覚めた。
寝ぼけた思考を振り払おうと、とりあえず息を吸い込む。と、途端に疑問が沸いてくる。
暖かいのか。いや、そうじゃない。どこか、ぬるい空気がする。
妙だ。
ヒュードラ山脈の故郷に帰った時、ゼンタロウがあの手この手を使って様々な手を尽くした寝床の部屋はここよりずっと暖かい。
暖房設備を整えようと、ゼンタロウは至る所に炎系の魔道具を設置したり、中には魔道具とも呼べない素材をそのまま利用した設備などを設けた。そのおかげで現在の故郷の屋内はどれも比較的暖かい空間が維持されている。
そんな魔道具を利用して作られた暖かさのある部屋と比べると、この部屋は温度が妙に低い。だけれど寒冷というほどの冷たさもない。
「……変な匂い……なに、この……毛布?」
他人の使っていた布の匂いがする。別に匂いで好き嫌いはないけれど、違和感を覚えるのは確かだ。そもそも、なんの毛で作られた毛布だろうか。見たこともない素材だった。手触りも妙に良い。動物のものなのか植物を編んだ布なのか、区別もつかない。
寝ぼけていた思考がやっと確かなものになってくると、昨日の出来事を思い出そうとした。
昨日は確か王子探索を諦めて、故郷に帰り、それで今後どうするのかを決めていて、教会で何かをしていた筈で……そこまではハッキリと覚えている。
でもその後、睡魔に襲われ目の前が真っ白になり、その後の記憶がとても曖昧となっていた。眠たいのが我慢できない時は、偶にゼンタロウが睡眠中にベッドまで案内してくれるから、その辺は不注意が過ぎたと反省する所だけれども……。
自分しかいない筈のヒュードラ山脈の村で何かが起きたのか? あるいは自分の身に何かが起きたのでは? と考えた瞬間に、バッと目が覚めて立ち上がり、周囲を見渡した。
「……どこ、ここ?」
自分が寝ていたのは、貴族の屋敷とか身分の偉い人物が使うような足の低いフカフカの横長椅子(ソファ……という名前だったか?)の上だった。あまりにも寝心地が良くて、少し驚いてしまった。それに見た事もない手法で作られた硬土と木の壁。床は古い木の板で、靴越しでも伝わる感触が妙に嬉しく感じる。
それに変わった部屋の作りで、全体の間取りの半分ほど、床がなかった。下の階でもあるのだろう梯子が見えたが、その前に反対側の存在が気になった。
一目で怪しいとわかる物体がある。
机の上に黒くて四角い板のようなモノが三枚並んでいる。大小さまざまな大きさの鉄のような素材でできた箱に、黒い線が沢山伸びている。机の下など、さらにゴチャゴチャで、先ほどから一定の音がする。変な形の物体も多くて、コロコロと転がるボールみたいなのもあったり、文字のような記号がずらりと並ぶ曲線めいた板もある。
「なにもわからない」
わからない。何一つとして理解できない。理解が追いつかない。自分が把握できないという状況が、徐々に自分の不安を煽ってくる。
「ゼタ? ……ゼンタロウ? 居ませんか?」
頼ろうとした人物の返事はなかった。朝の早い内は居ない事の方が多いから仕方がないのだけれど、どうすればいいのか本当にわからない。何かが起きているのは確かだった。でもその状況が上手く飲み込めない。
「……いえ、落ち着きましょう。こういう時こそ、慌てず、騒がず、探索あるのみ」
とりあえずゼンタロウがいつも言いそうな言葉で不安な気持ちを濁し、誰か居ないのかを探してみることにした。
目の前の箱に関しては触れてもいいのかすら理解できないので手を引いておく。
それにこの部屋……というよりも建物の作りも気になる。外だって、なんだか妙な感じがする。森の中……なのだろうか? ハッキリとしない。木々の会話が、まるで暗号めいた言葉を使って見知らぬ態度でそっぽ向いている。
この表現を、どう例えるべきなのか。
わからないが、とにかく妙な空間にいることは確かだった。
……頼れる存在が居ない今、心細いとは思うけど、ゼンタロウが現れればきっと何とかしてくれると信じて、今は自分のみで探索を続ける。
自分の長い髪を手で一本にまとめて、下を覗く準備をする。別に身嗜みを整えているわけではない。吹き抜けから顔を覗かせて下を見ると、髪の毛が重力によって垂れ下がって、誰かに見つかる可能性があるからだ。
……実はこの長い銀髪、少し邪魔なのでできれば短くしたいと日頃から考えていたりもする。でもゼンタロウは長い方が好きだと言っていたし、それならば、と思い留まっている。
などと思い出しながらも下階の空間を覗くと、独特な世界観がそこには広がっていた。
色んな木の棚が壁に並んでいて、床は灰色の真ッ平ら。少し気味が悪かった。それに見たことのない、見てもわからない物が色々と置かれていて、段々と自分がどこにいるのかも心配になってきた。
下に降りることは考えずに、この場にある物をもう一度検分してみる事にしてみた。
「……おや、これは……」
見つけたのは床に描かれた、白くて丸い、紋章のような絵だった。どこかの王家の印なのか、しかし何とも言いがたい絵だった。周囲ばかりが気になって、床にあったそれの発見が遅れてしまった。
三日月と雪の結晶と小さな花。それに周囲を古代エルフ文字に似た文脈で書かれた、外側に3つのワードが刻まれている。
「これは、道……? 正しい、標し。座標の事でしょうか」
憶測だけれど、そんな感じだった。訛りなのだろうか。それとも、古代エルフ文字に似た別言語なのだろうか。似ているけれど少し違う形だった。一応、読めない事はないけれど、解読するのは難しい。
「えっと、こっちは……顕現? いえ、出力? うーん出る、あるいは出入り口でしょうか?」
最初の項目よりも難解だった。しかも一文が結構長い。これはやめて、次のを先に解読する。
「あ、でもコチラはわかります。【月の女神】ですか。何故、女神様の名前が?」
不思議な印象だった。一件、特殊な魔法陣の式のように思える文字の羅列だった。一応、文字をなぞってみるけれど、特に何も起きたりはしなかった。
今度は絵が描かれた輪に手を入れて触ってみると、床に書かれた線や絵が白い光を帯びて魔力がごっそりと持っていかれた感じがした。およそ、自分の持つ最大魔力量の三分の一ほどだ。そんな大魔法、使った事もないと驚いていると、その時だ。
「ブベッ!?」
紋章の中から男が現れた。
これまた独特な服を着た人物だった。たしか、拳銃という武器を持っている人物や、精霊騎士団で昔馴染みだったカナデが、こんな服装と似ていた気がする。いや、カナデよりかはもっと大人しいだろうか。アレはカラフルだった。
目の前の男は……なんと言うか、もっと落ち着いた服装で、全体の色は黒と灰色だった。黒いシャツに、ネズミ色のズボン。さらに、ちょっと長めの黒い髪で、悲鳴を上げた声は、どこか聞き覚えのある声で、でもなぜか身体が震えていた。
さっきからうわ言のように何かを連呼しているが、何を言っているのかよくわからなかった。
「ええっと……とりあえず。大丈夫ですか?」
「……スノー?」
びくりと、その呼び声に感情が飛び跳ねた。まるでその声を私は知っている。いや、そうやって私を何度も呼んできたのが誰なのか、私にはわかる。知りすぎているほどに、知っていた。
だが――
「×・×? ×××、××××××・×××?」
「……すみません、今、なんと?」
彼が何を言っているのか、わからなかった。