直感に導かれて
黒い短刀の刃が相手の腹部へと突き刺さっていた。
アリッサがその一刺しを忌々しそうに見つめていると、足元が崩れるように膝を屈した。
「な、なん、ダ……? この、きィさァまァ……ッ」
アリッサは刺された腹部よりも、相当気分が優れないのか……何とか聖剣を手放す事はなかったが、片手を刺された腹部にあてがい、くの字の姿勢となっていた。その眼に宿る怒りは既に恐怖が支配しようとしており、錯乱している異常者のように接点を狂わせていた。
見た目からして、まともに立てる様子でもなさそうだ。
『諦めとけよ。あの毒の扱いに長けた錬金鍛冶士オルレ君の力作だぜ? どんな効果なのかは知らんけどな。こっちはお前を殺すつもりはない。……感謝するんだな。俺がこれ以上お前を貶めないのは、ラックさんの顔を立てたからだ。決して、お前を哀れむからじゃねえよ』
地面に落ちたルナイラの白枝を足ですくい上げて手で掴むと、腰のベルトへと差し込んだ。手甲の隠し刃も元の位置へと戻し、再び隠してしまう。
これでやっと王様へと辿り着くための障害は消え失せた。そう思った頃、広場の中でも人が居ない開けた場所に、エルドラ子が物凄い勢いで地上へと戻って来た。しばらくするとアゲイルも同様に戻ってきた。
『あり? まだ終わってなかったん? エラいド派手なのが見えたから、もう終わったのかと思ってた』
『それ多分アリッサの技だ。でも大方もう終わるよ。……スノー、跳ぶぞ』
「はい」
脚力に風魔法のジャンプを使って一気に演台の上までやってきた。
目前には険しい表情で私を見つめているエルタニア国王、アイデンテス・ドラン・エルタニアが待っていた。何名かの騎士や衛兵が私の行く手を阻もうとするが、ゼンタロウはそれらを排除する事はしなかった。
それどころか、片膝を付いて、敬意を表すようにとゼンタロウが小声で伝えてきた。その通りにすると、周囲では困惑の声が広がっていた。
すると、意外と落ち着いた様子のアイデン王が手で周囲の者達を引かせて、重く、静観とした声で問いを投げかけてきた。
「……精霊騎士団、第一席のユキノ。いや、精霊付きのスノー。貴様は、何かを言いに我の元へ馳せ参じた」
「それは――」
私はゼンタロウの言葉を待つつもりでいた。いつもならゼンタロウが何を言えば良いのか教えてくれるからだ。でも、この時ばかりは、自分でも何を伝えるべきなのかは、わかっていた気がした。わかるようになっていた。たとえ、ゼンタロウの考える答えとは違っていても――。
きっとゼンタロウだったなら、これが陰謀である事や、アリッサが仕組んだ罠だったのだと糾弾するために言葉を使うだろう。
でも私はそれよりも、この王様に、一人の父親に対して、これだけを伝えるべきだと思った。
「――ユリアス王子はまだ生きています」
ただの直感だった。
これだけを言うべきだったのだと思えて、そう言い切った。
周りの誰もが何も言わなくなっていた。言葉の消えた空気の中、私は不安になった。言っては見たものの、これは間違いであったのかと。これしかないと思って口にした言葉が、実はとんでもなく的外れであったのかと。
無礼だと思いながらも王の顔を見上げると、王は目を大きく見開き、口から言葉を発しようとしても出せずに、ただどんな表情を取り繕えばいいのかわからない、といった様子をしていた。
するとゼンタロウが『行こう』と言ってくれた。良かったのか、悪かったのか、それがわからないままだが、しかしそうは言ってもいつまでもここに居ては自分が危うい。
急ぎ立ち上がって、周囲の反応も他所に演台から立ち去った。もともと礼儀知らずの田舎者だと自分に言い訳をしつつ、広場の中央で待つアゲイルとエルドラ子の元へと向かった。
「用は済んだか?」
「……だと思う」
「ならば行こう」
エルドラ子の背に乗りながら最後に、未だに演台の上でジッとしている王様を見て不安を覚えつつも、いつかそれも見えなくなっていた。それを最後に、私達はこのエルタニア王国という約一年もの間、過ごしてきた土地を後にして去った。
……去ってしまった。
色んな人を残して。
どうでもよかったり、どうでもよくなかったり。
好きだったり、苦手だったり。
大事であったり、そこまででもなかったり。
色んな人達を、あの街において――
「アゲイル……」
「何かな?」
「……少しだけ、背中借りるね」
……少し……少しだけ……疲れた。
きっと、いつか戻ってくる。帰ってこられる。
そう思いながら、この荒波を打つ心を鎮めようと目を瞑った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スノーが竜の背で眠りに入った。
まだお昼過ぎくらいだが、その疲れは俺にもよく伝わる。
今回の戦闘は、周囲への被害を考えるとかなり慎重にならざるを得なかった。それにアリッサに対する怒りがピークになり、俺も何かと我慢させられた。あとでラックさんになんと報告すればいいのやらと、そちらでも頭を悩まされる。
そんな悩み多き所為か、長い時間を過ごしていたみたいに疲れがどっと押し寄せてきた。緊張感もいままでの戦闘の比ではなかった。敵を殺してはいけない殺し合いって、どれだけ難易度高いんだよ……。
だが、考えたのはそれだけじゃあない。
『ゼタっち? ナニ黙ってんの?』
「……いや、ちょっとな」
今、眠っているスノーの事だ。
最後、王様に対して俺は本気で何を伝えるべきか言葉の取捨選択を選んでいた。
どうすれば権力者という存在の心に、疑問の針を残せるのか。どうすれば、一番にスノーの悪評を取り消せるか。
それだけを考えていたら、いつもなら俺の言葉を待ってから大事な話をしていたスノーが、独りでに言葉を発していたのだ。
しかも、スノーは王様の息子を引き合いに出していた。これは、なんと言うか、凄い事だと感じた。どうすればあの一瞬で王様を、一人の人間として見て、親としての気持ちに訴えるように、子の存在を明るみにさせようなんて考えたのか。計算でそこまで考えてなければ、きっと直感のものだ。
その領域ともなれば、もはやスノーはゲームのキャラクターAIとか、そういう概念をとうに超えていた。
天晴れだ。
ただ、俺は王子を引き合いに出すという選択にはちょっとばかり否定的だった。
……だってそれをするって事は、いずれユリアス王子をエルタニア国王の前に引っ張り出さねばならないという事に他ならない。
あの抜け策王子……どうにも俺は利用したくないんだよ。こう、他人を操るのが好きそうだからさ。その辺は血なのかねぇ。アリッサもそうだし。……でも王様の方はそうでも無さそうに思える。だとしたら育ち方の問題かもしれないな。
「あーあ。いっそ、放浪の旅の中で勝手に成長してくれてたら俺も嬉しいんだけどなあ」
『突然誰の話よ?』
「どっかの抜け策王子の話」
『ああ、ユリアス王子の事ですな』
まあ、いいか。いつか探し出して、確保する事にしよう。でなければ、スノーの心意気が無駄となってしまう。
折角、自分で考え出した結果なのだ。俺はそれを尊重したい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
眩暈がする。視界がグラグラと揺れて、幻視でもさせられているのか、目に見えない筈のものが次々と眼に映りこんでいる。毒の類か、あるいは呪いの類か、両方か。
ドクロの顔をしたフードの影が、幾人も近寄ってきている。まるで、御伽噺に出てくる『死者が彷徨う地』にて登場する死の神だとも思えた。
あの武器は一刺しでもすると、下手をしたら死ぬかもしれない……そんなとんでもない得物だったのだろう。
腹を刺された。血が流れない。
傷口からは血が流れるような気配がない。
手で覆う傷口を見ると、黒点となって、穴の中へと吸い込まれるような深い闇を作っていた。
このまま解呪と解毒の両方が為されなければ、命を落としてしまうだろうという洞察はできていた。
だが、危機感は全く持たなかった。
神から与えられたあの魔道具……いや、不死を与える神器を持つ限り、私は絶対に死なない。
両目を開けていると視界が揺らぐので、片目だけを開けることにした。すると遠近感はつかめないが、眩暈の方は若干マシになった。妙な存在が視界を遮っているが、構わない。
「スノー……」
その名をつぶやくと、再び怒りが湧いてきた。
信じられない事に、今ではその名を口にするだけでも心が奮えて、体が勝手に動き出す。
天を見上げれば丁度、竜のような存在が飛び立つ寸前だった。
怒りと憎しみで体を動かし、聖剣を杖として立ち上がり、再び剣を持ち上げる。
冷静になどなっていられるか。折角、折角この時のために我慢をし続けたというのに、こんな惨めな終わり方をしてなるものか。今では、どうして奴が憎たらしいのかさえ、理由など忘れていた。ただただ、その存在自体が憎しみの対称として膨れ上がっていた。
「まだだ。まだ、私の気は済んでいないぞ。“ウーリィエ……――」
聖剣の名を呼び、再び力を出そうとする。――と、いきなり背中に突き刺ささる冷たい刃の存在を感じた。
「……なんのつもりだ」
気配を隠そうともせずに襲い掛かる暗殺者がいた。
太陽の御神殿で手に入れた炎を自在に操り盾とする魔法で、それを防いだ。どころか、いまでは対象を囲んで動きを封じる事さえできるようになっていた。……スノーほど素早くなければ、これ位は容易い物だった。
だが、気に食わない。
「貴様も裏切るか……」
「老い先短い老いぼれが、愛弟子を庇って何が可笑しい?」
「……あぁ、理解できんな」
暗殺ギルドの頭領が、仕えるべき王族に、刃を向けている。どころか、背中から襲い掛かっていた。どういう了見なのか、甚だ理解できない。
そうこうしている内に、暗殺者が笑みを浮かべたように微笑とする声を漏らした。天を見ると、竜の姿が風に乗ってか、既に目視不可能なほどに離れてしまっていた。
「ふふ、まったく……。最後の最後に老体を使わせおってからに、あの小娘は……」
「……」うざい。
「いやしかし、死ぬ直前にカワイイ小娘の世話を焼く、というのも……案外に悪くないのぉ」
「……」ウざい。
「子なんぞ育てた事などなかったが、ヤツは甘え方が上手くてなぁ……そう思うと、ついつい、甘やかしてしもうたなぁ」
「……」ウザい。
「いつしかワシも、自分の子でも育てとるような気分になっとったのかもなぁ。いや、ワシも親なんぞ知らん身じゃったがな?」
「……」ウザイ。
「理由なんてそんなもんじゃ……。貴殿には理解できまい。ずっと、自分の心の殻に閉じこもっているような“箱入り娘”の御姫さまにはな――」
「黙れ!!!」
あらん限りの怒りを込めて、振り返ってその首を叩き折るように、手にした凶器で怒りのままに振り回した。
眩暈は相変わらず続いているが、奴の首を綺麗に切り飛ばした事には手応えを感じていた。
殺した。間違いなく、殺したはずだった。
『そうやって何もかもを怒りで拒絶していると、己のみならず、全てを滅ぼす事になるぞ――……かつての帝国のようにな……』
……しばらくして、周囲の者が教会から解呪解毒専門の者達を連れてきて、私の治癒を開始した。
暗殺ギルドの長たるサルタルは、確かに私が一振りした時、間違いなく死んでいた。
死んだのだ。
だというのに……なんだ、この敗北感は……?
胴と別たれた奴の頭を足で転がすと、憎たらしい猿獣人の顔が自分の死に満足そうな笑みを浮かべて、硬直していた。
「…………馬鹿らしい」
それらを二度と見なくても良いようにと、その場で消し炭にしてやった。
全ては済んだ事、終わった事だ。
ここから、これからの話をしよう。




